福岡市出身の医師・中村哲
アフガニスタンで人道支援に尽力し、2019年12月4日、現地で凶弾に倒れこの世を去った
「百の診療所より一本の用水路を」の言葉を心に刻み、15年以上もの間、用水路建設に従事し続けた
中村医師は、干ばつに見舞われたアフガニスタンの地で、医師でありながら白衣ではなく作業着を身にまとい、人道支援活動に尽力していた
築き上げた9つの用水路の周辺は、約1万6,000ヘクタールが緑化され、アフガンで暮らす65万人もの自給自足を支えている
以上記事一部抜粋
記事一部抜粋
駐日アフガン大使「完全な崩壊の瀬戸際」
中村哲さんの銃撃死から3年、命日に捧げる祈りと微かな希望 南龍太記者 12/3(土) 7:00
駐日アフガニスタン大使館のシャイダ・モハマド・アブダリ(Shaida Mohammad Abdali)大使が先月、東京都港区の大使館で取材に応じ、タリバンに政権が掌握された昨夏以来の複雑な心境を語った。
米軍が撤退した今、寄る辺ない状況下でのタリバンによる国家統治に不安を覚える国民は数知れない。国外に逃れる難民は依然として多い。
アフガニスタンからの難民を多く受け入れてきた欧州各国に比べ、難民認定のハードルが高い日本。果たすべき役割について、窮状とともに大使が訴えた。
以下省略
日本は難民に冷たい国で有名
ウクライナの人たちは難民ではなく
避難民と区別した言い方をします
何故なのでしょうか
東洋経済 記事 一部抜粋 2022/06/09 6:00
なぜウクライナだけ?
放置される「難民申請者」「扱いの違い」に愕然とする支援者の声
以下省略
勉強しなければいけません
日本は平和ボケの政治家が政治を行っているので国民は
同じ様なボケだらけです
同じに成ってはいけません
生きている限り人は勉強しなければいけない
人生とは学ぶことが多い
12月4日命日
過ぎてしまったけれど
もう3年が経った
速い
本当に国葬にすべき偉人だった中村哲氏