こんばんは!
前回は、幼稚園・小学校時代の料理や食環境のことについて書きました。
今日は、前回の続き〜中学二年の途中に転校する前までのことを書きます![]()
前回の予告で書いた、
「中学生の頃、料理のことで嬉しくない出来事」は大きくわけて二つありましたが、その中の一つは「自分で作って、学校に持参していた(給食がない学校でした)お弁当🍱のこと」です。
同級生のほとんどが、親の手作りのお弁当を持参していた中、なぜ自分で用意していたのか。。。
初めてお話することばかりで、明るくない話も登場しますが、今回以降も書くなかで、少しでもどなたかの助けになったら、とても嬉しいです。
実は、住んでいた千葉県から転校することになった理由は、両親の離婚です。私が小学生の頃には、家庭はすでに崩壊していました。
離婚の理由は複数ありましたが、金銭面も大きな理由でした。
当時、水洗トイレの家が大多数の中、私の家は水洗トイレではなかったです。。。
服はいとこからのお下がりが多く、自宅にゲーム機もありません![]()
唯一ありがたかったのは、三年間スイミングに通えたことですが、塾には行けず、大学も行く必要はないと、当時の父から言われてしまいました![]()
当時の母は、かなりストレスを抱えていて、私についても否定ばかりでした。
テストで100点をとっても、褒められることは一度もなかったです。
ある日、母が自殺を考えていることを偶然知ってしまい、ショックを受けます。
やはり自分の親です。なんとか生きていてほしいと思いました。
家に帰って安心とか、家の中があたたかいという環境とは無縁の中、小学校を卒業し、中学校に入学しました。
中学が給食ではないと知った母は、自分がいなくなることを考えているからか、家事も出来るように育てたかったようで
「お弁当を自分で作りなさい」の一点張りです。
その時は、愛情をかけられていない気がして悲しい気持ちになりましたが、自分で作ることになりました![]()
その当時の私は今とは違い、料理をすることが特に好きではありませんでした![]()
当時好きだったことといえば、小学校の頃と特に変わらず、運動や音楽、友達と交換日記をしたりすることでした
料理は、「じゃがいもの皮は、包丁でなんとか剥くことができる」という状態です![]()
お弁当を作るといっても、スマホはまだ存在していない時代です。
今のように、レシピサイトや動画を見たりすることは出来ません。
料理本は家になく、図書館も家から近くない場所にありました。
現在、コンビニで見かけることがある、パックに入った豊富な種類のお惣菜もなかったはずです。
慣れない中のスタートで、当初はお弁当の仕上がりは美しくなく、ぐちゃぐちゃです。ふたで隠しながら食べました。
他の同級生がきれいな見た目のお弁当を食べる中、情けなかったし、本当に恥ずかしかったです。お弁当といえば、今でもこの時の苦い記憶を思い出します。
しかし、その中、今振り返ると「食の道に進みたい」と20代の頃から考えるきっかけとなった出来事がありました。
中学一年の後半、家庭科(食物)の授業の時のことです。
班長だった私は、班ごとで行う調理実習にむけて、たまたま予習をして授業に出席しました![]()
そのことを知った家庭科の先生が嬉しそうにほめてくださったのです![]()
家で褒められた経験がなかったため、とても嬉しく、やる気がアップしました。
通信簿でも5(5段階評価でした)を頂き、嬉しかったことを今でも覚えています。
この時、先生から褒められた経験がなかったら、食の道には進んでいなかったかもしれない。。。今でも本当に感謝しています。
家庭崩壊した中、金銭面も裕福ではなく、将来の夢も描けず過ごしていました。
裕福ではない環境で育ったことは、コンプレックスだと、長い間ずっと思っていました。
しかし数年前に、友達の発言がきっかけとなり、コンプレックスだと思っていたことが、実は自分の強みかもしれないということに気づきます。
どんなことに気づいたのかは、今後の何回か先のブログで少しずつ書きます![]()
最後まで読んでくださり、ありがとうございます![]()
今回の写真は、内容に千葉県のことが出てきたため、当時の私が住んでいた地域の「あじさいねぎ」が写っているものにしました。
野菜ソムリエプロに合格後、2013年野菜教室「ねぎ」に初めて参加した時の写真です。
千葉県に住んでいた当時は、近くにねぎ畑にありました。その頃はあまり好きではなかったねぎですが、今は好きです![]()

