集団ストーカーという犯罪は実在しています

集団ストーカーという犯罪は実在しています

集団ストーカーとは、盗聴・盗撮に基づく付きまといや仄めかし等が組織的に行われる犯罪です。この犯罪には、創○学会、広告代理店・電○、TVを始めとするマスコミ、音楽業界、警察、政府、探偵、893、在日朝鮮人、IT業界などの関与が疑われます。また偽被害者がいる様なので惑わされないで下さい。

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以下は百田尚樹チャンネル(youtube 2022/03/10 にライブ配信 )、 「人々はなぜ陰謀論にはまるのか」
に寄せられたコメントです。
プーチン氏の演説だそうです。

 

コメント

「私は去年、プーチンがクレムリンで行った以下の演説を聞いて、彼に対する意見が変わりました。独裁者ということを除けば、政治思想的には非常にまともな保守主義者です:

この脆弱な現代の世界では、道徳、倫理、価値を支える基盤の重要性が急速に高まっています。あらゆる国民にとって価値は産物であり、それぞれの文化と歴史の発展とともに醸成した独特な産物です。国家間の交流は、各民族の視野を広げ、豊かにし、自分たちの伝統を見つめ直すことを可能にしました。しかしこのプロセスは有機的でなければならないし、急激であってはなりません。外部からの要素は拒否される可能性があるし、場合によっては露骨に拒否されます。結果を予見できないまま自分の価値観を他人に押しつけようとすることは、状況をさらに複雑化するだけではなく、多くの場合、期待に反する反応と結果を招くことになります。

私たち(ロシア)はいま、“進歩”の代表と言われている国々で進行している変化に驚愕しています。もちろん、アメリカやヨーロッパで起きている社会的、文化的な変化は、私たちが立ち入るべきことではありません。私たちは、その一線は守ります。しかし欧米の一部の人たちは、自分たちの歴史の一部を積極的に削除し、少数派のために多数派を逆差別し、父、母、家庭、さらには性別の関連まで放棄するように主張しています。彼らは、この変革は、社会を再生させる道のマイルストーンであると考えているのです。

私がここで言いたいのは、彼らにはそうする権利があるし、私たちは彼らの自由に踏み込むことはしませんが、同時に、私たちを巻き込まないで欲しいということです。我々には異なった見解があります。少なくともロシア社会の多くの人は、この件について異なった見解を持っています。私たちは、私たち自身の精神的な価値、私たち自身の歴史的伝統、多民族国家としての文化に頼らなければなりません。

しかし、いわゆる社会進歩主義の擁護者は、彼らこそが人類にとってより良い新しい意識を紹介していると信じています。それはそれで幸運を祈りますが、私が言いたいのは、それらの事は決して新しい処方箋でも何でもないということです。驚く人もいるかもしれませんが、ロシアはすでにそれを経験しているのです。1917年の革命以降、ボリシェヴィキはマルクスとエンゲルスの教義に基づき、政治や経済のシステムだけではなく、人々の道徳や健全な社会基盤まで変革すると言い出しました。伝統的な価値観、宗教、人と人の関係が破壊され、家族を拒絶し、親しい人まで密告し、それらのすべては進歩だと言われました。当時、このような思想は、世界中でいまのように流行っていました。しかし言わなければならないのは、ボルシェビキは彼ら以外の意見を絶対に容認しなかったということです。

この歴史の話は、私たちが現在目撃していることを思い出させると思います。私は、欧米の一部の国々でいま起こっている変化を目の当たりにしてとても驚いていますが、幸いなことに、私たち自身(ロシア)はその歴史を昔に卒業しました。
シェークスピアのような過去の偉大な作者が後進的と信じられ学校や大学が作品を教えなくなったとき、平等と反差別に対する闘争は馬鹿げた教条主義に変わりました。偉大な作者の思想は、もう古いと思われたからです。古典文学は性別と人種の重要性について何も知らないために、後進的と見なされているのです。ハリウッドでは、ストーリーの記述や映画では、肌の色や性別の割合がどれくらいであるべきかに関するメモが配られました。これは、ソビエト中央委員会の宣伝部よりも酷いものです。

反人種差別は必要かつ気高い主張です。しかし、新しい Cancel Culture はそれを逆差別にしました。つまり、逆人種差別に替えました。真の意味で公民権のために戦っている勇者たちは、差別をなくし、肌の色による人々の分断をなくそうと訴えていますが、人種に対する必要以上の強調を主張する人たちは人々の分断を増大しています。私は同僚に頼んで、マーティン・ルーサー・キングの以下の言葉を見つけ出してもらいました。『いつの日か、私の4人の子供が肌の色ではなく、品格によって評価される社会で生きることを夢見ています』。これこそが真の価値です。しかし、いまの状況は少し違います。ついでにいますが、ロシア人の圧倒的多数は、人の肌の色や性別が重要であるとは考えていません。私たち一人ひとりが人間であり、これこそが最も重要なことです。

欧米の一部の国々では、男女の権利に関する議論は完璧な幻想になっています。しかし聞いてください。どうか、ボリシェヴィキが行こうとした所に気をつけてください。家畜が共有化されただけではなく、女性たちも共有化されたのです。あともう一歩で、あなたたちはそこにたどり着いてしまいます。

過激な運動家たちは、概念すらかき消そうとしています。生物学上では事実だったとしても、男性と女性が存在することを主張する人は、社会から排除されるのです。自分の性別が分からない人が不安に感じる可能性があると言って、父、母ではなく”親1号”、”親2号”、母ではなく”出産した親”、母乳ではなく”人乳”に変えようとしています。繰り返しますが、これは決して新しいことではありません。1920年代、いわゆるソビエトの文化の専門家たちは、次々に新しい単語を発明することによって、新しい意識を生み出し、価値観を変えていると信じていました。そしてすでに述べたように、彼らはすべてを台無しにしました。いま、その時のことを思い起こしても恐ろしくてゾッとします。

いまは本当に怖いことが起きています。子供は幼い時から男の子は簡単に女の子に代われ、女の子も簡単に男の子に代われると教わっています。つまり、先生たちは、全員が性別を選択できると、無理やり教え込んでいるのです。親たちをこのプロセスから排除し、子供たちが一生後悔するかもしれない選択を押しつけようとしているのです。彼らは子供たちに心理カウンセラーに相談すらさせません。幼い子供に、そのような重要な決断をする能力があるでしょうか? 率直に言えば、これは”進歩”の名の下に行われている人道に対する罪です。

このようなことが好きな人がいるならば、自由にやらせればいいのかもしれません。しかし私たち自身は、政策の作成にあたっては、健康的な保守主義を指針にすると以前より述べてきました。これは数年前のことでしたが、当時は、国際社会の情熱はここまで高くありませんでした。現在は、暗雲が集まり始めたと言えるでしょう。今日、世界の構造が破壊され、リスクの拡大と現実の脆弱性が突出化するなかで、政治の基礎としての合理的な保守主義の重要性が急速に増しています。

この保守的なアプローチとは、無知な伝統主義のことではなく、ましてや、変革やゲーム・ルールの変更を恐れて自分の殻に閉じこもることではありません。そうではなく、これは主に、長年の時を経た伝統への信頼、人口の維持と成長、自他に対する現実的な評価、優先順位に対する正確な調整、必要性と可能性の相関、慎重な目的の設定、過激主義の根本的な排除のための方法なのです。率直に言って、目の前に訪れている長期のグローバル再編の最終的ゴールはまだまだ不確実なものです。こうしたなかでは、私には、温和な保守主義が最も道理をわきまえた路線です。必要があれば必然的に変更はするが、いまのところ害を与えるな──という医学の教えが最も理性的なものに思えます。

繰り返しますが、私たちロシアにとっては、これは単なる仮説ではなく、私たちの悲惨な歴史から学んだ貴重な教訓です。悪い構想の社会実験のコストは、想像を超えるほど膨大なものです。それは、人間が生きていくための物質的基盤を破壊してしまうだけではなく、人間の存在を支える精神的基盤も破壊してしまう可能性があり、長い期間、置き換えるものが何も構築できないほどの悲惨な精神の残骸をあとに残すのです。」

 

原文はWeb上に掲載されていて、上の日本語版は、ある作家の方のFBに掲げられているものだそうです。