郊外型ショッピングモールが増え、道外資本の家電量販店が増え
人々の向く方向、流れが変わっても、あとを継ぐ藤本さんも頑張って
おられますし、原さんも頑張っておられます。
冬になれば、寒かろうと鹿のオブジェにマフラーや毛糸の帽子
それとそれと優しい気持ちを一緒に被せてくれる人達も住んでます。
このまちは、高層マンションが建ち並ぶ大都会地域とは違い
まだまだ人々の優しさが残っていますから、捨てたもんではありません。
努力次第では、美しい日本国の、みほん都市と成れる可能性を秘めています。
産業の振興と地球温暖化に歯止めをかけようと、遂に本格的に動き出しましたね。
依田勉三爺の魂が、此処に住む者達にまるで憑依したように、我々が成し得ると
強い使命感を携えながら、バイオマス・バイオエネルギーの量産研究に力を注ぎ
寝る間も惜しみ果敢に挑み続けています。開拓のはじめは豚とひとつ鍋
開拓の地に住むものとして、とても誇らしく勇敢で立派だと思います。
ただ、あまりにも人々の心が優しすぎるから、人と人との関係を大切にしたいから
揉め事に成りそうな話し合いをあまり好まないので、未来性のある新しい道を見付けても
いつも、無意識の悪意ではありましょうが、力のある者達に邪魔されて、ついつい
後戻りの横道、枝道に逸れてしまいます。
企業から借りる契約で建てられた、ビルの谷間に埋もれた文化ホール
等々の問題も含み、百条委員会も開かれたが、なにも解決には至らず
その意味すら無駄な時間、無駄な経費を使っただけに過ぎなかった。
ただ樹木を植えるだけで、森は形成されると学者も役人も錯覚していたのか
樹木を愛する心があれば、真っ先に考え付く事だろうが、樹木は生き物であり
成長するものだと森の未来すらも計画に入れずに、まったく無計画な侭で進められ
しかも、広げることばかりを考えて、多額の費用を使い土地の買収をして
終いには、もう植林はしません、邪魔になりましたからと、人間の都合で
呆気なく切り倒されてしまうそんな始末、今度は遊歩道とか言い出すし
人間の都合でどうにでも動かされてしまう、まるで死んだ森と化した帯広の森
里山と言うものは、ご神木と言うものがあり、其処に神が宿っているものであり
そして、宿る神が居てこそ鎮守の森として、集落を守って下さるのではありますが
人の都合で木を切ったり、植えたり、抜いたり、あの森には、決して
神は宿らないでしょう。その代わりに、おかみ、いわゆる権力の上に立つ
役所と天から下った有象無象が、いつまでも宿る事でしょう。
だけど、本当に森を守ろうと、見返りを求めずに献身的に頑張っておられる
心の優しい人達も確かに居る事が、一つの救いなのかも知れません。
ただ、心配なのは、動いてくれるからと便利に良いように使われて
やがて役所は、ああすれ、こうすれと、命令を下すだけとなり、
市が市税と国の税金を使いながら計画した森造りでありながら、
年数十日ある休日でさえ、市役所職員はただ一度も動ける者全員を招集し
現状のように、我々には関係ないみたいな顔をして、森を守ろう愛そうとする
本当の森造りをしている人達と、一緒になって森を育む事なく、
彼らだけに森の育成を任せ、終いには、彼らも人間でありますから
心底疲れ果てて、森から撤退してしまう、そんな心配も湧いてきます。
部署が違う、役目が違う、そんな縦割り意識が市役所職員にありますから
市民に協力を要請しても、心の優しい人達しか集まらないのでしょうね。
頭に立つ人間がいなくても、声を掛けるだけで自然に人が集まらなくては
みんなの森なのですから、本来は、いけないのでしょうね。
奉仕、献身、誠実、信頼を元に、そこから生まれる誠の愛は
見返りを求めない、苦労を苦労とも感じない人の優しさ献身を生み出し
心と心の結び付きは、国民の全てが、心から結ばれる
名実ともに、美しい国と日本国が生まれ変わったならば
やがて、単なる我が儘な個人的な欲望を駆り立てられ、
ある者達から放たれた、憑依されていた人達も
やがてこの国土に真の姿となって戻って来るのでしょう。