こんにちは。

すっかり秋めいていますね。
はやいものですイチョウ

こんな風に気温や季節の移り変わりがわかること自体、ふつうのことなんだけど、それがわからなくなっていたんだなぁ…と感じます。

今年の夏はどんなだったか、聞かれてもほとんど答えられません。(1ヶ月半ほど、週に1.2度しか外へ出ませんでしたので)


おやすみ中ですが、もともと「やすむ」こと自体に抵抗がありましたので、初めは、どうしよう…と、なにかしないと、と本や参考書を買ったりして眺めたりもしたのですが、実際はベッドの上でぼんやりしてるばかりでした。
(初期にすこし眠剤を飲んだのでそのせいがあるとも思います。これはまた別の機会に記載します)

旅行でもなんでも好きなことなんでもしなさいと医師には言われましたが、(元々そう言われたからって大喜びでやるタイプでないと先生も思ってらっしゃったのでしょう)
起き上がってもテレビは付けず、なんとなくぼうっとしているだけで時間を持て余して月の前半は過ごしました。

でも不思議と、時間はすぐに経ってしまって、いちにち何もすることがなくてどうしよう、というふうにはなりませんでした。
やはり、色々行き(息)「詰まって」いたのでしょうね。
1日はとても短いものだったんだなと感じました。

会社にいるときも、時間が過ぎるのは確かに早く感じていましたが、
朝早く行っても夜も残って、ふと気がついたらまた会社にいて…でもやることは全然終わらなくて。
作業中はそんなに体感ないのですが、振り返ると長くてしんどかった、でもまた数時間後にはそれが始まるんだという感覚でした。
分刻みでスケジュール動いていたので、時間ばかり気にしていました。


でも、休んでからは、用事がないので殆ど時間を気にしなくなりました。テレビもつけずに、ぼうっとして、昼寝には明るすぎるのでカーテンを引いたら、ふと目が覚めたときには外は真っ暗という毎日。
それでいいやと思って、というかなにもする気力がなかったので、そうやってやり過ごしました。

社内で休職を知らない方から心配の連絡が多く入ってきてましたが、来週はこれる?◯日飲み会だよ、という内容で、こちらから否定したり断らないといけない返信内容になることがしんどく、2.3日に一度まとめて対応していました。

こんなに1日は短いんだから、その日に出来ることや進む仕事なんて実は物凄く微々たるものなんだいうことに気がつきました。
その中で突然道が拓けたり、ぐぐっとビジネスが進展するのでしょう。
だから、毎日、やる必要があるんだ、と。大変だな、とどこか他人事でもありました。

当然ぼうっとしていると、、おととい、くらいまではなんとなく分かるのですが、だんだん、その前の日はどうしてたっけ?おとといだっけ?その前だっけ?と記憶が曖昧になってきます。

思い出せたところで特別なことはしていないので特段重要なことではないのですが、まずはじめに何日、何時だからこうしなきゃ、何をする時間だ、など意識するのはやめました。必要がないので考えなくなった、という方が正しいのですが。

とりあえず、日記をつけることにしました。
日記といっても、体験記や闘病記録にみるようなまともなものではなくメモ程度です。

天気、昨晩寝た時間と今朝起きた時間、食事をすればその内容、単純に気分、特別やったことがあればそれを。嫌なことを考えたときはそれをそのまま書きました。後で読んでもなんのことかわからない記載も多いです。
記載を忘れても、書くのを忘れたってことはそこに意識がいってなかったんだな、といい目安になりました。
丸一日寝ていてほんとうに書くことがないときは、何もせず寝ていた。と書きました。


8月は、他人と約束して外出したのは、定期的に会っている仲間とのランチと、療養に入る前にとったチケット制のイベントのみです。(同行者には病名を言いませんでしたが休んでいることは話してました)

気分がすぐれなかったり、決めた予定どおりにできないことそのものがストレスになりそうだったので、完全フリーダムを心がけていました。


現状の詳細は身内では姉妹にのみ話して居りましたので(親には余計な心配をさせたくなかったため)、なにかあればそこだけには伝達するとして、ほかには殆ど連絡を取らずに過ごしました。
一定期間休むことを仕事の付き合いの方へひと通り連絡し終わるとほとんど連絡がくることはなくなりました。
不思議と心は落ち着いていました。忘れられたくない、距離が開きたくない思いと、このままなかったことにしたいような曖昧な気分でした。


おもいつくままに記載しましたのでざっくりですが、続きます。

お付き合いいただきありがとうございますショボーン