いつも応援ありがとうございます!

本日より、

レディーフォーにて クラウドファンディング挑戦いたします。

 
 
文中にも書いてありますが、
 
この挑戦は、被災地の動物保護活動をしてきた
動物保護活動家たちが結集して立ち上げました。
 
当法人は、NPO法人ということで
主に発信者となりましたが
 
実行者は、この説明に入られている 
団体・個人の方々みんなです。
 
富岡町に拠点を置く NPO法人栖
浪江町に拠点を置く 311レスキューの赤間さん
福島県内や関東圏から今も福島に通い続ける かつらお動物見守り隊
埼玉県で保護猫約60匹のお世話をしている ふに三昧保護猫ハウスの 鈴木美弥子さん
 
あきらめの悪い活動家たちが 震災から10年が経とうとしている中
みんなでこの活動を もっと命を繋ぎ命を救う活動にしたくて集結しました。
 
私達の思いをお伝えさせて頂きたいです。
 
※ なお、プロジェクト成功の際に集まりましたご支援は
NPO法人栖で管理いたしますが、使用用途は書いてある通りですが
プロジェクトメンバーで話し合いの上使われます。
ご支援の使い道なども出来る限り詳細にお伝えさせて頂きます。
 
 
 以下 プロジェクトページの転記です。

福島原発被災地に未だ残されている猫たちの保護・見守りを!

福島原発被災地に未だ残されている猫たちの保護・見守りを!

 

 

【福島原発被災地で生きる犬猫たちを見守っていきたい】

▲葛尾村の「寅吉」くん。2016年弱っているところを保護されシェルターで看取りました。

 

 はじめまして! 

 福島県富岡町に拠点を置く、NPO法人「栖(すみか)」

 代表の代田岳美(しろた・たけみ)と申します。

 

 東日本大震災後、静岡から福島の被災動物たちのために継続してボランティアに通い、2014年に福島県に移住し、三春町の民間団体の動物保護シェルターにてスタッフとして犬猫のお世話にあたり、 そして2019 年3月、原発事故の被災地・富岡町で保護猫シェルターを始めました。

 現在 70 匹余りの猫のお世話をしながら里親さんを見つけたり、原発事故被災地に残された犬猫たちの命を繋ぐための定期的な給餌・見守り、 T.N.R(捕獲して、不妊手術して、もとの場所に戻す)、被災高齢者とペットの見守り活動などをしています。

 東日本大震災から9年以上が経ち、ほとんどの動物保護団体、ボランティアが福島から撤退しました が、これからもずっと福島の動物たちに寄り添い見守ることで、帰還された方の生活再建も含めて応援していく覚悟を決めています。

 

 震災から10年となる今、 

 福島原発事故の被災地における動物保護活動は、新たなステップに入ったと感じています。

 

 原発事故の被災地のほとんどの町で、帰還困難区域は少なくなって来ています。避難指示が解除された地域には少ないながらも、震災前の住民の帰還や新たな移住者も住み始め、この後 数年で、町づくりや村づくりの基盤も変化し、加速することも見込まれています。

 そんな地域に、未だに震災前から生き続けている命があり、その子孫も生まれ続けていることも事実です。

 私たちは、そこで生きている小さな命を守りたい。

 給餌場所の管理を徹底し、住民の方とも話し合いをしながら密接したお世話を行っていきたい。未来の被災地の町や村に、不幸な状況で生まれ続けてしまう小さな命を無くしたい。  

 

 昨年度 福島県は猫の殺処分数全国ワースト1位でありました。

 多くは農村地帯の多い地域で、ネズミの駆除の為に飼育し 避妊去勢をせずに産ませ続けている猫が後を絶たない事が原因です。 生まれたばかりの小さな命がほぼ処分の対象となっているから殺処分数に歯止めがかかりません。 それをどうしたら減らす事が出来るのか? 第一に避妊去勢手術だという事はまぎれもない事実です。 それが例え被災地であっても同じであることは間違いありません。 そのための避妊去勢手術の徹底を目指し、被災地を出発点に福島全体の殺処分数を減らせることにつながっていければと思っております。

 

 このプロジェクトは、

 

この地域の動物たちに「あきらめの悪い」動物保護活動家たちが

今まで以上に 協力・連携をし

一つの命も見捨てない覚悟で 団結し行動して行くものです。

 

 そのための、活動資金が足りません。

 一人でも多くの人にご賛同、ご協力いただければと思います。

 

※プロジェクトメンバーのご紹介は最後にあります。

 

 

▼プロジェクトを立ち上げたきっかけ

【激減する福島の動物ボランティア。命を繋ぐ活動の危機】

 

▲2011年12月、警戒区域内公益ペットレスキューで保護活動。富岡町・夜ノ森。

左の三毛猫を保護。(活動者:鈴木美弥子、撮影:荒木優子)

 

 私達は、東日本大震災直後から震災 10 年目の現在も、福島県浜通りの原発事故の被災地 に残されている犬猫への定期的な給餌及びTNR(捕獲して、不妊手術して、もとの場所に戻す)・保護を続けています

 震災当初は被災地全域が活動対象でしたが、いつしかボランティア同士の棲み分けが進み、私たちは避難指示が解除された葛尾(かつらお)村と浪江町を中心に回る様になりました。

 ところが、震災直後はたくさん来ていた動物ボランティアたちも年々少なくなり、定期的に福島の原発被災地での活動を続ける団体・個人は現在はごく僅かとなりました。

 

 

▲2020年5月現在の、福島原発被災地の状況

(環境省のHPよりhttp://josen.env.go.jp/kyoten/index.html)。

緑色と青い部分は許可証がなくても立ち入り可。葛尾村と浪江町の避難指示解除エリア(緑色部分)が、私たちのおもな活動範囲。

 福島県は広く、中通りからも車で片道2時間余、東京周辺からだと片道250㎞程度、高速利用でも3時間以上かかる。この距離を当法人と志を同じくする方たちは震災後ずっと定期的に通っている。

 

 

■ 震災直後の活動

 

  

▲(左)2011年7月。警戒区域に侵入し、大熊町から柴犬親子を保護。

 

 

 

 

▲(左)2011年12月、公益立ち入りのペットレスキュー時、富岡町で保護した 仮名「ジュリ」(衰弱が酷く約1ケ月後、亡くなる)。(右)2011年5月、当時の警戒区域・富岡町にて保護した「ジロさん」その後、いわき市内に避難されている飼い主のもとに。どちらの保護場所も、2020年現在も帰還困難区域となっている。

 

 

▲2011年8月、当時 警戒区域にて。浪江町北幾世橋で衰弱した猫を保護。

 

震災直後の数年間は、警戒区域に残された命を救い出す事に本当に必死でした。

飼い主さんからの依頼で保護をする。

目の前に衰弱した子がいれば保護する。

そういった活動でした。

 

その時期にはとても沢山の団体・個人の方が

福島県の原発事故避難区域に来てくれていたと思います。

 

しかし、2.3年と経ち 活動するボランティアが急激に減っていきました。

 

それでも「あきらめの悪い私たち」は、

 

まだ 沢山いる子たちを保護しきれないと感じ

まず TNRをし給餌・見守りを行い、保護出来るタイミングで保護をしていきました。

 

そんな活動を継続し

さらに 6.7年と経ち 活動する方がほとんどいなくなってしまっても

 

それでも「あきらめの悪い私たち」はこの活動を続けてきました。

 

長年の活動の中 状況も変化し、自分の立場も NPO法人代表 となりました。

 

そして 東日本大震災から もうすぐ 10年 となります。

 

同じ活動をする方が年々減り、町の状況もどんどん変化していく中で

 

この活動をしている方は、ただただ 小さな命を守るために 

必死で 行動して来ただけですが、

 

震災から10年を目前に、このやり方で良いのだろうかと・・・

村や町、そして住民の方たちにももっと受け入れられる活動にしていかなくては。

 

長年、苦悩してきた私たちがたどり着いた思いが

 

今回のプロジェクトを立ち上げるきっかけでした。

 

 

【葛尾村では住民と連携しながら残された命を見守る】

 

▲2016年の避難指示解除後、葛尾(かつらお)村に帰還した南條さん。避難中もほぼ毎日、飼い猫の世話のため、避難先の三春町から葛尾村の自宅へ通っていた。戻ってきた飼い主に甘える「トラちゃん」

 

 葛尾(かつらお)村は、2016年6月に一部を除いて避難指示が解除されました。帰還率は3割弱、高齢者がほとんどです。私たちは震災直後、全村避難で無人だった村に残された犬猫の給餌とT.N.R(捕獲して、不妊手術して、もとの場所に戻す)を進めてきました。

 

 

▲(左)イノシシに荒らされないよう、高い場所に給餌BOXを設置する。(右)葛尾村の誰もいなくなった牧場に居ついている猫たちに給餌。牧場には飼い猫ではなく、牛舎のネズミを食べたり牛乳をもらったりして寄り付く猫が多かったのだが、全村避難により無人の村に残された。

 

 

▲(左)阿武隈高地の葛尾村 雪深い村です。積雪で車が入れないときは、歩いてフードを運ぶ。(右)フード、捕獲器、水、毛布などをぎっしり積み込んだ車。当初、被災地では水も出なかったので、すべて運ぶしかなかった。

 

 

▲(左)2015年12月、葛尾村の給餌ポイントにて、母猫に飼育放棄されたのか1匹だけで衰弱した仔猫を保護。(右)里親さんのもとへ。後ろのパネルは母猫と兄弟猫。※母猫は現在 NPO栖のシェルターに保護されています。

 

 3~4年前から葛尾(かつらお)村へ通うボランティアは私たちだけになってしまいましたが、村の方たちとの信頼関係も築けていて、何かあった時には相談して頂いています。避妊去勢手術の重要性や私たちの活動への理解も進んでいるので、私たちは残された命への定期的な給餌と見守り、犬猫たちのT.N.R(捕獲して、不妊手術して、もとの場所に戻す)、状況によっては保護し、里親さんを見つけることを基本に活動してきました。

 

 

 ▲(左)給餌台もいろいろ工夫する。(右)1週間~10日毎に給餌に行くと、給餌箱の前で待っている子たちが。

▲葛尾村の給餌ポイントにて。震災直後から私たちの運ぶフードを食べて命を繋いでいる。

 車の音を聞いてどこかからやってくる。

 

▲2019年12月、葛尾(かつらお)村の住民から相談を受けて向かったお宅。飼い猫のメス2匹がそれぞれ仔猫を産んで11匹に! 全匹に不妊手術を施し、母猫2匹を飼い主に戻して他の子は保護。NPO栖のシェルターで現在里親募集中

 

▲村に帰還されたのは高齢者が多く、彼らのペットの犬猫の見守りも継続。村から動物病院へも遠く、ときには代わりに通院することも。

 

 葛尾村は、長年 保護やTNR見守りを継続して来たため、数年前までは新たな猫というのは見かけることはありませんでした。

 2016年に住民さんが帰還されてから、少しづつ新たな猫が見られるようになり、昨年に至っては

地域で子猫を保護した住民さんや、住民さんが雌猫を手術をせず飼育し、11匹にまで増やしてしまった場所で相談を受けることもありました。

 この状況は、これからも続くと思われます。

 

 村の犬猫の適正飼育の徹底を行うとともに、飼育している人の年齢も高齢になっているため、その方たちの見守りも含めて村を回っています。

 

 村の猫たちが幸せに命を全うする見守りと、

 村の犬猫とその家族の見守りを継続して行っていきたいと思っております。

 

【給餌ボランティアが来なくなった浪江町。残された猫たちの命を全うさせたい】

 

 一方、浪江町に関しては、私たちの給餌ポイントに加え、他のボランティアさんが給餌していた場所をフォローする形で長年給餌と保護を行ってきました。私達が猫の生息確認をしていた場所は、センサーカメラで確認しつつ、給餌縮小に努めてきたものの、他のボランティアさんたちが主として関わっていた場所では残されている猫たちの生息状況など諸々把握できていません。

 2020年、他のボランティアさんらが浪江町の給餌を休止したため、私たちがその場所に本当に猫が来ていないのか、来ている場合はT.N.R(捕獲して、不妊手術して、もとの場所に戻す)あるいは保護するなど、対策をしていかなくてはなりません。猫が来てないことを確認できるまでは給餌を停止することはできないからです。給餌の停止はそこの餌を当てにしている猫にとっては死活問題になります。

 

 浪江町は一部の区域を除き、2017年の春に避難指示が解除されました。

住民の帰還率は5%程度ですが、帰還後に猫を外で飼っていたり、餌をあげて世話している方もいる事でしょう。そういった状況でのむやみな保護をするべきでは無いと思う一方で、避妊去勢手術をしていない猫も多くいると思われます。流れ流れて私たちの管理するポイントで生きていく猫も少なくないと感じていますし、そこで猫が仔猫を産んでしまうこともあります。

 

▲2019年7月、浪江町役場向かいにオープンしたスーパーマーケット。役場周辺は復興が進んでいるが、町中は家屋の解体が進み、住民の姿を見かけることは少ない。

 

 そこで、まず浪江町では、センサーカメラを駆使し猫たちの生息状況を把握、必要な場合は聞き込みやチラシを配るなどして住民さんにもアプローチをします。

 状況に応じてTNR(不妊手術して放す)、あるいは保護をするか判断をして各給餌場所の縮小をして行き、いずれは終焉させることを目指しています。

 

▲センサーカメラ。動くものに反応して撮影できる。一定期間、猫が来てないようであればその場所での給餌を停止。

 

 

▲(左)センサーカメラの画像(浪江町幾世橋)。(右)保護された「こうめ」。現在は「かつらお動物見守り隊」徳元宏美さんの自宅で人なれ訓練中。

 

 

▲(左)町営住宅に仕掛けたセンサーカメラの画像(浪江町川添)。同じ猫が近くの給餌ポイント何か所かで食べているのを確認。(右)保護された「にゃんた」。元飼い猫だったようで去勢済。震災後5年間、私たちの給餌で命を繋いだ。現在は里親さんのもとへ。

 

 そして、葛尾村と同じく町の犬猫の適正飼育の徹底を行い、新たに繁殖させてしまう事が無いように見守る活動をしていきます。

 猫を飼育し始める方には、出来る限り猫の室内飼育をして頂けるような呼びかけなども行い、飼い主不明猫を出さない。避妊去勢の徹底、繁殖させない事を目指します。

 

 

【公的な援助はなく、経済的に困窮】

 

 これらの活動にかかる経費は、今まで寄附金や私たち個人の資金でなんとか賄ってきました。

 NPO法人「栖」においては、動物の命が関わる以上、皆様からの寄付だけに頼る活動は危険と感じ、将来的には寄付に頼らず団体の活動を継続することを目指し、この春には保護猫サロン栖のオープンや、 介護タクシー事業なども並行し、運営資金を作るつもりでした。

 しかし、新型コロナウィルスの感染拡大の影響もあり、シェルターの運営の為に計画していた事が、現在すべてストップしている状況です。公的な援助も一切なく、経済的にかなり厳しいのが現状です。

 

 そんな状況ですが、

 震災から10年目となった被災地の猫たちの事をこのままにすることは出来ません。

 

 

 

▲(左)「ふに三昧保護猫ハウス」(埼玉県飯能市の鈴木美弥子さんの自宅シェルター)には、福島の被災猫も多数保護されている。(右)浪江町の赤間さん。町内の自宅と実家を保護動物シェルターにしている。

 

【資金の使い途】  

給餌・保護活動にかかる経費

●避妊去勢手術代・ワクチン費用・ウィルス検査費用・その他各種検査費用等 病院でかかるもの ※遠方から獣医の先生を呼ぶ場合の経費等も含みます。

●給餌のための餌代 おやつやウエットフード代

●生息調査のための経費

センサーカメラ、SDカード、乾電池ほか

●情報収集のためのチラシ作成費用

●捕獲のための捕獲器費用

●給餌場所のメンテナンス経費 RVボックスや給餌台の材料費等

●交通費(ガソリン代など)

●保護飼育経費等

 

【NPO法人栖代表プロフィール・福島での動物活動に至った経緯】

●静岡から福島の犬猫ボランティアへ通う  

 もともと私は、静岡県焼津市で介護士をしていました。自宅で犬を飼ってはいましたが、動 物保護活動にも無縁の生活でした。 縁もゆかりもない福島で動物保護活動を始めたきっかけは、2011 年3月 11 日に起こった東日本大震災です。

 特に原発事故で無人となった町に取り残されたペットたちのことが気がかりで、震災 直後から休日のたびに静岡から車で福島までボランティアに通いました。

 

▲飯舘村での給餌活動(2013年7月)

 

 福島での動物保護活動は、「にゃんだーガード」という動物保護団体のお手伝いから始めました。 代表は名古屋の方で、被災動物レスキューのために、2011 年4月、福島県内に保護シェルターを 造ってくれました。4年近くそこにボランティアとして通い、被災犬猫の世話をするほか、原発被災地に残されている 動物たちをレスキューしたり、給餌などをしていましたが、静岡で介護の仕事を続けながら福島で 動物保護活動をするには限界がありました。

もっと、福島の動物たちを助けたい」そういう思いから介護の仕事を辞め、2014 年1月に福島へ移住、三春町にある「にゃんだーガー ド」のスタッフになりました。

 

●福島に移住、動物保護活動に専念  

 保護シェルターのシェルター長として100匹以上の猫、10 数匹の犬をシェルターでお世話しながら、原発被災地 での給餌、レスキュー活動を続けてきましたが、東日本大震災から時間が経つに従って、福島県の被災地 以外からも犬猫の相談を受けるようになりました。T.N.Rも定期的に行い、地域猫活動へも軸足 を移さぜるを得ず、目が回るような忙しい日々を過ごしました。

 

●独立してシェルターを立ち上げる  

▲「栖」シェルター。改装はすべてボランティアさんらと一緒に行った

 

 かつては大勢のボランティアが通い、寄付金も集まっていましたが、福島のこと、動物のことが ニュースで取り上げられなくなるに比例して激減していきました。福島で活動していた県外の団体 も経済的に立ち行かなくなって次々に撤退していきました。

 そして、とうとう、「にゃんだーガード」も 2019 年3月に 福島のシェルターを閉じることになってしまいました。

 

▲シェルターの猫は全匹、福島県内で保護された猫

 

 残された猫のうち、代表が名古屋へ連れて行かれたのは11 匹のみ。残りの 60 匹余りの行き場を作るため、独立して保護シェルターを立ち上げることを決意しました。ありがたいことに協力して下さった方々のお陰で、原発事故被災地・富岡町の避難指示解除エリアにある中古 住宅を購入、2019 年3月に保護猫シェルターとして再スタートさせた次第です。

 

【協力してくれる同志たち】

「かつらお動物見守り隊」

 

▲葛尾村の「トラジ」。震災後、どこかから給餌場所だったY田さん宅に流れ着き、命を繋いできた。現在は帰還したY田さんの飼い猫になった。

 

 三春町にあった動物保護団体「にゃんだーガード」の、元ボランティア仲間。2013 年から団体を 離れた個人ボランティア同士がネットワークを作り、被災地での給餌レスキュー活動を継続。譲渡会、イベント参加など関東での活動も活発に開催。千葉 県、埼玉県など首都圏在住のメンバーが中心。

 

●「ふに三昧保護猫ハウス」

 

▲殺処分寸前に保健所から引き取られた「りんのすけ」

 

 同じく「にゃんだーガード」の元ボランティア・鈴木美弥子さんが個人宅を利用して造った保護 シェルター。福島の被災猫を含む 60 匹以上の猫、2匹の犬をお世話しているほか、個人ボラン ティアとして福島の原発被災地での活動も継続。

 

●赤間徹さん

 

▲保健所に持ち込まれた秋田犬母娘を散歩させる赤間さん。大型犬も多く保護している。

 

 浪江町民で元原発作業関連の建設会社経営。震災前から犬を保護していたが、事故後は廃炉作業に係わりながら町を放浪する犬猫を積極的に保護、元飼い主に戻したり里親を見つけ、数多くの犬猫の命を救っている。浪江町の自宅と実家を利用した動物保護シェルターには現在、犬20頭、猫70匹弱がいる。

 

 

 今回のプロジェクトの目指す資金の使用に関しては、

プロジェクトメンバーの団体・個人にて、上記示した形で使用されます。

NPO法人栖にて管理し、協力ボランティアさんと相談の上で使用されます。

ご協力してくださいました皆様には出来る限り詳細にご報告を上げさせて頂きます。

 

■なお、このプロジェクトは先行して進行中で、すでに葛尾村では5月に入ってから2匹の猫のT.N.Rを行い、浪江町ではセンサーカメラで猫の生息状況を把握しているところです。

       ↓

【2020年6月現在の活動状況】

●葛尾村

 

▲(左)葛尾村の給餌ポイント。センサーカメラで確認、黒白ファミリーが来ていたので、2019年12月、T.N.R(不妊手術して元の場所に放す)を実施。その時に取りこぼした猫のT.N.Rを進めている。(左)2002.5.27 父猫を保護、T.N.R。

 

<浪江町>

 

▲(左)津波被害の大きかった浪江町・請戸でも、最近は猫が増えている。住民はいないが工事関係者の宿舎などがある。2020年5月に赤間さんが保護、「栖」シェルターで受け入れた。(右)2020年5月、浪江町の給餌ポイントに仕掛けたカメラに映っていた猫。 

 

 

特定非営利活動法人「栖(すみか)」

〒979-1132
福島県双葉郡富岡町下郡山真壁182-2
08069167294

●ホームページ

●フェイスブックページ

●インスタグラム

●ユーチューブ

※毎週木~日曜、22~24時までライブ生配信しています。保護猫たちの様子をぜひ見てください。

  

・プロジェクトの終了要項
治療・手術対象:野良猫 20 匹 保護猫20匹
治療・手術内容:不妊手術 ワクチン接種 ウィルス検査
治療・手術完了予定日:2021年6月30日
その他:福島原発被災地の野良猫の不妊手術など
・運営に関して
  運営期間:2020年8月1日~2021年6月30日
  運営場所:福島県双葉郡富岡町下郡山真壁182-2
  運営主体:特定非営利活動法人 栖
  運営内容詳細:動物保護活動