最近色々と悩みごとがあって仲間に相談をしたんですが、「私は貴女の事を、作曲家としてはプロだと思って雇ったよ」と言われ、心底びっくりしました。
その認知のズレが、大事故を起こす遠因になっていました。
実は私、名義を何度も変えて、時にはゴーストライターの様な事もして、長い間舞台に関わっていました。名義を変えざるを得なかった理由は、また何時かお話します。
今日は音楽に関する、お話をします。
初めて舞台音楽を作曲した時の話と、素敵な出会いの数々。team鴨福で作曲家を務めていた時のお話。
専門学校でのコント劇
何度かお話をしていますが、私はSound Horizonの様に、楽曲主体で物語を表現する「クリエイター」になりたかったため、声優タレント本科とイラストレーション専攻科に通いつつ、独学でDTMを弄り回していました。
とはいえ、幼少期からピアノとエレクトーンの両方を無理矢理習わされており、全然乗り気ではなかったとはいえ、地方のコンクールに出れば、必ず賞状を貰って来るような、いけすかないガキンチョだったので、感覚は良い方でした。
ややリズム感の無い事が弱点でしたが、中高で敢えて吹奏楽部のパーカッションを選択したため、ある程度は解消されました。卒業後も社会人に混ざって吹奏楽団に在籍していました。
破天荒な楽器編成や、引き出しの多さは、間違いなく吹奏楽とSHの影響です。オーケストラの中にエレキを一本ぶち込んでみたり、お客様が聴き疲れしない様に楽器を編成出来るのは、多くのサンプルを持っている事と、ある方からの助言が影響しています。
文化祭でコント劇をやる事になった時、作曲担当を希望したのは、自分の能力を試したかったからです。
オーダーされた物を作れるか。多くの人が聴いて、作品に合っていると納得してくれる曲を作れるか。
正直全く期待はされていなかったです。ただ、「楽曲もオリジナルです!」という宣伝が出来れば、上級生も呼びやすいという、企画者との利害の一致で決まりました。
台本が上がった段階で、こちらもデモ音源が出来たので、「ヒーローが登場する際のBGM」を出しました。
みんな、黙りました。普段何かと文句を言ってばかりの、年上の同期も「ここまで本格的なヤツが上がって来るとは思わなかった⋯⋯」と。
初めて手応えを感じました。
勿論学生の、文化祭の公演なのでギャラなんて出ませんが、少しも苦痛を感じませんでした。
当時新聞奨学生として配達をしていたので、休暇申請をしてネカフェに泊まり込み、PCとiPhoneで作曲作業をしました。
最新の私の曲を試聴された方は、ビックリするかと思いますが、実はフリーソフトのDominoと、iPhoneのMusic studioのみで完成させています。
何がモチベーションだったかと言いますと、まず何よりも役者からの評価です。本当に曲を気に入ってくれて、midi音源を着信音にしてくれた子もいました。
そして、私はオーダー通りの物を全て納品する事ができ、上級生からの評判も上々でした。
今聴き直すと、もう全部手直しが必要な状態ですが、それでも一公演分作曲をし、役者も観客も満足してくれる物を納品出来た事は、大きな糧となりました。