息を吸って吐く。
ただのそれだけのことをただそれだけにできるようになった。
私からしたらこれは凄いことである。

散々泥水をすすってきた。
毎日首を絞められてるように苦しくて体は重く、それでいて薬のせいで頭だけはモヤがかかっているようにぼんやりとしていた。

それでも考えることは自分への叱責がほとんどだったように思う。
街を歩けばみんなが私を咎めているような恐怖感に襲われ泣きながら走って自分の家に帰ることも多々あった。

なんで、とかそういう話じゃないと思う。
そういう病だから。簡単に説明すればそういうことになる。

こいつとは切っても切り離せず、たくさんの人を傷つけてやがてみんな私の前から去った。
いや自らそうしたようにも思える。

こんな言い方は良くないが、相当な物好きでもない限り普通に扱うのが難しく、それがその人の苦痛になるのだろう。

今だって私は全てを克服しました!考え方までまるで違う!なんて微塵も思ってない。


きっと自分の本来の部分にそういう要素はたくさんあるから何かしらのトリガーさえあればいつでもまたああいった生活に戻るんだと思う。
そして、その可能性があることに少し怯えている。

自分の体が自分の意思でコントロールできないことの苦しさに耐えられなかった。
そしてそんな自分を許さなかった。許せなかった。
どうやって生活したって突きつけられるそういった事実を前に、私はその苦しみと抑えきれないストレスの矛先を自分に向けていた。

自分を物理的に苦しめた。
自分が最も嫌だと思いそうなことをやった。
自分に対して嫌がらせをすることで鬱憤をはらすと同時に涙を流して苦しむことで自分が少しだけ許された気がしていた。


そして誰に話しても何も分かってもらえなかった。
これがきっと、一番辛かったんだと思う。

ずっと孤独で全てが不正解だった。
有無を言わない天井だけを見つめて過ごした。

体のあちこちが痛くて全てが脆かった。
いつも吐きそうだった。

そういう状況下だと人の感覚というのは鋭利になる。
スーパーで流れている歌詞なしの曲を聞いて頭が痛くなり吐き気を覚えたり、
バスの中で苦し過ぎて泣き出してしまうこともあった。

それが私の“日常”だった。


幸い、最近はしょうもないことでけらけら笑ったりしている。街を歩いてもお店に入っても危機を感じるようなことはない。



「だからみんな普通に暮らせてたんだ。」
最近ようやく解った。


どうにかこうにかして、出られることのないトンネルの抜け道を探し出せたのかもしれない。
でもそれは全く出口ではないのかもしれない。



全部、厨二病で全然何も得られてない歳に見合わないような人間で
何も続かないし飽きっぽくてやる気のない人間と言われるかもしれない。

言わなくともなんとなくそう思われてるんだろうと思うことがある。

だけど、誰になんと言われようとこれが私の人生の産物で方時たりとも馬鹿に出来ない功績なのである。



別にこれを誰かに分かってほしいってわけじゃない。わかってほしいというほどおこがましくない。


ただ今こうやって自分がここにいられることに、
とても感謝している。


ありがとう。