農業を考える | 十勝・帯広を洗濯いたし申し候

十勝・帯広を洗濯いたし申し候

Yahooの勝手な事情からの移民です。トホホ

18歳から農業を始めたとして、1年に1度しか収穫が出来ない農作物を中心に
農業を営むんでいると、仮に70歳まで同じ作物を中心にして、農業を続けたとすれば
52回の収穫となる訳だが、一生の内の働く中に生まれる自らの作品が
52回(個)とは、なんと身が詰まった仕事である事が良く分かる。
それだけ丹誠が込められた作品なのに、人々の目は単なる消耗品かの様に取り扱い
安いだの高いだの、文句ばかりを言っている姿が、なんとも情けなくなってしまう。

大規模農家、小規模農家の収穫量と収入の差はあろうが、どちらも年一度の収穫であり
作物に注がれ行く労働と、生育を願う心は、何一つ変わらずに、全く同じなのであり
人々の感謝の心も薄れた、大量消費の現代社会に埋もれ行く、そんな人々の為に
農家の人々の苦労が、微塵にも救われず消され続けている事に、寂しさを感じる者が
どれだけ居るのか、社会の中を観察すると直ぐにそれは分かる。

ごちそうさまとの声に、その者の茶碗の中を見れば、一粒の米を残さぬ者は
しっかりと見えない人に向けた、身に心に完全に染み付いた、人への有難みを
身に付けている人で、米粒を残している者は、単なる金を払えば買える消費物と
冷淡に考えている者と分けて見る事が出来る事だろう。

多くの人に、それは、ちょっと考え方が短絡的だと指摘を受けそうな見方だろうが
昔から、体は心を表すと言うのだから、どれだけ屁理屈を列べ立てて反論しようが
身体が無意識の内に、米粒を残してしまうのだから、久間じゃないけれど
それは、身が心を表す証拠となるのだから、何を言っても”しょうがない”のである。

給食は残さず食べましょう。
好き嫌いを言ってはいけません。
貴方を一人にはしません、貴方が全部食べ終わるまで
みんなで待っていますから、頑張って食べましょう。

居残りで一人ぽつんと教室に置いて、食べる事を強要させるのは、教師は決して
してはならない事であるが、多くの仲間の中で、仲間の為に自らが頑張る事に
仲間同士の強い連帯感が生まれて、食べられない者を激しく、叱責する者が出れば
その者に対して、人を思い遣る心を持つ様に諭す、心の教育も生まれ

人を思い遣る心が育まれる中には、教師が見ていない時にズルをして
どうしても食べられないものを、バレない程度に口に含み手伝う仲間も出たりして
そんな見えない強い絆が、仲間同士に生まれる心の動き大切なのであり
辛い事ばかりから、子供達を遠ざけてしまう、親の過保護さから
気薄な人間関係の中に、国家と言う集団生活が、大人数で動いているのだと
早く国民達が気が付き、正して行かなくては、人と人との結び付きは無くなり
秋葉原で起こった凄惨な事件は、決して無くなる事はないだろう。

人間形成に至極当然にあるであろう、人と人との絆を大切にする、ものを大切にして
感謝の心を育む筈の、とても大切な、無垢な心の子供だかにこそ、直ぐに受け入れられる
大人になってからでは遅い、教育や指導でありながらも、その教育に対して馬鹿げた理由を
並べ立てながら、アホ面を下げ物言いを付ける、全く常識を外れた馬鹿の完全体とも
言えるだろう、完全なる馬鹿親が出てしまっている現状の日本国

そんな者達を、あからさまに世の中の中に見ながら、その者の考え方は間違っていると
正そうと諭す勇気のある者でさえ、その馬鹿炸裂のパワーに負けて、忽ち怯んでしまう
馬鹿な論理パワーに吸収され、馬鹿は必ず勝つ的な頭の良い者達の、関わりたくない無関心が
どんどん馬鹿の大増殖を助長し、既に止められなくなった姿が、今の日本国社会なのだろう。

感謝の気持ちがなく、連帯感がない社会であれば、人が丹誠込めて創った物は
金さえ払えば買える、単なる消費物と成り果て、金さえ払えば手に入り消費できる
浪費ありし国家となってしまうのは、当然な社会の動きであり、その現状の中に
二酸化炭素削減エコ生活とか言い出しているが、実際に行動に移し努力する者は
我慢が出来る、心の強い極限られた者達の動きになる事は、目に見えて分かる事だろう。

実際に、浪費活動を我慢しなくても、二酸化炭素を売り買をいして
金で楽を手に入れられますと、人々の欲望を擽る、頭の良い者達の狡い考えが
世界を相手に、大きな顔をして、自ら達だけが抱く正論をぶちまけ
その意見に同意をしている首相だとか、政府関係者が出ている始末に
既に動き出している巨額な金の動きに、ブレーキなど掛けられる筈もなく
誰か達が創り上げた妄想に、ツバルの島は沈んでしまうことだろう。

何もかもが金に支配されている事は、誰にでも手に取るように分かる筈
茶碗の中の一粒の米粒から、多きな事まで見えて来るだろう。
小さな事を見落として、間違った教育がどんどん進められ
全ては自分中心の世界となって行くのだろう。

あの、個人の自由を守る為に、銃と自由が混在している
我が身は我が身で守れ的な、住む人々の貧富の差が異常なぐらい激しい
人の心を持たない、他民族国家は抹殺しても構わないと動き
略奪と侵略ありし国家、鬼畜思想の野蛮なアメリカ合衆国のように・・・