ファミリー
思いっきり泣きたい!
昨夜遅く家に帰ると、家の者がTVでビデオに録っておいた「30人31脚全国大会2005」を観ていた。私はこういった「触れ合い、感動系番組」が大嫌いである。泣かせよう、感動させようと制作しているTV局側の思惑が鼻につくからである。しかしだ、世の中にはこうした番組が非常に好きな人が多いらしい。家の者は、敗れて泣いている子供達の姿を見て、一緒になって目をウルウルさせている。そして番組の後半に、これまでべらんめぇ調で子供を厳しく指導してきた近所のオバサンが敗れた子供達に向かって「みんなどうもありがとう、ほんとうは全国大会に連れてきてくれて、感謝していたんだよ」と、感謝の言葉を述べるシーンが訪れた。番組最大のクライマックスシーンである。TV局としてはここで泣いてもらわないといけない。感動的なバックグラウンドミュージックも流れ出し、スタジオのゲストも泣いている。視聴率はここできっと20%はゆうに超えているだろう。家の者ももう大変な騒ぎである。大粒の涙を惜しげもなく流しながら、声をあげて泣いている。そこで私が一言、「えっ、何で泣いてんの?」。これがいけなかった。余計なことを言って、その後ひどい目に遭い、何度後悔したことだろう。「だから、あなたは人の気持ちがわからないっていうのよ。あなたには純粋さがないのよ~。この子供達の涙をみて何も感じないの~」。また始まった。いつものやりとりである。私はもうこの会話には辟易しているので、黙っていた。そしておとなしくその部屋から退散しようとすると、「いつもそうやって逃げる。純粋に感動できない人間って最低!」とまで言われてしまった。私は純粋に感動もできない最低な人間なのだろうか。いや、そんなことはない。私も感動はするし、涙も流す。ただ、いかにも泣かせましょう、笑わせましょうとミエミエの安っぽい演出によって作られたものが嫌いなだけなのだ。世の中の酸いも甘いも経験した大人がそんな安っぽい演出に泣けるか、と言いたい所をグッとこらえて私は退散したのであった。人が見えないところでそっと涙を流す・・・それが大人の男というものなのだ。そんな男の中の男である私が毎年年末に観て、男泣きする映画がある。それは、また明日。
殿下
今日の通勤途中で目にした電車の車内広告に気になる記事の見出しがあった。「皇太子ご夫妻への風当たり」と題されたその見出しによると、またいろいろと皇太子/雅子様の行動や発言が宮内庁関係者をはじめとする関係各所に波紋をおこしているらしい・・・。実は、私は皇室ハプニングにはぜんぜん興味は無いのだが、皇太子様に関しては別である。なぜなら、皇太子様と私には運命の出会いがあり(覚えているのは私だけで、皇太子様はとっくの昔にお忘れになっていると思うが)、浅からぬ因縁があるのだ。遡ることウン十年前、大学に入学した18歳の私は、新入生全員に課せられる体力測定の受けるため、大学内の校庭でその時を待っていた。最初は50メートル走であった。私は自信満々であった。何を隠そう、私は中学、高校と陸上部に所属し、「走る弾丸」とまで言われた男だったのだ。高校3年でエレキギターに狂い、体育会系から超文科系に移行したとはいえ、中学で高尾山の山登りマラソンまで制覇した私にとって50メートル走など汗ひとつかかない片足ケンケンでも一番を取れる競技だったのだ。「第4コース●●くーん」、担当の先生が私の名を呼んだ。いよいよである。私の走りっぷりに皆度肝を抜かすことだろう、と私はいかに目だって勝つかということばかり考えていた。すると、「第5コース、殿下」と先生がコールするではないか。でんか?なんだでんかというものは・・・。私は恐る恐る隣を見た。そこには麗しき現皇太子様が立っていたのであった。私は驚くと同時に内心ほくそ笑んだ。「殿下に勝つなんて皆に自慢できるもんねー」。そうである、私は走る弾丸なのである、陸上に青春の一部を捧げたのだ、負けるはずが無い。バーンっと、けたたましくスタートの合図が鳴った。私は弾丸のように飛び出し、カモシカのように走った。これまでは私の前に走るものなどいなかったので、人の背中が見えることなどなかった。しかしである。な、な、なんと、殿下が走る弾丸の私の前を颯爽と走っているではないか。私は加速した。カモシカではもはや駄目で、私は走るピューマになったはずなのだが、殿下は悠然とゴールラインを私より速く駆け抜けていったのである。私の人生に土をつけた殿下、軋轢に負けず頑張って雅子様を守ってあげてください。
本当の愛を教えてくれる映画
唐突であるが、本当の愛とは何なんだろうか・・・と、考えたことがあるだろうか?? また、恋愛と結婚は同じなのだろうか?それとも・・・。何で、こんな問い掛けをしたかというと、昨晩久々に映画「ポンヌフの恋人」をビデオで観たからである。私は多感な十代の後半からずっとこの命題の答えを長い間探してきた。あまりにも難しい命題のため答えを出す前に結婚してしまったし、あれもしたし、これもしてしまった。しかし、私はこの「ポンヌフの恋人」を観て、ついにその答えを知ったのだ~。当初この映画が日本で単館ロードショーとして公開された時、多くの若い女性が詰め掛け、異例のヒットをした・・・と私は聞きつけ、「なんだ、また男と女が運命の出会いとやらをして、あれこれありながらも、めでたくゴールインする映画だろ」と馬鹿にしていたのである。なんという馬鹿、バカ、バカ・・・、私は馬鹿だった。この映画こそ私の求めていた答えだったのにぃー。この映画は、浮浪者同士の愛を描いている。ハイ、もうこのシチュエーションで私の涙腺は緩みっぱなしである。積年の命題は正にこのシチュエーションだけで答えが出たようなものである。浮浪者の愛こそ正に本当の愛そのものではないか。浮浪者は物質的に何も与えることができない、きれいな指輪もおしゃれなレストランもシティホテルとも無縁である。そもそもそうでなかったら浮浪者になぞならない。浮浪者同士の愛とはつまり、物質的な見返りを求めない「ただ自分の気持ちを言葉や態度でのみ伝える」愛なのである。これを「本当の愛」といわずして何と言おう。マザーテレサも思わず「参った」とおっしゃるだろう。そう考えると、この世に本当の愛なんて存在するのだろうか?私は「無い」と考える。だって、全く打算無き愛などというものは、存在しようがないと思うからである。しかし、私のスケキヨに対する愛は本当の愛ではないのだろうか??そんなこんなを考えだすとまた眠れなくなるのである。本当の愛がこの世に無く、芸術の世界にのみそんざいするものならば、私はまた、あれもして、これもしてやろうと不埒な妄想に取り付かれてしまうのである。
白い色は恋人の色
自首してしまうのではないだろうか。ベッツイ&クリスはハワイ出身の1952年生まれである。そういえば、先日お酒をゴチソウになった(といっても会計の端数300円は支払いました)ジョームも1952年生まれであった。ジョームの白い色は何の色なんだろうか???
文鳥と音楽と麻雀と・・・
また、懲りずにblogを始めてしまった。いつまで続くことやら・・・。
これまでの僕は仕事以外の時には、「音楽を聴いているか」、「レンタルDVDの映画を見ているか」、「ネット麻雀をやっているか」のどれかであった。僕は出かけることがあまり好きではないので、休みのときはコンビニか中古レコード屋に行く以外めったに外出はしない。だから、家にいて楽しめるもので暇をつぶしていたわけである。その私の生活が今年になって激変した。スケキヨが我が家にきてからというものの、私の生活の中心はスケキヨになってしまったのである。スケキヨは文鳥である。桜文鳥のオスである。私の好きな飲み屋も「さくら水産」である。そんなことはどうでもいい・・・
とにかくスケキヨが可愛すぎてたまらんのである。正直に言おう、僕はこれまでに動物を可愛がったことはないし、自分にそんな動物を愛する優しい感情があるとは思っていなかった。昔付き合っていた女性に「ねぇ、私の猫カワイイでしょ~」といわれた時も、「うん、かわいい、かわいい」と言いながら、陰ではその猫を虐めていた男である。しかしスケキヨと出会って私は変わった・・・。甥っ子を京王デパートの屋上に遊びに連れて行ったときに運命の出会いをしたのである。小さなかごに入れられたスケキヨがこっちを見て「ピー」と泣いたのである。私も泣いた。そして我が家の一員になぁつたのである。うーっ、神様有難う~!
ということで、このブログはまだまだ続くのである
