守・破・離。自分なりの解釈 | masashiのブログ

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OTANOSHIMIHA KOREKARA NANODA

1月くらい前に写心大学に一緒に通っている、佐竹さんがFacebookで、守・破・離。

という言葉を紹介していました。

コピペします。


好きな言葉に「守破離」というのがある。

Wikipediaを引用すると、
『まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。』となる。

最後の「離」は、仏教の「悟」にも通じるものを感じる。また、スポーツにも、同じ概念が合致すると思う。たとえば、ゴルフの場合も、はじめはコーチや友人から教えてもらう等、フォームや打ち方の型から入る。
そのうちに自分に合う型ができてくるが、まだ、フォームに意識がある状態。
最後は、フォームを意識せずに自由自在、臨機応変に対応できるようになる。こうなると、自分がどんなフォームで、どのように打ち返しているかは意識しないで出来るようになる。
「守」以前の最初はギコチナイ動きが、「離」の状態では、とてもスムーズになり「どうやって、打ち返したの?」と聞かれても分からないほど無意識にベストな対応ができるようになる。

さて、写真も同様なのだが、まだまだ私は「守」まで到達してないようだww


この言葉が、なんとなく頭の中に留まっていました。

趣味の写真を撮ることに置きかえて考えるようになっていました。

時々いつシャッターを切ったのか思い出せないのに、とっても良い写真が撮れる時があります。

最初に体験したのは、一昨年の5月に上高地へ行った時です。





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この写真、前後の写真からだいたいこの辺で撮っている事は判っていてもシャッターを切った

瞬間の記憶は残っていませんでした。(ボケが始まっているのかも?)

でもこれは、私には離の状態では無く破の状態だと思っています。

集中力を高め被写体を撮っている時に、今までの自分の殻を破り写しとることの出来る

何かがある。

そして、破の状態を何度も何度も経験するうちに基礎となる守のレベルが上がる。

守のレベルを上げてさらに破をたくさん経験することで、離の状態を経験することが出来る。

スポーツ選手がたまに語ることのある、ゾーンという現象が離の状態ではないか?

と思うようになっています。

写真を撮る事においてゾーンという状態が有るのか、それがどんな状態なのか

想像もできませんが、そんな経験一度してみたいものです。