義母の四十九日の法要が終わりました
そんな事があってこの1ヶ月は
何だか気持ち的にも
バタバタ、ふわふわした1ヶ月でした
息子が3歳の頃...
私は人生で一番のピンチを迎えていました
仕事が忙しくて
もう身体が悲鳴をあげていました
4人で回していた部署でしたが
人が次々と辞め
なんと私はその部署に異動させられたのです
そしてなんと❗️4人→1人でこなすという
それまでは小さな部署で
1人でも
定時の5時で帰宅できていた部署にいたのですが
そこは県内でも一番大きな部署
4人体制が1人でやれと?
当然5時に帰宅できません
21時になっても22時になっても
終わることのない業務
派遣の人を1人雇ってくださいましたが
教育している方が時間がかかってしまう
ふらふらになって帰宅すると
私の母と一緒に息子が
眠らないで待っています
(母も毎日保育園にお迎えに行って、そのまま我が家で待機していてくれました)
(夫もなぜかその頃、激務で連日深夜越え)
22時に帰宅しても食欲もなく
身体は疲労しているのに
脳は覚醒していて
睡眠もまともにとることができませんでした
数ヶ月経った頃
私は限界を迎えました
食べられない眠れない
心療内科へいこう
私は初めて心療内科へ電話をしました
当時、忙し過ぎて相談する相手もなかったし
時間もありませんでした
両親は「仕事は大変なものだ。」
と言って子守りは積極的にやってくれましたが
私の仕事のことはあまり気にしていませんでした
ある時、義母に仕事の愚痴を
少しだけこぼしました
会社の代わりはいくらでもいるけど
○○←息子には私しかいないよ
子育てできるのも僅かの間だよ
あっという間に子供は大きくなるから
息子を大事にしなさい
仕事なんていつだってできる
そう言ってくださいました
その言葉を聞いて
やっと肩の荷が降りたような気がしました
20年以上勤め、役職にもつきはじめ
まだまだ家族のために頑張らないと
そう思って必死だった
あの頃、帰宅して嬉しそうに纏わりつく
息子が鬱陶しくて
私の母が帰った後、息子を放って
暗い部屋に閉じ籠っていた
泣きじゃくる息子の声が
聞こえるのに、耳を塞いで
更にイライラして放っておいた
あの頃のこと
思い出すだけで
胸が苦しくなって
涙が出るのです
3歳で可愛い盛りの息子にしてきたこと
だから封印していた
だけどお義母さんが
亡くなって
またあの時の
優しい言葉
をふと思い出した
お義母さんありがとうございました
どうか天国で安らかに楽しく過ごして
くださいね
長くなりましたが
後日談です
あの言葉を受け
私は会社に退職を申し出ました
上司が県外から交渉に2度足を運んで
説得してくださいました
部署も変わってもいいとも言ってくださった
だけど退職の意思は変わらなかった
結局、ベテランの正社員を呼びよせてくださり
正社員2名+派遣にして頂き
そこから10年勤務しました
会社にも感謝しています
