どこに行っても、お さんどんが私についてまわります。そういう宿命なのでしょうか。
来年は、牛すじ煮込み3キロ、鶏のから揚げ2キロ、貝柱のちまき2升、その他、生ハム、蟹の爪、紅白なますのオードブル、あとは、おもたせで乗り切る予定です。
時々、歌舞伎を観に行きます。
息を飲んで引き込まれる舞台もあれば、ちょっとあくびが出てしまう舞台もあります。
坂東玉三郎の舞台は、ずいぶん前に一度だけ見たことがあります。
坂東玉三郎が舞台に登場した途端、ガラッと空気が変わりました。
歩きはじめると、さらに驚きました。歩くというより、糸で引かれているといった動きです。
この人ほんとに人間なんだろうかとおもいました。
その、玉三郎さんが、NHK、BSのスターという番組に出てらして、見入っちゃいました。
人生の全てを舞台に捧げている、真摯な姿勢、
お稽古と舞台と次の舞台のための休息だけと言っていいほどの、ストイックな日常生活、
ひとを大切にし懐に抱え込む、心のあたたかさ、
こんな人いるんだあと、感動しました。
その玉三郎さんの番組最後の質問、
「玉三郎さんにとって、美とはなんですか。」
への答えが印象的でした。
玉三郎 そうですねえ、難しい質問です。
やはり、純粋であるということではないかと思います。
余計なことを思わないで、純粋にまっすぐ見て取り組むこと、
それが美しさにつながると思います。
「純粋」、50年も生きてると忘れかけちゃってる言葉です。
でも、50年も生きてるから、わかる言葉なのかなあとも思います。
考えてみれば、私も一所懸命に取り組む以外に、問題の解決方法を知りません。
何もかもそぎ落として、身も世もなくひとつの事を念じた時だけ、神様は人間の祈りをお聞き入れくださるのかもしれないなあと思います。
今の私にも、何もかも捨ててもひとつだけかなえたい願いがあります。
私の心は純粋でしょうか。
私の祈りは、神に届くでしょうか。
坂東玉三郎は言います。
役者が念じてはっきり見えたものは、お客様にも同じように見ていただける。
ほらこの手のひらに、薔薇の花があるの。
と、玉三郎は何もない手のひらをひらいて見せてくれました。
でも、そこに薔薇の花が見えたのです。
私にはっきり見えたとき、お客様も同じ体験をされています。
不思議でしょう、これが役者の仕事だと思っています。
坂東玉三郎凄すぎる!!!
さて、私の願いは……
考える人という雑誌に、村上春樹のロングインタビューの記事がありました。
料理長が「リリーさん面白いですよっ」て、私に勧めてたし、
2泊3日にわたって、インタビューに答えている村上春樹ってありえないと思わず読んでしまいました。
私は初期の村上春樹のファンです。
「1973年のピンボール」が村上春樹と出会いでした。
20歳くらいだったと思います。
その頃の私は、毎週3~5冊くらいはなんか読んじゃう読書中毒でした。
当時は、司馬遼太郎全盛期で、それこそ、今流行りの龍馬がゆくとか、坂の上の雲とかが大流行していたし、瀬戸内晴美とか宮尾登美子とか、池波正太郎とか、檀一雄とか、五木寛之とかそんな作家たちが文壇を賑わせていました。
昭和スタンダードの、太宰治や三島由紀夫、川端康成、井上靖、その他は中学生の時に大体制覇していました。
「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞を受賞した村上龍が華々しい文壇デビューをした、数年後くらいだったと思います。(時系列間違ってたらごめんなさい)
バッハのカンタータのような、村上龍の流れる文体にも酔わせてもらったなあ
そうそう、村上春樹でしたね。
当時の小説は酒とたばことセックスとギャンブルのどれか2つ3つくらいにどっぷり浸かってる、これどうすりゃいいの的な私小説か、そうでなければ歴史小説かって感じだったんですね。
ところが、村上春樹の小説は全く違う世界だったんです。
ごく普通の、ありきたりの登場人物がありきたりの日常生活をおくっていて、そのまま静かに生きたいと思っているのに、数センチずれたところに入り込んで、日常の壁の向こうの物語が始まるって世界です。
私はすっかり彼のファンになりました。
従来の作家のような、破滅の世界を演じて見せながら狡猾に出版社や読者世間を上目使いに見て破滅のスタイルをちゃんと選んでいる感じとか、自身の綻びをわざわざ強調して売り物にしている感じとか、「そうやって、あなたはいったいどこに行って何をしたいの」って問いただしたくなるような甘えが、村上春樹の作品には全くありませんでした。
この人いい、と思いました。
人生と真っ正直に取り組んでる感じがすごくいいと思いました。
私が最初に読んだのは「1973年のピンボール」でしたが
デビュー作の「風の歌を聞け」もすぐに読みました。
それからしばらくして「羊をめぐる冒険」が出版されて、ほんとに好きで何度も何度も読み返しました。
村上春樹の作品を読んでると、心の底がさらわれるような感じがします。
私の心の中の汚いものが減るわけではないけど、汚いものもあったんだ、仕方ないねそれをごまかしたりしないで、汚いものも抱えて生きていこうって気持ちにさせてくれるんです。
一旦深い悲しみの淵に引きずり込まれるけど、そこから浮かび上がって、少し時間が経ったらゆっくり前を向いて泳いでごらんって言われてるようなんですね。村上ワールドって
村上春樹は、文壇との交流を一切断っています。
新しいスタイルのというか、それが本来の執筆活動ですね。
虚飾や欺瞞を一切排除して、彼曰く、井戸の中に潜って自己と向き合って、労働者と同じように毎日時間を決めて執筆している。
体力を維持するために、ジョギングし時々フルマラソンも走る。
こういう生き方って、普通で正しいと思います。
私の大好きなピータードラッカーも、経営者の成否は時間管理が決めると言っても過言ではないと言っています。
本当に仕事で成果をあげたかったら、くだらない交際は排除しろと、自身の本来の仕事と向き合う時間をいかに多く作りだすかが事業の成否を決めると、
こうあるべきだと思います。
甘えやごまかしを排除して、本当の目的のために日常生活を構築する。
私もそうありたいなあ。
さて、ノルウェイの森から後、村上春樹はスタンダードになってしまいました。
すっかり有名作家になっちゃって、作品もどんどんスケールが大きくなっちゃって、
何となく、私とサイズが違った感が否めないながらも、とりあえず面白いので読んでました。
で、ここにきて1Q84ですよね。
少しすれ違いかけてた夫の心を取り戻せたって感じでしょうか。
また、しっくり村上ワールドを楽しませてもらいました。
昔の、煙草の煙と酒で煙幕を張ってごまかしてたような甘えの文壇スタイルを、期せずしてひっくりかえしちゃった村上春樹ですが、時代は出版社すら不要の電子書籍時代に突入しますね。
これから先、どんな時代になるのかマジで楽しみです。
どちらかというと、長編小説が好きです。
作家の本領を思う存分発揮してもらった、がっぷり四つの長編小説はこちらも読みごたえがあります。
中でも、塩野七海さんのローマ人の物語は、数年にわたり楽しませてもらいました。
ローマという一大帝国の興亡を最初から最後まで、しっかりじっくり書きあげてくれた秀作です。
2000年前のローマの興亡を通して、現代にもしっかり通じると言うか、現代にそのまま持ってこられる社会や政治、つまりは人間というものを、生々しくあぶりだしてくれており、読みながら、スキピオになった気持ちで、ハンニバルとポエニ戦争を闘ったり、シーザーに愛されちゃったらどうしよう!と思ったり、租税や徴兵制について考えたりして、読書の醍醐味をこれでもかと味わうことができます。
塩野七海って、すごいなあと憧れます。
お姑さんにしたら最悪だろうなっていう感じの、意地悪ばばあな的なところが大好きです。
「お母様、お呼びでございますか。」
「あ、カプチーノをお願いね。」
みたいな会話が容易に想像できます。
きっと、にこりともしないで、こちらの顔も見ないで言うんだろうなあなんて思います。
で、まあこれが本日一番言いたかったことなんですけど、、
塩野七海と私の、男の好みがぴったんこ一緒だったんですね。
文春新書から出ている、「日本人へ リーダー編」にありました。
塩野七海の好みは、「静かでスゴミのある男。」だそうです。
私もそう思います。
静かでスゴミのある男、、、
そんな男に出会ったら、世界中の女性が敵に見えるくらい、嫉妬の塊になってしまうんだろうなあ、私。
クールな塩野さん、あなたも実はそうなのではありませんか。
心の中の熱いものをクールに鎧っているだけ、ですよね、女ですものね。
塩野七海さん的意地悪ばばあ路線、行けるものなら行ってみたいものです。
お義母さま、しっかり仕えさせていただく所存ですので、よろしくご指導くださいませ。