(2015年12月27日投稿〜4/5)
聖人の言はただ黙って拝聴すべきもの、トコブシ礼をもって、一言も口を挟む事が許されない…
でも「教える、わからせる」にあたって、黙っていたのでは何がわかって何がわからないのか、「出す」事をしないと伝わらず、指導が潤滑に行かないから…
その為に、その「出るもの」を塞ぐ事がないように、顔を上げ、時に無礼講で話す事を許されるのではないだろうか。
そして、下はヤイノヤイノ言うもの、
ピュッピュと出して上を突くもの、
上から出たエネルギーは下を通って上に戻る、
頂いたものが嬉しければそれを表現すべき、
そしてわかった事を今度は別の誰かに伝え…その時、下だったものが今度は上として機能する…
この図がそうなっているからではないだろうか。
そして、その目の前にいる人が、実は「大聖が前世にて目にする事ができなかった玄孫」とかだったら、きっと目を細めて見てくださる。
学びが浅くとも真摯であれば可愛がっていただけるようにも思う。
(もっともご講義の最中にそれを許せば、議論の場となってしまうだろうからダメ。これは議論に値するものではない。
そして、誹謗するという罪を犯させないためでもあるかもしれない。対機説法ができない人を守るためでもあるかもしれない)
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上から来たエネルギーが、両脇を雷のように伝って下に来て、足の先のところでアースされ、また真ん中を通って上に戻る〜
♂は輝く♀の方を向き、♀から伝わるエネルギーは…摩擦によって生じるエネルギー…その、両脇を…いや(この図は本当は立体だそうなので)周りをだな、刺激を…まあその、さするというか、しごくというかしてやるとだな、両脇のボールに溜まった奴が、ピュッと上に向けて飛び出すように…コレは確か、やんわりと…控えめながらも教えていただいた気がする。(逆らうべきものではないなっ)
聖人はしばしば「黙っていたら、わかったのかわからないのかが、わからないから…なんとか返事してくれんとな」と仰る。(例の赤べこ達の由来はここ)
神から下された太言霊をお礼の言霊にかえてお返ししたように…それは、そのカタチは、まさに法図の通り…最初の人間は、随分とまあハイレベルだったようだ。