猫の譲渡型カフェ 毎回訪れる度書く住所と電話番号 月に1から3回猫カフェに行く私ある時、親友の田中幸 喜とその譲渡カフェに行ったその時いつものように住 所と電話番号書くが電話番号だけが思い出せない。仕 方なく母の電話電話番号を書いた。それも母はもう亡 くなっていた。またいつものように猫カフェにでくつ ろぐ私いつもなら帰る。5分前にになると膝の上に 乗ってくる。黒猫ところが電話番号忘れて、母の番号 にした日から、なぜか白猫がずっと膝の上に上がって くる。 次に訪れた日も、白猫はいた。 入口で靴を脱ぎ、消毒をして、また同じ紙に住所と電話 番号を書く。
今度はちゃんと思い出そうとした。
けれど、指が止まり、結局また母の番号を書いていた。
「
……お前、気に入られてるな」
田中幸喜が、少し笑いながら言った。
白猫は何事もないように、当然の場所だと言わんばかり
に私の膝に丸くなる。
喉を鳴らす音が、胸の奥に直接触れてくる。
不思議だったのは、時間だった。
いつもなら、帰る五分前に猫が寄ってくる。
なのにその白猫は、座った瞬間から離れなかった。
帰り際、スタッフが声をかけてきた。
「その子、あまり人の膝に乗らないんですよ」
私は思わず白猫を見る。
白い毛の奥で、金色の目がじっと私を見返していた。
まるで、名前を呼ばれるのを待っているみたいに。
その夜、夢を見た。
古い家の玄関で、電話が鳴っている。
受話器を取ると、雑音の向こうで、母の声がした。
「ちゃんと、来てくれた?」
目が覚めても、胸の上は温かかった。
まるで、まだ白猫がそこにいるみたいに。
そして私は、次に猫カフェへ行く日を、
無意識のうちに命日に合わせていた。
母が亡くなってから、電話番号を使う理由はなくなっ
た。
それでも、私はその番号を覚えている。
覚えているというより、体が勝手に書いてしまう。
三度目に猫カフェへ行った日、
譲渡用紙を前にして、田中幸喜が言った。
「もう書かなくてもいいんじゃないか。会員なんだし」
私は首を振った。
書かないと、いけない気がした。
白猫は、その日も私の膝に乗った。
前足で服をつかみ、逃がさないように。
まるで「ここにいなさい」と言っているみたいだった。
スタッフが小さな声で教えてくれた。
「その子、ずっと前にここにいた方と同じ番号なんで
す」
胸が一瞬、空白になる。
「以前、通っていた女性がいて……
亡くなられてからは、誰にも懐かなかったんです」
私は何も言えなかった。
ただ、白猫の背中を撫でた。
白い毛の下で、確かに生きている温度があった。
帰る時間になっても、白猫は降りなかった。
黒猫が来るはずの、あの五分前を過ぎても。
「今日は、この子が選んだみたいですね」
そう言われて、初めて気づいた。
この場所は、猫を選ぶ場所じゃない。
選ばれる場所なんだ。
白猫は、私を見上げた。
その目に、母はいない。
でも、母が残した想いだけが、そこにあった。
私は、譲渡の欄に丸をつけた。
電話番号は、自分の番号を書いた、キャリーを準備して
白猫を優しく入れた
白猫のことを、母は名前で呼んでいた。
それを思い出したのは、キャリー越しにこちらを見る白
い影を見たときだった。
「この子ね、
迎えに来る前から決めてるの」
昔、母はそう言っていた。
譲渡型カフェから帰ってきた日の夕方だったと思う。
「猫はね、
選ばれるんじゃないの。
選ぶの」
そのとき母は、少し困ったように笑っていた。
病気のことを、私にはまだ話していなかった頃だ。
写真が一枚、残っている。
母の膝の上で丸くなった、まだ細い白猫。
窓から入る光に、毛が溶けるように白くて、
母の手は、その背中にそっと置かれている。
長く一緒にはいられないと、
母は最初から分かっていたのだと思う。
だから母は、
抱え込まなかった。
自分だけのものにしなかった。
通うだけ。
名前を呼ぶだけ。
膝の温度を、覚えさせるだけ。
「この子はね、
私の役目じゃないの」
それが、母の口癖だった。
亡くなる少し前、
母は譲渡の話をしなくなった。
代わりに、私の予定を聞くようになった。
「最近、猫カフェ行ってる?」
何気ない声だった。
でも今なら分かる。
あれは確認だった。
この命を、渡せる先があるかどうか。
白猫が、私の膝で体勢を変える。
その仕草は、写真の中の母の膝と、同じだった。
母は、連れてこなかった。
私に、迎えに行かせた。
それが、母の選んだやり方だった
その夜、部屋はいつもより静かだった。
テレビもつけず、時計の音だけが聞こえる。
キャリーの扉を開けると、
白猫はすぐには出てこなかった。
中で一度、私を見上げ、
それから慎重に前足を伸ばした。
床に降りた瞬間、
知らない場所の匂いを確かめるように、
ゆっくりと部屋を歩く。
私は何も言わず、
ただ、そこにいた。
母がそうしていたのを、思い出したからだ。
呼ばない。
急がせない。
迎え入れる側が、待つ。
白猫はやがて、
私の足元で立ち止まった。
一瞬だけ迷って、
それから当然のように膝に乗る。
その重さに、胸が詰まった。
ここにいる。
今は、私の時間だ。
夜が更け、
白猫は丸くなって眠った。
小さな呼吸が、規則正しく続く。
私は布団に入り、
電気を消した。
暗闇の中で、
白い影がゆっくりと近づいてくる。
布団の端に、
そっと重さが加わった。
母が使っていた場所だ。
「
……ちゃんと、来たね」
声に出すと、
白猫は小さく喉を鳴らした。
それは返事ではない。
確認でもない。
ただ、
命が、命の隣に落ち着いた音だった。
私は目を閉じる。
母はいない。
でも、託されたものは、ここにある。
扉は閉じている。
けれど、夜は、もうひとりじゃなかった。