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カロンのおしろ

日常・趣味の事を気まぐれに書いてます。
スーファミとか一昔前のゲームが大好き!


このブログで度々紹介してきたセキセイインコの天ちゃんと、ファンシーラットのすももが虹の橋を渡りました。





突然二匹とも行ってしまったので空虚な気持ちです。
まだ小屋も片付けていません。

それぞれの事を少し書こうと思います。
もう二度と二匹の事を詳しく書くこともないかもしれませんので、ありのままの病状なども記載します。
流血などショッキングな表現もあります。
苦手な方はここでお戻りください。









【天ちゃん】
2013年から一緒に居ました。オスです。
いつも元気がよく、飼い主に100パーセントの愛情を伝えてくれる存在でした。

9月初旬、毎日元気いっぱいに鳴いていた天が突然静かになりました。
話しかけても鳴かず、膨らんだままぶるぶると震えていました。
おしりが少し汚れているようでした。
抗生剤、整腸剤を混ぜたものを水に混ぜて様子を見ていると、二日後には少しずつ鳴き始めるようになりました。
一週間も経った頃にはいつものように表情豊かな鳴き声が家に響くようになり、完全に元気を取り戻したように見えました。
餌の食いも良く、回復して良かったねと家族と話しました。

この頃、すももの調子が著しく悪くなりました。
すももの介護のやり方を家族と話し合い、とにかく死なないように、と動いていました。

方針が決まり、少し落ち着いて。
夜に天の様子を見に行くと、小屋の地べたに居ました。
「あれっ?てんちむ、具合悪いのかな?」
そう思って近付くと、天はいつも自分が寝る止まり木まで移動し「どうしたの?」という顔でこちらを見ました。
今までも小さい頃からほんのたまに下に降りて、地べたに転がっている鈴で遊んでいることがあったので「なーんだ、ビックリさせないでよー」と思っただけで深くは気にしませんでした。

その翌日、9月18日。
家族が先に気付き「天ちゃんが……」と私の前で声を詰まらせました。
見に行くと、天は既に息を引き取っていました。
眠るような姿で、手で包み込むと毛がふわふわとしていてまだ温もりを感じるようでした。

この家には庭がないので、実家に頼んで天を庭に埋葬させてもらいました。
天は私と家族を最大限に愛してくれて、いつも一緒に居たがったから、いつでも会いに行ける場所にいてほしくてそうしました。
まだ天が居なくなった事を受け止めきれていません。幻聴で時々鳴き声が聞こえます。
外出から帰宅すると全力で喜んで挨拶をしてくれた天の声が忘れられない。

6年5ヶ月。短かった。もっと生きられたかもしれない。
例え隠していたとしても、小さくても、もっと早くサインに気付いてやれなかっただろうか。
どうにかならなかっただろうか。そう後悔する気持ちもあります。
だけど、天はもう居ない。
天ちゃんが与えてくれた時間に感謝し、事実を受け入れていこうと思います。

天という名前は、空のような色の羽だと感じたのでつけた名前でした。
青空も、日光の黄色や白も、雨雲のグレーもあります。空を見上げると、天のことが頭をよぎります。


↓これらは私がこのブログを始めるだいぶ前に携帯電話で撮影し、YouTubeにアップした天ちゃんの動画です。

どちらも、まだ小さい頃の天ちゃんです。



【すもも】
すももは京都のお店からお迎えしたメスの子で、ベージュハスキー柄のダンボラットでした。もうそのお店は無くなりました。
一緒に暮らして数ヵ月でベージュ柄だった毛色が真っ白になり、雪見だいふくのようだと言って可愛がっていました。

9月の頭、すももの顔の右側が突然1.5倍ほどに腫れ上がりました。
すぐに病院に連れていき、切開して膿を出してもらいました。
掛かり付けの先生が「掻いてたらバイ菌が入って腫れただけだのオデキみたいなものだと思う。でも、もしかしたらそのオデキの近く、顔の横のリンパに腫瘍があるのかな……無いと良いけれどね……」と言いました。
「腫瘍が出来ても年齢を考えると手術はできない」とは前々から言われていました。

先生の見立ては的中していました。
数日後、顔の横に石のような硬さの腫瘍が出現しました。
腫瘍は短期間でとても大きくなり、日に日に内側からすももの身体を悪くしていきました。
頭蓋骨が圧迫されている影響か、半身に麻痺が出たようで、口がうまく動かなくなり、自力でペレットを齧れなくなりました。
粉々に砕いたペレット、柔らかい果物を与えていましたが、それも食べなくなり……ラクトバイトくらいしか食べなくなりました。
かろうじて食べられそうなペースト状のものを探して与えても、数日で骨が浮くほど痩せてきました。
どうにかならないだろうか。少しでも腫瘍を小さくできないかとモヤモヤしました。

掛かり付けの先生は、私の住んでいる土地では一番信頼でき、一番腕の良いげっ歯類の獣医さんだと思います。(自分の見解だけでなく、実績や周囲の評価も含め)
しかしその先生に、やはり「手術はできない」と言われました。
顔の近くで脳に影響のある血管が集中している。メスを入れることはできない。年齢的にも厳しい。と。
良性腫瘍であればこの薬で少し楽になるかもしれない、と薬を処方されました。
人間のものでも何でもいい、毒じゃなければ何でも食べさせてくれ、栄養失調で危険な状態だ
と言われました。

犬用のささみペースト、きなことヨーグルトを混ぜたものなどを給餌ポンプで与えていました。
しかし、口が完全に開かなくなり、ポンプでの給餌も食べられなくなりました。
置き餌できなこヨーグルトを置いても食べなくなりました。
ポンプで与える餌を手で拒否されたため、一旦与えるのをやめました。

腫瘍で頭の内側を押し出され、右側の顔は凄まじいことになりました。目が飛び出し、耳から出た血で耳が詰まりました。大量に吐血しました。
腫瘍で喉や鼻を圧迫されているのか呼吸もまともに出来ず、飲み込むような動作を一日中繰り返していました。
眠ることも食べることも許されず、悲痛な鳴き声が小屋から絶え間なく聞こえるようになりました。
置いている飲み水は、すぐに血で真っ赤になっていました。

安楽死。その言葉が何度も頭をよぎりました。
すももの世話をしてきた家族と何度も話し合いました。
ただ苦しむだけならば、終わらせた方が良いのではないか。
だけど、すももはまだ生きようとしているのではないか。
でも、自ら死を選ぶことが出来ないからこそ地獄の苦しみを味わい続けるのではないか
どうするべきか悩みました。
きっとこれに正解はないのだろうと思います。

ある日、すももが手に寄ってきて食べ物を求めました。
栄養失調のため、健康体には与えてはならない甘さに調整したヨーグルトを与えてみました。
すると、歯の隙間からそれを必死に吸いとろうとし、少しだけ口にすることができたようでした。
その時に、安楽死はやめようと決めました。
うまく言えないし、人からどう思われるかはともかく、その時感じたのは、どんなに苦しくてもすももは今までのすもものように生きようとしているという感じでした。
痛い、苦痛、とかの前に、今までのようにやりたいけど出来ないから不快なんだ!みたいな感情を感じました。
だから何でもいいからすももが求めること、やりたいことに近い形で生きられるように最期まで答えてみることにしようと決めました。
給餌ポンプでの給餌はやめ、ペースト状よりももっと緩くした食べ物。餌皿を変え、平たい皿にヨーグルトを垂らして与えるようにしました。顔を突っ込み、必死に食べていました。
自力で食べられることを喜んでいるように感じました。
腫瘍は顔の大きさと同じくらい大きくなり、顔の半面だけ変わり果てた姿になっていましたが、やっぱりすももはすももなんだなぁと改めて感じました。

その翌日。
すももの呼吸に水音が混ざるようになりました。
カメラが嫌いだったので負担をかけないようにと写真は自重していましたが、なんとなく、今日撮らないといけないような気がしました。
餌を食べている際に、すももの写真を撮りました。

こちら側(左側)から見ると、ただ年を召したラットに見えます。
右半面の姿は、写しませんでした。
これがすももを写した最後の写真となりました。

9月23日の夜、私や家族が目を離したほんの隙間の時間に、すももは息を引き取りました。
2歳5ヶ月でした。

すももは火葬してもらいました。
骨を持ち帰らないというのは最初に決めていて、その意思は変わらなかったのでそのようにしました。
煙となってどこへでも楽しいところに遊びに行ってほしいし、やりたいことを貫き通す性格だったから、私の家に縛られずに自由にしてほしいと思ったからです。
骨があると私や家族も悲しみから離れられなくなりそうだという、自分の弱さも理由です。

火葬担当の人にすももを託し、火葬炉のドアが閉まったとき、胸が締め付けられました。
もう、二度と会えないんだなと。

今でも小屋のなかにすももが居るように感じてしまいます。
床材がカサカサと動くような音が聞こえるような気がします。
9月に入ってからすももは壮絶な日々を過ごしてきました。これからは楽になって、美味しいものを食べて、やりたいように過ごしてほしいです。






シリアスな記録となりましたが、以上で二匹の話を終わろうと思います。

今までこのブログに来訪くださり天ちゃんやすももを見守ってくださった皆様、本当にありがとうございました。