朝になる頃に眠ってお昼に起きる生活を
どうにか直そうと昨日から起きてみたのだけれど
結局眠ってしまったので意味がない。
試しに21時に布団に入って眠ろうとしたけれど
中途半端に目覚めてしまった。

楽しくて寂しいことに疑問がなくなったのは
いつからだろうと考える。いつのまにか。
受け入れられるようになってしまったのだろうか。

ひとつの公演が終わった後のぽっかりとした気持ちが
高校の演劇部時代はとても苦手だった。
次の公演への準備が始まるまでの。微妙な空白。
はやくみんなとお芝居づくりがしたくて。
でもできないから。終わってしまった感覚に。
じわりじわりと蝕まれるようなあの感覚。
今思い出してもなんともいえない。

失ってから気づくことよりも、
気づいていても失ってしまうことの方が、
多いのではないかとずっとずっと思っていて、
でもそれを考え始めたときにはもうすでに、
受け入れてしまっていたのだろうか。

子どもの頃、まだ小さいとき、
友達と楽しく遊んでいる中に突如現れる、
もう帰るよ、が受け入れられなくて、
とんでもなく泣いていた。たぶん。
うっすらとだけれど自分でも憶えている。

それがだんだん理解できるようになって。
ある程度の時間になったらまたねって言い合って。
小学生の時にはみんな帰れるようになっていて。
でもきっと楽しかったよりも、終わっちゃったの方が
自分の中では大きくて。それはたぶん今でも。

楽しくて寂しいことが当たり前になっていって
時間の流れに逆らえないことなんて分かりきっていて
だからもう泣いちゃうことはないんだけれど
それでも乗り越えられるのは
また会えるってわかっているからなのか
それともわかっていたいだけなのか
そこはちょっとわかんない。

ただひとつだけ言えるのは、小学生の時の転校は、
2度と会えないくらいの大きな大きなコトだったけど。
だんだんと大人になっていくにつれて、
それは嘘だって言うのがわかってしまうようになった。
だって会おうと思えば会えるのだから。

でもそれと同時に、また会いたい気持ちも、
会いにいく気持ちも、少しずつ薄れているように思う。
自分の知らない時間を過ごしていて。
自分の知らないその人になっているのが。
当たり前にわかっているけど。わかっているから。
少しだけ。寂しいのかもしれない。

なんて言うと、考えすぎだと、
笑ってもらえるのかもしれないけれど。
でも、ほんとうだから。きっと。

あのとき言ったまた会おうねは
嘘なんかじゃなくてずっとほんとうで
想い出もちゃんと綴じてるつもり。

でもそれはきっと少しだけ約束のようなもので。
少しだけおまじないのようなものなんだろうと思う。