こんにちは、澄龍です。
「赦しが、癒しに繋がる。」
という言葉というか、考え方が、ありますよね。
でも、この言葉だけでは、ちょっと抽象的で、
なかなか難しいんじゃないかって、僕は思います。
じゃあ、具体的には、どうしたら良いのか?
参考に、僕の場合を、挙げてみようと思います。
例えば、僕の場合、
他人に対しては、
『ヒトはどうせ、いい加減な所がある。』
『ヒトはどうせ、約束を破る。』
『ヒトはどうせ、裏切ることがある。』
などなど、ヒトを信用できない信念の、オンパレードでした。
よって、絶賛、裏切られる機会が、多かったです。
まぁ、僕が、他人に対して、
そのように信じているわけですから、
そのような現実を、創造するわけです。
しかし、そのメカニズムを知らなければ、
「え~?!どうしたって、僕が被害者じゃないか!!!」
と、他人を責めてしまい、自分に責任があるなんて、
夢にも思わないものです。
そして、
『やはり、他人は、信用できない。』
こう信じて、生きていくことになります。
まぁ、僕は、この信念の影響で、
たくさんの方に、裏切られましたし、
特に、女性には、6人もの方に、浮気されました。
なので、
「僕は、被害者だ!!!」
とか、
「僕は、こんなに、可哀想なヒトなんです。」
と、自分で自分を慰める日々が、続いたものです。
そして、僕自身は、
『他人のような、そんないい加減な人間には、なるまい。』
と、心に決めて、
約束を守る、しっかり者たらんとする自分を、誇らしく思って、
信用の出来なさそうな他人には、嫌悪感を示して、
なるべく視界から排除するように努め、
自分の周りには、自分が認めたヒトしか、
置かないように、心掛けていました。
しかし、そんな心掛けも空しく、
約束を破るヒト、信用できないヒトは、
後から後から、無限増殖します。
まぁ、これは、自分が創造しているのですから、
メカニズム通りなんですけど、
それを知らない時は、たまったものじゃ、なかったですね。
さて、では、なぜ、“信用できないヒト”が、
僕の人生で、増殖することになったのか???
それを追っていってみましょう。
時は、僕が幼少期の頃、西暦198X年に、さかのぼります。
母の用事の付き添いで、一緒に外出した際、
僕は、母に、何やらお菓子を、ねだったのかと思います。
「おかあちゃん、お菓子買ってぇ~♪」
そんな感じだったと思います。
その時、母が、
「あとでね。」
と答えました。
その時、僕は、
『あとで、買ってくれるんだ!やったぁ~!!!』
『用事が終わったら、きっと、買ってくれるんだ~♪』
と、心の中で、喜んでいました。
そして、僕は、しばらくの間、
きっと、いい子にしていたと思います。
しかし、時が経てども、用事が終わっても、
お菓子を買ってくれる気配が、ありませんでした。
なので、僕は、母に、尋ねました。
「お菓子・・・いつ買ってくれるの?」
すると、母は、
「買わないわよ!」
と、鋭く厳しく答えました。
僕は、
「・・・!!!!!」
と、声が出なかったような気がしますが、
子供ながら、心の中では、
『約束を守ってくれなかった!!!』
『おかしい!』
『用事が終わったら、買ってくれるはずだったのに!』
↑これは、かなり変換して解釈してますけど・笑
などと感じて、その時、母を恨んだような気がします。
僕にとって、ヒトを信用できなくなるきっかけの、
一番古い記憶と言えるのは、これが最初だと思います。
そして、この記憶が、心の奥深くに染み込み、
「ヒトは信用できないプログラム」が、その時インストールされたと言えます。
これを経験した後は、
僕にとっての、母の「あとでね。」の言葉は、信用しなくなりました。
僕の心は、猜疑心で一杯です。
さて、この後からは、
赦しのプロセスの解説をしたいところですが、
長くなってきたので、今回はこの辺にするとして、
続きは、また後で、投稿することといたします。