こんばんは、澄龍です。
今朝投稿した記事 の続きです。
僕の心の中に、
「ヒトは信用できないプログラム」が、
インストールされた所まで、お話しましたね。
さて、ここからは、
赦しのプロセスの解説を、したいと思います。
(1)プログラムがインストールされた場面を見つける。
まずは、その、プログラムがインストールされた場面を、探します。
僕の場合は、
“母が約束を破ったことが判明した時点”に、相当しますね。
その時点が、“本当にこれだ!”と、分からない場合は、
何となく、似たような場面でも、良いと思います。
(2)上記(1)で見つけた場面を、想像する。
その、プログラムがインストールされた場面を、
時間をさかのぼった感じになって、想像(イメージ)します。
(3)その場面での、自分の感覚を思い出す。
悔しかった、辛かった、悲しかった、
などなど、感情が、湧き出て来るかもしれません。
(4)相手の立場に立って、事情を考えてみる。
今はオトナの自分の思考や感覚で、
なぜ相手がそのような行動を取ったのか、考えてみましょう。
僕の場合では、母の立場に立って考えると、
『僕をおとなしくさせるための、その時だけの方便だったのかもしれない。』
『本当はお菓子を買ってあげるつもりだったが、僕がいい子にしていなかったかもしれない。』
『“あとでね”とは言ったものの、言ったこと自体、忘れていたのかもしれない。』
『母としては、別に、約束を破った覚えは、ないのかもしれない。』
※ちなみに、この(4)のプロセスが出来ないようであれば、まだその人や出来事を、赦す準備が出来ていない、まだ赦したくない、その怒りを手放したくない、まだ癒されたくない、などが考えられます。
(5)自分と相手の、両者の理解に立ってみる。
上記(4)を踏まえつつ、上記(3)の自分の感覚を並べてみると、
両者共に、受け容れられるように、なってくるかもしれません。
(そうならない場合は、まだそのタイミングではないですね。)
俯瞰(ふかん)、つまり、高い視点で見られるようになると、
自然と、両者の理解に、立てるのではと思います。
そして、
『お互いに、仕方なかったよねぇ~。』
という境地に立てるのが、望ましいと言えるでしょう。
(6)当時の自分の感覚や感情を抱いた自分を、受け容れて赦す。
『悲しかった。』
『悔しかった。』
そんな感情や感覚があると思いますが、
そういう感情を抱いた自分に対しても、赦してあげます。
何しろ、愛する人との間で、起きた出来事であるがゆえに、
負の感情を抱いた自分を責めていたり、
罪悪感を感じている可能性があるので、
その部分についても、ケアしてあげる必要があるわけです。
(対象が、愛する人だからこそ、傷つくわけですネ。)
そして、
『そう感じるのは、仕方なかったよね。』
『そんな風にされたら、そう考えるよね。』
というように、受け容れて、赦してあげます。
僕の場合は、
「裏切られたと感じたんだから、怒りたくもなるし、恨んでしまうよね。それでもいいんだよ。」
というように、怒ったり恨んだ自分も、赦してあげました。
(7)相手からされた行為を、自分もしても良いと赦す。
相手からされて嫌だった行為は、
自分自身には、することを禁止している可能性が高いです。
それを、許可し、赦してあげる必要があります。
ここでの僕の例で言えば、
『約束を破る。』
という事に相当するので、
『自分にも、約束を守れない時だって、あるよね。』
と認めて、
『約束を守れなくても、自分を責めなくても良い。』
と、その行為自体を、自分に許可して赦すという事です。
※ここで、「じゃあ、約束は、破りまくって良いのか!?」という事に関して、少しだけ触れると、基本的に急激には変わらないので、問題ないとは思います。しかし、それでも問題が生じたら・・・それはそれで学ぶものがあるでしょう・・・笑
(8)完結して手放す。
このフェーズまで来られたら、
『もう根に持つのは終わりにする。』と決め、手放します。
僕の場合で言えば、敢えて文章化するならば、
以下のような感じです。
『お菓子を買ってくれる約束をしたと思い込んで、期待していたけれど、母にも事情があって、叶えてくれなかった。でも、母だって、僕が憎くて裏切ったとは限らないし、その時はそうするしかなかったのかもしれない。そして、僕だって、今後、誰かに対して、約束を守れない時だってあるだろう。だから、もうこの事を根に持つのは、やめることにする。』
と、落とし所を決めて、完結しました。
・・・赦しのプロセスは、こんな感じです。
なんだか、順序立てて述べると、堅苦しく感じますが、
やってみれば、それほど難しくはないかなと、僕は思います。
また、順序は、完璧に従う必要もないでしょう。
要するに、
自分だけが、根に持っていた。
という事で、そして、
それを受け容れた上で、捨てましょう、
という事です。
まぁ、それが、簡単に出来ないから、
人間、思い悩むんですけどね。
さて、ここまでやってみて、
本当に出来たんだろうか?変わったんだろうか?と、
思うかもしれませんね。
では、確認の方法も、お伝えしますね。
このように思えるかを、自分に問いかけて、
どう感じるかを、確認してみてください。
「被害者も加害者も、どちらもいなかったんだ。」
「自分だって、○○(※)することは、あるよね。」
※:僕の例で言えば、『約束を破る』が、当てはまります。
このように心に問いかけて、違和感がなければオッケー。
違和感があったり、引っ掛かるものがあれば、
完結できていなかったり、タイミングでなかったりなど、
まだ何か、あるのかもしれませんね。
今回は、以上となります。
この記事が、誰かのお役に立てれば幸いです。
最後までお読み下さり、ありがとうございました(゜ω゜)ノ