七つの海をバタフライ -吉川晃司ブログ-

異彩を放ちまくりながらも逞しく泳ぎ続ける吉川晃司。
全てのロックレジスタンスどもへ バーボンを傾けながら・・・。


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平成24年10月16日、K2 NET CASTに最終報告がアップされた。
COMPLEX「日本一心」における東日本大震災被災地への義援金寄付に関する報告が。

ちょうど一年前の今日、それの第一報が同サイトにアップされている。
一筋縄で行かない現実に悩む姿とともに。
http://www.kikkawa.com/document/111231.html

震災直後、GW前に吉川が決意したこと。
それは太陽が西から登ってもあり得ないとまで言い放ったCOMPLEXの復活。

自分にできることとは何か。
現地に向かい知ったからこそ知った現実。東京に戻り各方面から情報を集めることで知った現実。
それを踏まえた上での出した答えは一円でも多く被災地に支援をすることだった。

結果として、集まった寄付額は6億7千8百万余り。
吉川晃司と布袋寅泰の決意に賛同した僕らがライブへ行き、DVDを購入するという行動の結果だ。

COMPLEXはそれを3回に渡って、東北への支援につなげてくれた。

■平成24年2月3日に第一弾
http://www.kikkawa.com/document/120203.html

■平成24年2月14日に第二弾
http://www.kikkawa.com/document/120214.html

■平成24年10月16日に第三弾
http://www.kikkawa.com/document/

東北に住む被害を受けた子供たちのため、被災が大きかった石巻市・気仙沼市ため、被災地で新たに事業展開を行う人のため、東北の安全を守るための人材育成のため。

集まった想いを少しでも有効に活用される方法はないか、熟慮の上で出された結論。
それは被災者に正しく届けられるようにしっかりとした形で示された。

だが、忘れてはいけないことがある。これが終わりではないということだ。
震災はまだ終わっていない。

17年前に起きた神戸淡路大震災。たった一年半では元通りにはなっていなかった。
ビルが建ち並んでいた三宮はまだ輝きを取り戻せず、被害が大きかった新長田は空き地だらけだった。そして、大きな傷を負った子供たちの心。

政権が変わり、舵が切られることとなった僕達の日本。
大きな岐路に立たされている今、もう一度、吉川が広めてくれた日本一心の言葉の意味を思い出す必要があるのではないだろうか。

日本一心というのは皆で手を繋ごうということではないということを。
この岐路に立たされている日本を受け入れてた上で一緒に考える機会を持つ機会を考えませんかということを。

20110703031のCOMPLEX 日本一心は決起集会だと吉川は評した。

あの日、あの場所に集まった僕達は決して忘れてはいけない。
吉川の想いを。そして、想いを形にするという大事なことを。

2013年も僕たちは立ち止まれない。
走りださなきゃ始まらない。
自分のペースでもいいから走りださなきゃ始まらないんだ。

出来ることでもいいから、2013年も想いを形にして届けないといけないんです。

日本一心を決して終わらせない。
あの時、あの場所で味わった感動を知る僕たちは。

来年も走り続けましょう。
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吉川晃司、新レーベル旗揚げ&決意の新曲SAMURAI ROCK
(ナタリー 2012年12月11日)
http://natalie.mu/music/news/81362

吉川晃司、ワーナー移籍 初の個人レーベル「SAMURAI―」設立
(読売新聞Web 2012年12月11日)
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20121210-OHT1T00036.htm


$七つの海をバタフライ -吉川晃司--samurai rock



吉川晃司がワーナーミュージック・ジャパンへ移籍し、新レーベル「SAMURAI ROCK」を設立。さらに移籍第1弾シングル「SAMURAI ROCK」を2月13日にリリースすることを発表した。
(上記ナタリーより抜粋)



ついに吉川の新たな音楽活動が本格始動する。
「日本一心」COMPLEX再結成ライブ&自身のツアー、「るろうに剣心」映画出演、舞台「陽だまりの樹」出演、書籍「愚」の発表、AP Bankフェスへの参加などなど、2011年の東日本大震災発生以来、吉川の活動は多岐に渡ったが、自身の新たな音楽を創作・発表が難しいほどに、多忙な2年間であった。
この2年で発表された音源も、ベスト盤「KEEP ON KICKIN’!!!!!」「KEEP ON SINGIN’!!!!!」、シングル「あの夏を忘れない」、と既存の作品に新たな息吹を吹き込む形式であり、本格的な新しい創作活動は久々と言える。

新たな活動の場として、吉川はワーナーミュージック・ジャパンへ移籍、さらに同社初の個人レーベル『SAMURAI ROCK』の設立が発表された。


思えば吉川の音楽活動はレーベルを渡り歩く流浪の遍歴とも言える。
SMS→東芝EMI(COMPLEX含む)→ポリドール→キティ→徳間ジャパン→ユニバーサルミュージック→、そして今回のワーナー。
デビューから25年を越えて辿り着いた、今回のワーナーと吉川の間には、いくつかの「縁」がある。


■ワーナーとナベプロの縁

1970年、当時の日本ではアメリカ資本のみのレコード会社設立が不可能だったため、ワーナーはパートナーとしてオーディオ機器メーカーの「パイオニア」と芸能プロダクション「渡辺プロダクション(ナベプロ)」との合同出資による日本法人「ワーナーブラザーズ・パイオニア株式会社」を設立した。

ワーナーの豊富な洋楽カタログを中心としたレーベルであったが、国内市場開拓のパートナーとして選ばれたのが、ナベプロ。
昭和芸能界伝説の人、そして吉川発掘・育成の恩人でもある同社の故・渡辺晋社長の才覚のもと、小柳ルミ子をはじめとした多くのナベプロ勢がヒットを飛ばし、1971~1978年までの間でのワーナーの邦楽市場の開拓は成功を収めた。

1978年を境に、ナベプロは自社保有していたアポロン音楽工業㈱内にサウンズ・マーケッティング・システム(SMS)を設立し原盤・発売権を自社管理する体制を構築。
そして、吉川はデビューからナベプロ退社までの全作品をSMSにて制作・発売することとなった。

脈々と連なる日本邦楽史の中で、吉川はワーナーへ籍を置くことにより、またしてもナベプロ、故・渡辺晋氏と邂逅したとも言える。


■「ホンモノ」の再生

ナベプロとの共同戦線を解消した後も、ワーナーは日本市場での拡大を続けた。
しかし、1996年には演歌部門の撤退などCD不況の波に伴い、邦楽部門での勢いを鈍化させていった。
そんなワーナーに2003年、新たな救世主が現れる。
ライバル会社でもあるソニーミュージックエンタテイメント(SMEJ)傘下であるデフスターレコ―ズ社長であった吉田敬氏が代表取締役社長に就任する。
吉田氏はデフスター時代で培った大手芸能事務所・テレビメディアとのタイアップ戦略を持込み、コブクロや絢香、Superflyなど新たなミリオンアーティストを育成することに成功した。

吉田氏のもう1つ大きなレーベル運営改革は、アーティストの選定・絞り込みだった。
制作・宣伝・販売とレーベルが担う業務は多岐に渡るが、アーティストの数が増えるとともにスタッフのマンパワーとのバランスが崩れ、最適な戦力での運営ができなくなる。
約60組いたアーティストを20組ほどまでに絞り込む中で、単年度の単純な売上・利益ではなく、「ホンモノ」のアーティストを選定し、売れる体制づくりを実行した。

長年のワーナー所属である山下達郎氏は、近年、良くこのような事を語っている。
『一時期はもう作品をリリースすることができなくなるかも、とまで考えていた。だがレーベルの経営陣が変わり、満足できる制作環境が整ってきたこと、タイアップやメディア展開に積極的に動いてくれたことで、定期的なレコード(CD)の制作ができるような状態になった』
前レコード会社との係争や、デジタル機材との対峙などの問題が複合された状況であった山下氏が、音楽を制作し、メディアタイアップ効果による売上実績を積み上げ、毎年のツアーが実施できる良好な音楽活動のサイクルを再生させた基盤には、レーベルとの二人三脚な体制があった。

新しい才能を発掘する姿勢とともに、「ホンモノ」の音楽を再生・再流通させる姿勢をワーナーはレーベルカラーとして強く持っている。


■石坂・鈴木体制

2010年に若くして吉田社長が没した後、CEOのラクラン・ラザフォード氏が兼務していた社長の席に新たに就任したのは、石坂敬一氏であった。
石坂氏は東芝EMI→ユニバーサル・ミュージック(旧ポリグラム)で甚大なる実績を残した名物ディレクター・社長であった。
東芝EMIの洋楽部門時代にはビートルズやピンク・フロイドの日本市場拡大を成功させ、80年代の邦楽部門在籍時には角川書店・角川映画とのタッグで、原田知世や薬師丸ひろ子のアイドルポップ路線を開拓した。
石坂氏の最大の功績は、デビューはしたものの、1st、2ndアルバムともに不遇の扱いを受け、レーベルをたらい回しにされていたバンドが原石の輝きを持つことに気付き、海外レコーディングや積極的なメディア露出によって、世間に周知させる土台づくりを成功させたことだろう。
そのバンドとは、「BOOWY」。

しかし伝説のディレクターもすでに60代、今回の社長就任も企業の全体運営を指揮する立場としての招聘だろう。
そんな石坂氏とともにワーナーへ移籍した敏腕制作マンがいる。
彼の名は、鈴木篤史。
東芝EMIやテレビ朝日ミュージック、ユニバーサルミュージックで多様な制作・宣伝プロデュースを手掛けた彼は、ユニバーサルミュージック内のレーベル「ファー・イースタン・トライブ・レコーズ」の設立・運営に携わり、そこで吉川と出会う。

邦楽そして日本のロックマーケットを知り尽くした石坂・鈴木体制がユニバーサル時代に引き続き、いや、それ以上にアップグレードされた体制で、ワーナーが築きあげてきた「ホンモノ」の音楽を追求する最先端レーベルとして、吉川の新たな旅立ちに華を添えた。


$七つの海をバタフライ -吉川晃司--samurai rock 2



「SAMURAI ROCK」レーベルのロゴには、何も書かれておらず風にたなびく旗が描かれている。

吉川はこのロゴ・旗の意味をこう語っている。
“今の時世、旗を掲げるとか、旗のもと集うことが大事だと思い、レーベルのロゴには旗を使いました。それも印のない旗。これから文字が浮かんできて、色づけされていくんだという意味も込めて。まさに旗揚げということです”

来年2月発売のレーベル最初のシングルは同名の『SAMURAI ROCK』。
吉川とワーナーを巡る多くの縁たち、そして我々同志が、旗の下に集った。
さぁ、契りの酒「辛口一献」を酌み交わし、歌い踊ろうではないか!
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$七つの海をバタフライ -吉川晃司--小笠原道大

日本の野球界に侍と呼ばれる男がいる。
その男の名は球界の盟主、読売ジャイアンツ所属の小笠原道大。

対峙した投手を睨むように洞察し、高々とバットを掲げる壮大な構え。
そして一瞬にして獲物を捉えるかのようなスイングから放たれる鋭い打球。
まさに侍の呼び名に相応しい男である。

彼は一打席に己の全てを捧げる。
一球たりとも無駄にせず、常に己の力を全て出し切る。

しかし、スポーツにおいては全力を出すことと最大のパフォーマンスを発揮するということは必ずしも比例するとは限らない。

ただ走る、ただ泳ぐならそれは当てはまるかもしれない。
多くの場合、全力を出すための技術をいかに鍛錬するかが鍵となる。

小笠原はそれができる数少ない男だった。
自分のMAXを高次元でコントールして、最高の結果を導き出すことができる唯一の存在だった。

その姿を見ているといつも一人の男の姿がダブって見えていたのは私だけだろうか。

その男の名は吉川晃司。
日本のロックシーンにおいて小笠原と同じく侍と呼ばれる男だ。

吉川もまた常に全力を出し切ることで有名だ。
42.195㎞を全力疾走で駆け抜けてしまうといっても過言ではない。

ステージ上での吉川はまさにそれを体現していると言ってもいい。
一瞬たりとも気を抜くことなく、初めから終わりまでこれまでの最高の自分と戦い続ける。
己が培ってきたものをベースに全てを出し切る。それが例え畑違いの場所であったとしても。

怪我にも苦しみ二年続けて大不振に陥ったが、小笠原は来年も現役を続けることが先日報道された。
もう後はない次のシーズン。相当なプレッシャーの中でそれを過ごすことになることは間違いない。

だが、それでも彼は彼であり続けるであろう。
小笠原は自分で決めた道を決して踏み外すことはない。そのことはこれまでの歩みで証明されている。

日本から侍が滅びた今、その志は彼らが確実に引き継いでくれている。
これからも彼らの生き様を追い続けないといけない。
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