二人の女の子は一つになった。
さみしい。いつぶりだろう?というくらい、とてもさみしくて堪らない。そんな感覚をこの数日間味わっている。今日は久しぶりに実家に帰り、妻でもない母でもない一人の娘となって過ごしてきた。一緒に暮らしていた頃は、決して安定した家庭とは言えなかったけれど、時が経ち少し離れてみたら、時たま会う時が楽しく照れくさく嬉しい。帰り際、寂しかった。家まで送ってくれた父に『寂しかったら家に行くね。』と珍しく言ってしまった。ちょうど妹との会話に声が消されたようで、それが聞こえていたかどうかは分からない。家に入って、暗い部屋を見る。しんとしている。暗くて寒い。誰もいない。私はどちらかというと、一人で過ごすことが好きでさみしいと感じることもしばらくなかった。むしろ一人でいたいくらいだった。それが、今になって急にさみしくて堪らない。まるで、小さい子どもみたいにさみしくてわんわん泣いてしまいそうだった。こんな感情になったのは一体いつぶりなんだろう?いや、きっと本当は私はずっとずっと寂しかったんだ。人はなぜか、自ら傷つく道にとびこむことがある。それは、成人するまでに生きてきた環境が不安定であればあるほど。すでに心に穴が空いていてその穴を埋めるものを探す。すでに傷ついているからその傷以上の傷をおわないと傷を傷とも思わずその傷に気づくこともない。欠けた何かを探すように色んな場所を渡り歩く。あぁ、この人も『私が特別なわけじゃないんだ。』『私じゃなくてもいいんだ。』『私がいいってわけではないんだ。』誰かが離れていった時、自分以外にも大切なものがあると知った時、ことあるごとにそんな気持ちがあったんだと思う。そういう時に、とてつもなく寂しく自分という存在が薄くなっていく。そこまで必要とされてない。そこまで求められてない。私の代わりもいくらでもいる。居てもいなくても変わらない。それだけの、その程度の存在。そんな無価値感と見捨てられる不安が私を襲う。そっちに行かないで。置いていかないで。そばにいてほしいよ。私だけを見てほしいよ。記憶にないのに、そんな小さな声が聴こえてくる。こんな強烈な寂しさが自分の中にあったなんて…無意識に感じないようにしていたのかな。辛くてとても耐えられなさそうなのに同時に感じたのはこれだけの感情があったのに私は私自身に、こんな気持ちを感じる隙も自分にあげてこなかったんだ。って、なんて酷いことをしてたんだろう。今までよく耐えてたね。と。『さみしい。』このたった一言、たった一つの感情を今ここで自覚するためにものすごく、ものすごーく遠回りしたことに私は気づいたのでした。それは、大人なのに…だなんて思うこともなく寂しがりやで泣き虫な小さい女の子を抱き締めてあげたくなるような、愛しい愛しい大切なものだった。そっかそっか。さみしかったんだね。こんなにさみしかったのに、今までよく耐えてたね。泣いちゃだめ。強くなろうねって言われてたけど、本当はもっと泣きたかった。辛い時は辛いって打ち明けたかった。いっぱい甘えて、素直に『さみしいよ〜』って泣きたかった。いっぱい抱き締めてほしかった。いっぱい甘やかされたかった。大丈夫だよって、安心の腕の中で過ごしたかった。小さい女の子の声は、私自身の声になり二人の女の子は一つになった。今日は大晦日。時間はたっぷりある。誰にも何も言われない。お風呂に入らなくても、ご飯食べなくても夜更かししてもなんだっていい。昼も夜も、時間も忘れていい。好きなだけ悲しんで、好きなだけ泣いて好きなだけ寝て、好きなだけ感じられる。好きなだけこうして書ける。今は小さなあなたに寄り添うこと。ずっと一緒に過ごすこと。無理をさせないことを一番にゆっくりと、ゆっくりと、過ごそうね。2025年12月31日