庭を作る(考える)5では、人工芝を書いた。人工芝はなぜか広告が天然芝を意識するためか、緑が強調され、そこに、アイテム(犬・こども・ねころぶ女性)が並べられる図が多く、広告の常套手段の見本のようなものをみかけることが多い。それで、勝手にこちらが「気持ちいい〜」と想像してしまうのが、コワイ(笑)

 

今回は「天然芝」を見てみたい。これも、欠点は多い。だいたい、人工芝を支持する方が天然芝の欠点を挙げるときに言われることが多いのだが、ソレ以外にも、枯れ芝が雨などで流され、溝に詰まったり(枯れ葉や枯れた花びらなども同じだが)、アリが巣を芝生の中に作ってみたり、陽のあたらない部分の芝生が枯れたり、芝の茎が横に伸びて、手入れがメンドウだったりすることはある。これは植えてからのハナシだが。ソレ以外にも、外かあ飛んできた植物が芝の間に芽を出したりするので、これを「雑草採り」するのがメンドウ、となるのだろう。しかし、この「芝の間の雑草を額の汗を腕で拭いながら採る姿」がステータスでもある(笑)

 

さて、

冗談はさておき、この天然芝を植栽していくにも、人工芝同様の「土壌づくり」から入る。こちらは、ホンモノの植物を植えるのだから、土台になる土の管理が必須だ。

 

<参考サイト:芝生生活>

芝生の植え方(張り方)

芝生の手入れ・育て方

 

ワタシは以前にも書いたとおり、芝生のある家で育ったので、張り方はあまり詳しくはないが、手入れ・育て方はこのサイトが非常に詳しく書いていると思う。当然、全部が全部、同時並行的に行うことは不可能なので、季節ごとのちょっとした休日に半日程度の時間は必要になる。逆に言えば、「庭を持つ家」ならばその程度は当然のこととも言えるのだ。最近は敷地目一杯に建物を建てる、「狭小住宅」のような家が多いため、「家に庭」なんてのはもう、みかけなくなったかもしれない。特に都心部やその周辺の住宅ではみかけることはない。そんなヒト達の感覚・時間感覚をスタンダードにされると、「大金を出して、庭のない家かぁ〜」と、現在のワタシのような感覚になるのだ。。。 あら、脱線!

 

もとい、

芝生を植える前に、土壌をしっかりとさせることは、人工芝よりも大切だ。生き物がその上で生きるからだ。その「整地作業」はリンク先が詳しい。特に傾斜をつけるところなども、人工芝を張るときと変わりはないが、「砂が多い方がいい」というところは異なる。排水用の「暗渠排水」作り方についても詳しく書かれている。ヂツはこのあたりも、人工芝であっても気を遣いたい部分なのである。これがしっかりとできていないと、芝面に水たまりができ、雨が上がっても、「長時間の水たまり」が出現することになる。人工芝の場合、「見えないところ」なので、このあたりがいい加減に処理されるケースが多い。芝は「高麗芝」か「TM9」というのが常道のようだ。ワタシの生家では「高麗芝」だった記憶がある。

 

張ったあと。

ここを「メンドウだ」とするヒトが多い。こういうヒトの特徴だが、「庭」を持ったことのないヒトなのだろうと想像する。生活の中に「庭いじり」が溶け込んでいないヒトだ。そういうヒトが突然、「庭」を持つと、こういうことをいい始める。おそらく、部屋の中の花も活(い)けていないようなヒト(笑) 「生活に潤いがないヒト」なのだ。あらら。。。 また脱線!

 

参考サイトにも書かれているが、キホンは「芝庭の手入れの基本は、芝刈り、水やり、除草、肥料」ということで、草花と変わりはない。寧ろ、バラなどよりは殺虫剤などの散布もあまりなく、手入れはしやすいのではないだろうか。あえて言うなら、「芝刈り」か。しかし、この時代、植木ハサミでやるヒトはもういないだろう。Amazonあたりでも、手押しの「芝刈り機」は低価格で販売されている。カラカラカラ〜と転がすだけで、芝生表面の高さが整形されるので、気持ちもいい。いまは、その刈った芝も袋に入るものもある。芝に水をやること。ときどき肥料液を撒くこと、そして、雑草を採ってやること。これを毎日やるのではない。気が向いた週末などにまとめてやればいいだけのことだ。

 

ワタシが未だ関西に住んでいた頃の、両親との日常の生活だった。母親と笑いながら雑草を抜くのを手伝ったり、アリの巣を観察したり。父親・兄と芝刈り機を交代で廻したり、肥料を撒いたり、枯れ芝に火を点けて山焼きよろしく燃やしたり。それはそれで、子供の教育の一貫ではなかったかとも思う。

 

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