萩尾望都の衝撃? | 銀盤の星達

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本の事は全然知らなかったので

 

毎日新聞の中森明夫氏の記事を読んでビックリしてしまった

 

竹宮恵子の本も当然知らなかった

 

某大学に教授でいたのに全然興味が無かったからである

 

「風と木の・・」がBLの先駆け?なーんて思ったことが無かった

 

リアルタイムで読んでましたけどねてへぺろ

 

結局はあとづけなのではなかろうか?

 

時系列で調べてしまった

 

何時描かれたとか

 

当時は誰が有名だったか?とか

 

全ての漫画を網羅して読んでいた・・・・らしい私てへぺろ

 

当時の同級生は「全部読んでる流石~」と言われた記憶が有る

 

zzz

 

1971年の作品に好きな作品が有る

 

「精霊狩り」(シリーズ)クラッカー

 

これは萩尾派となった原因であるかも?

 

続編は無いのだと今回知ったガーンえーんえーんえーんえーんえーん

 

ポーみたいに有るかなぁと期待していたのにえーんえーんえーんえーん

 

同年に竹宮惠子は「空が好き」が有る

 

「空が好き」を好きになった人は竹宮派に成ったのではないか?

 

と思う

 

モット前から2人の作品は読んでいた

 

しかし2人が世間で認知され出したのは此の頃だった様に思う

 

当時の少女漫画家でトップは他に居た!!

 

24年組というのも後付けだと思う

 

物凄く多いよてへぺろ

 

24年というとウシ1949年

 

23年ネズミ1948年とか25年トラ1950年も入るのかな?

 

萩尾作品で物凄く覚えているのは「トーマの心臓」

 

連載が始まった時

 

漫画友達が面白くないと言った事

 

私の感想は違っていた

 

これからどうなるのか解らないから期待してワクワクしていた

 

最初から決めつけるのは違うマダ1話目なのに?

 

そう思ったことを鮮明に覚えている

 

だが言えなかった

 

私の性格は萩尾望都に似ている・・・・のかもはてなマーク

 

そして其の後の評価や人気は

 

私が期待していた通りに成ったクラッカー

 

竹宮惠子は良くも悪くも「風の木」以降は

 

「風の木」のイメージが付いて回っていた様に思う

 

其の後の作品を思い返しても

 

影響を受けたのは竹宮恵子の方だったと思う

 

20歳ソコソコの頃

 

同じ目標に向かって切磋琢磨している時

 

そこには色々な嫉妬や羨望が有る

 

絵の世界で生きているので解る

 

萩尾望都の才能に驚愕した

 

(自分の方が上だと思っていたのに)DASH!

 

其の時に既に負けたのだ

 

それを認めたくなかったのだ

 

そして未だに謝罪していない

 

萩尾望都はアーティストである

 

未だ現役で描いている

 

かたや竹宮惠子は描いていない

 

おすましペガサスおすましスワンふんわりウイングゆめみる宝石ふんわりリボン乙女のトキメキうずまきキャンディぽってりフラワーふんわり風船星ぽってり苺ふんわり風船ハートバレエリボン

 

本をマダ読んでいない

 

読んでから色々と書こうと思う

 

解っているのは

 

いじめた側は忘れてしまうがイジメられた方は死ぬまで忘れない

 

という事だろう

 

フォローしてね…

 

萩尾望都の衝撃=中森明夫

衝撃的な本を読んだ。

萩尾望都著『一度きりの大泉の話』(河出書房新社)である。萩尾は巨匠漫画家だ。1969年のデビュー以来、人気を博し、少女漫画家として初の紫綬褒章、文化功労者にも選出された。

 今作は漫画作品ではない。回顧録である。福岡県から上京した萩尾は70年から2年間、練馬区南大泉の古い長屋で同学年の漫画家、竹宮恵子と同居生活を送る。ここに寄り集う同世代の女性漫画家からは、その出生年(昭和24年前後)から“花の24年組”とも称され、後に“大泉サロン”とも“少女漫画家版トキワ荘”とも呼ばれるようになった。

 しかし(トキワ荘と異なり)、奇妙にも当事者である萩尾や竹宮の詳しい証言がない。2016年、竹宮は自伝『少年の名はジルベール』(小学館)を上梓(じょうし)、初めて萩尾との顚末(てんまつ)を明かした。73年に一方的に「距離を置きたい」と通告して関係を断ったのだと。そこには萩尾の才能に対する恐れや嫉妬があったとも明かしている。

以下略

 

チョッと違和感が有るのは

 

少女漫画家版トキワ荘はてなマークと言う所

 

ココには手塚治虫氏の様な漫画家は居たのでしょうか?

 

何か違う様なはてなマーク