大変ご無沙汰しております。
娘は、引きこもりを脱し、ちゃんと学校に行っていてホッとしています。
やっぱりお友達と話したり、いつもの日常が送れるのは嬉しいみたいですね。
おにいは、毎日学校の課題に追われつつ、サークルも勉強系だけ始まっていて
ZOOMでしょっちゅう何やら話したり、慣れないパワポに挑戦したりしています。
受験時代より勉強しているらしいです。
さて、おにいのグノについてもすっかりタイミングを逸しましたが
一言だけ言うと、大学受験グノは英語が有名ですが、国語も素晴らしいです。
一流の先生に教われて本当に良かったと申しておりました。
メンタルは、グノの国語の先生にだいぶ支えてもらったような気がします。
東大目指すチームは高1で古文を終わらせますが、
うちは高2で古文、高3で国語全般を教わりました。
それもあり、受験期には国語はかなり安定して点数を取れるようになりました。
一方数学は最後になっても安定せず、いつまでもばくち状態。
そんな中で英語と数学でほぼ決まってしまう学校を受けるのは
非常に勇気が要りました。
娘の時もそうでした。
6年になるまでの積み重ねのなさが響き、理社がいつまでも不安定。
一方、グノで鍛えられた国語の記述はかなり力がついていました。
算国傾斜配点で記述重視の学校のほうが合格しやすそうでした。
でもでも。
でもでも。
やっぱり行きたい学校に行きたいんです。
どっちにしようか迷っている学校だったら、その判断材料として
問題の相性がいい学校にするというのも決め方の一つです。
でも行きたい学校があるのなら、その学校の傾向に自分が合わせるしかないんです。
それでだめならしょうがない。
そう腹をくくるのも一つの考え方です。
中学受験も大学受験も必ず複数の学校を受けますから
第一志望が駄目でもそれを目指した結果届く学校がきっとある。
それを信じて、まずは行きたい学校が求めるレベルに
自分がどうしたら到達するのか?そのために何をすればいいのか?
それを考え、それに向かって努力すること自体が受験という体験なんだと
一段落した今、ふと考えました。
きれいごとすぎますかね?
「二月の勝者」を読んだからでしょうか、久しぶりに受験のことを考えてしまいました。