夕刻の雑木林は薄暗く、奥行きも見定めがたかった。
 都会を離れて、そもそも何をしに郊外の山に踏み込んだのか、自分でも理由が分からなかった。こんな所にひとり踏み込んでしまったら、帰れなくなってしまうんじゃなかろうか。一帯を丈高い熊笹の群落に覆われてしまうと、ぼくはすぐにためらいを覚えた。
 見渡すかぎり樹相の大半は、銀灰色と黒い縦縞の襞を浮かべたコナラ林だ。ひょろ長くて、似たような黒白の木肌が溶暗にまぎれ、雑木林の奥深くまで林立していた。死んでから、冥界をさまよったのち次生に生まれてみたら、こんな没個性の林の一樹になっていた――そう思うとたまらない気がした。
(こんなところに用はない……引き返そう)
 辿ってきた山路をぼくはわびしい気分で振り返った。林縁にぽっかりと穴の開いた入山口にはアスファルトの路面が薄日をあびて静まっており、薄暗いこちら側から見ていると何だか現実界という感じを起させた。するとそこに、ここ四五年のあいだ自分を痛めつけ、あげくに排斥した人々の恣意的な視線――嘲笑、軽侮といった劣情が目くるめくように蘇ってくるのだった。これがあの世間へ戻る退路であるのかと思うと、どうしても素直にそちらへ行くのがためらわれたのだ。梢のかなたに航空機の爆音が轟いていた。
 暗がりに慣れた眼で見渡すと、コナラ林の合間にもリョウブ、エゴノキ、ネジキといった違う種の木々が混在している。郊外の二次林とはいえ、そこにはやはり精気あるものの気配、生体に秘めた意思が感じられた。それは例えば図書館の閲覧室で他人と同席したとき、眼は書物に埋もれていながら隣人の性癖、集中している度合いまでが手に取るように感じられる、それと似た親密感だった。
 無理強いするようなことはしない、植物や林床の朽ち葉の懐かしい匂いに包まれたとき、ぼくはかすかに善意を感じた。
(こちらの世界で生きてく方法はないものかしら……)
 林にいると、ささくれ立っていた神経までが鎮まっている。世間から出はずれてしまった郊外の雑木林に、こうした安らぎがあったことをぼくは少時以来うれしく思い出した。 
 笹薮を抜けてしばらく行くと、山路は爪先上がりに勾配を増していった。背後から押される気がして、思いがけず額の汗ばむまで登ってしまうと、未知の深林にぼくはすっかり舞い上がってしまい、もう後ろを振り向く勇気も出なかった。意地になって、五里霧中に登りつめていくむき出しの神経に、すると今度は周囲の木々の視線、思惑といったものが重苦しくのしかかってきた。樹幹のこぶや、暗がりにはべらせている枝振りが否応なくこちらの恐怖心をあおり立てる。(何かがいる、誰かが見ている)振り返ってしまったら、林はいっせいに隊列を変え、自分を幽冥境へ連れさらってしまう――そんな妄想が背中にひやりとおぶさっていた。
 木の間が透いてきたと想うころ、ようやく前方に淡々しい光を見上げた。どうやら尾根道に出たらしい。ほーっと肩から力がゆるみ、ぼくは最後の傾斜をいつしか体面もなく小走りになって駆けていった。そのとき、「うグゥ」つぶやきとも呻きともつかぬごく低い声音が確かに何かを訴え掛けてきた。ぼくはついに堪らなくなり、振り返りざま、
「なんだっ――」そう、人気ない林に大声で怒鳴りつけていた。この心神がどうにかなってしまったんじゃなかろうか――。
 気がつくと、そう訝っている魂がひとつ上空の薄暮を映したまま尾根筋の遊歩道に身震いしていた。眼球はめまぐるしく暴れまわり、下半身が棒杭のようにぎこちない。汗に濡れたTシャツは肌に冷たく張りついていた。登路はたった二百メートルにも満たなかったろう。それだのに二十一年使い慣れてきたはずの四肢は勝手気ままな痙攣を起こし、収拾のつかない情けなさだった。幽冥境に惹かれる気持ちはすっかり霧散してしまい、傍らの倒木にぼくはがっくりと腰を下ろした。
 うなだれている頭上の梢から、カラカラ角材でも二三本転がしたような高笑いがどこからともなくこだましていた。

 木の間越しにこちらへ歩いてくる人の姿がかいま見えた。老夫婦のようだが男の方は競歩でもしているのか意外なスピードで近づいてくる。みているとあたかも木彫りの人形が歩いてくるようで、ぼくにはどこかおかしみのある運動に映った。
(頼むからそのまま行き過ぎてくれ……)
 とっさにぼくはそう思い、振り向きもせずにじっと谷奥の灌木を注視していた。
「ああっ。こんにちは」
 仕方なく顔を上げると、頬骨の高く秀でた桃色の肌に赤みのさした、七十前後の老人が顔をほころばせて立っていた。頭にボンボンのついた緑色のベレー帽をかぶり、丸い褐色のサングラスをかけ、チェックのベストを着けているのでいよいよ人形臭い。老人はどこかメルヘンチックな風采をしていた。
「今日も異常な暑さですな……。ちいとお尋ねしますが、新田義貞の将軍塚はまだこの先でしょうか」
「しょうぐん?。さあ。ぼく、昨年この近所に越して来たばかりで」
「ああ。私たちもね、そうなんですよ。ここは明るい林でいい所ですなあ」
「明るい……そう、ですか?」
 陽はすでに木立の合間にだいぶ傾いてはいるものの、尾根道の表土はぬくもりのある薄日にひたされていた。そのせいか、ぼくの辿ってきた谷側の登路は暗がりに一段かしこまって見え、先ほどの声のありかを探っても、どれがその木だったのか自信が持てなくなってきたのだ。後から来て息を弾ませている夫人にぼくは眼をふせて挨拶をした。
「あなた、今日はどちらから登ってこられました……私どもはゴルフ場の手前の松ガ丘からなんですが、いやひと汗かきましたよ。けれども健康のためにね、コレと毎日歩いてるんです。ここの尾根道はゆうに二キロはあるでしょう。だから少しずつ距離を延ばしていくんですよ……少しずつね。この先に……ええと久米川古戦場跡っていうのがあるはずなんだが。ご存じない?。これも、ダメと」
(こいつは教師かな)
 ピンときた。天敵なのである。
 こちらがひとり静かに過ごしていたい、そう願っていても相手の心中にお構いなく一方的に話しかけてくる。初対面だろうが何だろうが他人事にすぐ首をつっ込みたがる。迷惑なのだが、一通りは頭に浮かんだことを口にせずにはいられないらしく子供と同じに罪がなかった。一日の大半を学校の塀の中で暮らしていいるせいか、磨かれすぎた珠のように傷つきやすく、一方で異様に公明正大だった。そして体躯にかすかに驕慢が匂う。こうした人の話をむげにさえぎるのも気が引けるので、ぼくは黙って老人の顔を見ていた。
「……ですな」
「ええっ?」馬の耳に念仏。ぼくは人の目をそらさずに相手の言うことを何一つ聞かないでいることができる。
「いや。地図を見ればわかります。オイ、ちょっと地図をよこして。早くしないかどこへやった?。ああっ、何もこんなに小さく畳まなくっても……見てください、これ」
「なくすとまた𠮟られると思ったんですよ」
 奥さんらしい夫人は老人を全く意に介していなかった。
「ですからね、あなた南から登ってこられたんでしょう?。だから東京人。私どもはすぐ目と鼻の先なんですが埼玉県人なんです。じつにここの尾根道が都県界になっておって、そいつがちょうど私たちの股の間を通ってるってわけです。家は新築なんですが、東京までまさにあと一歩のところで及ばなかった――傑作ですなあ、あっはっはっはっ」
 ぼくはつまらなかった。老人のいう松ガ丘はどの家も庭と車庫付きの高級住宅街と聞いていたからむしろ嫌味にも取れてしまう。そろそろ立ち去ろうと頭をかがめたとき、
「ああ、私も少し休ませてもらう」
 言いながら夫人がニッカボッカに包まれた大柄な尻をぼくの隣に差し出してきた。倒木に三人が並んで座ってしまうとこの場をいよいよ去りづらい。飛び立とうとする蝶をやおら虫ピンで刺したようなやり口だ――僕は苦々しくそう思った。
「あんたくらいの若い人を見るとどうも気になってね」図々しく隣に座ったりして申し訳ないが――そう暗に謝っている口吻にぼくはあらためて老人の顔を見直した。
 長い年月をかけて人に刻まれた皴というのはどこか厳粛なものだ。無言のうちに相手を黙らすほどの力を持っている。この皴を見ていると、不思議に人生論一冊、ゆうに理解したような心地すらする。幼いころ、しわくちゃで珍妙な生きもの程度にしかみていなかった田舎の祖父母に、ぼくは今更ながら済まない気がした。
 老人はこめかみに汗をにじませていたが、横から覗くとサングラスの奥の瞳がガラス玉のように澄んでいた。
「あなたは……学生さんなのかな。ここの林へはよく来られるんですか」
「いいえ。今日がはじめてで」
「ああ、越して来たばかりでしたね、これは失礼。失礼ついでにお尋ねするがあなたここで何見てました」
「何って……ただ休んでただけです」
「うん。でも林の奥を見てたでしょう。私が明るい林だと言ったとき、あなた怪訝そうな顔をなさっていたから」
「ぼくは東京の下町生まれで、郊外のこんな山中に一人で来たのが初めてなもんだから、ちょっと不気味に感じてたんです」
「うん。それでよかった。何がよかったかって、私はここの林を明るいと感じた。ところがあなたは不気味だという。じゃあ一体ここの林はほんとうはどんな形をしてるんでしょう」
「写真でも撮って比べてみたらどうです」
「あなた……」僕の突っ慳貪なもの言いに、気配を察して夫人が老人をにらんだ。
「ああ。これは失敬。昔の職業柄、つい話に引き込んでしまって。これで五年前までは私立高校の教師をしていたものですから。若い人を見るとついモノ申し上げたくなる。教師の悪い癖ですな」
「ぼくはべつに。どうせ暇ですから」
「うん……。ここに、森の風情――ことに樹木の精気を見事にとらえた画家がいるんですよ。カミーユ・コロー。十九世紀のフランス人で近代風景画の父とまでいわれた人です。ご存じですか」
「コロー。上野の美術館で、一度だけ」
「おや?。そうですか、見ましたか。コローは私が学生のころからの心の師ともいうべき存在でした。この人ほど自然をありのままに、よけいな夾雑物なくカンバスに写し取った画家はちょっといないと思うんです。お察しのとおり私、美術を教えてましたが美術となると受験科目の骨休みに出席するような輩ばかりでしてなあ……」
「よかったら、おひとついかが」
 夫人はハンカチを乗せた膝の上にペティナイフでリンゴの皮をむいていた。すぼめた掌のくぼみで器用に四ツ割りにすると、笑みを浮かべてぼくによこした。
「――そのころ、よく生徒たちに言ってたことは対象をありのままにみろ、ということでした。たんに網膜に映ったそのままを描けというんですが、それがなかなかできないんですよ。ある生徒は交差する枝の繊細な感じを強調するし、ある生徒は木肌の凹凸を克明に描き込む。そうかと思うとある生徒は輪郭すら描かずに、光の明暗だけで立体感を出そうと苦心している。同じ一本の木を描かせても、できあがる絵はじつに多様です」
「それは、性格も個性も違うんだから当然じゃないんですか」
「大ざっぱに言えばそうですが……。しかしそこでの個性はいわば野放し状態の、殺戮ですとか略奪ですとか、そんな獣性すらもまかり通る身勝手な自己主張と変わりありません――抑制の利いていない、何事も自分の思い通りにしようとする――そんな個性が世に容れられると思いますか。なんぼ個性が大事でも、他を顧みない大胆さ、情動がおもむくままの淫らさといったら、あなた一目見ただけでウンザリしますよ。対象を観るということはまず相手の存在を認めることから始まるんです。それがどうでしょう、自分はそれをああ描きたい、自分にはそれがこう見えた、などと。自惚れちゃいけません。それでは少しも相手の立場を認めていないことになる」
「だけど絵は自由に描くのが本来じゃないんですか」
「自由ですとも。しかし自由とは一体どんなものを指して言うんでしょう。あなたはどんなときに自由を感じますか。嫌いな学科の授業が終わったとき、卒業証書を手にして制服を脱いだとき、つまり何らかの桎梏から解放されたとき、我々はアア自由だと思うんじゃありませんか」

 人と人の縁、出会いとは不思議なものだ。老人がもしぼくの高校時代の不登校を知っていたなら歯牙にも掛けなかったろう。人気ない山中で偶然出くわしたものだから、自然に親愛の情を催したのだろう。
 もし、ぼくのいた学校がどこを見ても四角形だらけのつまらない鉄筋コンクリートではなく、どこかの地方の山村の、古びた木造の分校だったとしたら――。猛烈な風雨に襲われて、林がうなり、裏山が不気味な地響きを轟かせているような不安な一日。教室のガタガタふるえる窓辺によって、先生を囲み歳のちがう生徒たちが呆然と眺め暮らしているような午前のひと時――そんな時間を共有していたら、級友たちとも教師とも、もう少し健全な人間関係を築いていたかも知れなかった。
 そうした空想に耽るたび、けれども金属でも歯にあてたような不快な記憶がぼくの目先を暗くするのだ。
 汗くさい中年男の体臭と、革製品と石灰の匂い。
 そこはつい三年前までぼくが通っていた高校の、体育教官室の情景だった。

 ――これでお前ともお別れだから、最後に一つだけ訊いておきたいことがある。
 担任の体育教師はそう前置きをしておいて、探るような眼でぼくを見ていた。
「あの二年前の作文な。あれ、ほんとはお前が書いたもんじゃないんだろう。正直に言ってみないか。その方がお前も気が楽になるだろう」
 教諭が言うのはぼくが高校一年だったときの夏休み前、現代国語の時間に課題で出された作文のことだった。太宰治の『畜犬談』が終わったところで、自分の飼ったことがある生き物をテーマに作文を書け、というものだった。ぼくは『土の中から』という題で、幼いころ家にいた三匹のシマリスが次々と死んでいく、十五枚ほどの話を欠いた。二学期になり、提出した作文が戻されてきたのをくくってみると最後のページに現国教諭の評が記されてあり、そこには「学年で一番の出来ばえ」そう朱筆で太々と書かれてあった。
 教諭はクラスの生徒たちを前にして、この作文は秋の学校の機関紙『からたち』に載ることになるだろうと公言した。ぼくの周りの席からは驚きと羨望の入りまじったようなな溜息がもれた。
 入学当初から不登校を繰り返していたぼくは、ことの意外な展開に椅子から尻がむずがゆく持ち上がるような気がした。なにやら透明で巨きな指先にふいにつまみ上げられたような浮遊感だった。
 授業が終わると教諭はぼくを呼び出して、誤字や表現のあいまいな部分を書き直したうえ再提出するようにと言った。その日帰宅すると、ぼくは晩飯もそこそこに夜を徹して作文の書き直しに没頭した。翌日、教諭に提出するとさらに不要な部分を削られて、結局は数度にわたり職員室を往復しなければならなかった。一学期は学校を休んでばかりいた、ぼくのそうした変わりようを当時担任だった地理教諭も向かいの席から目を細めて微笑してみていた。
 いよいよそれでよし、清書してこいという段になったとき、ぼくは有頂天になった。親に、話したのだ。中学以来不良性を帯びていた自分について、母はひとしきり激高していた矢先だったから、ぼくのもたらした朗報は父や兄をも巻き込んで、ふさぎがちだった家の重い空気をいちどきに吹き払った。母は親戚の叔母たちに電話を入れ、久々にする明るいニュースに談笑する声が夜遅くまでしていた。
 けれどもぼくの作文はついに『からたち』に載ることはなかった。編集委員をしているクラスの女子に尋ねると、彼女は曖昧な表情を浮かべ、「枚数が多いから、ほかの記事が載せられなくなっちゃうって……」そう、か細い声で教えてくれた。教室の生徒の大半は、他人事ながら気の毒そうな、奇妙に歪んだ顔をして、みんな遠巻きにぼくを見ていた。そして唯一ぼくの話し相手だった隣席の軽部は腹を抱えて哄笑した。
「小宮山あ、おまえ、とんだ災難だったよな。あんな大嘘つきの口車にのせられてよう。騙されてるとも知らずに、せっせと書き直しちゃあ、職員室くんだりに運んだりしてなあ。結局ボツってことなんだろう?。俺も、こうなるんじゃないかって思ってたんだ。ろくに学校にも来なかった奴が、機関誌に載るだなんて、やっぱ変だもんなあ。まわりが納得しないよ。けどその方がおまえらしい、うん、学年で一番だなんておまえには似合わない。きっとあの先生なんか勘違いしてたんだろう。どうする、ムカついてんなら次の講義フケんの、つき合ってやってもいいんだぞ?」
 気のおけない悪友だけにこちらの痛い部分を突いてくる。もっとも、そう笑われてしまうとまったく軽部の言う通りなので、ぼくはむかついてもいない代わりそれほど落胆してもいなかった。痛めつけられることには慣れていたので、精神衛生上ことさら悩むようなこともない。ぼくの属している星の巡りは幼いころからこうした不運が待ち構えている。
 現代国語の時間になっても、ぼくはそのことについて現国教諭に詰め寄るようなことはしなかった。なぜなら教諭はそれ以来、校内の廊下でぼくと行き会っても、痩せぎすの身体に寒そうに出席簿を抱えながら辛そうな、泣き笑いするピエロのような歪んだ顔をして、ぼくとの目線を避けるようになっていたから――。家でもぼくは両親となるべく顔を合わせないようにした。会話を避けていたので自然と口数も少なくなった。
 晩秋になり、学校の垣根のヒイラギが白い花を匂わせる時期になると、たまりかねた母がついに打診してきた。ぼくはその時も何気ない風を装って、ただ「載らなかったらしい」、そう他人事のように答えただけだった。母はひどく不思議そうに小首をかしげ、何度も頷きながら台所に去っていった。夜ごと仕事で遅い時間に帰宅する父はテレビのニュースに見入ったまま頷くばかり。晩酌を黙って口に含みつつ、
「そうか。それは残念。『からたち』は咲かず、か」
 そう呟いたきりだった。

 そんな大昔の話を、卒業間際のいまになってどうしてこの体育教師が蒸し返すのか、ぼくには合点がいかなかった。
「おまえ、中学の時の大山先生、憶えているか。先生にお前ずいぶんひどいことしたんだってなあ。プールにゴミぶちまけたり更衣室でタバコ吸ったりよう」
「あれは――」
 ぼくがしたことではない。けれどもそのころ一緒になってツルんでいた仲間がしたことには違いなかった。
「俺となあ、大山先生とは同じ体育だから、教職員組合でよく顔を合わせるんだよ。おまえはずる賢い奴だから、シッポはつかませないんだってなあ。美術でおまえが提出した絵とかも、ぜんぶほかのやつにえがかせたものにちがいないって、大山先生おっしゃっていたぞ。なあ小宮山。そんな悪党が持ってきた作文を俺が黙って見過ごすと思うか。甘いんだよおまえは。まあ、高校生風情じゃそこら辺までしか知恵が回らないってことだよな。俺の言ってることの意味が、わかるかおまえ」
 美術の課題を他人に描かせたことも一度もない。けれども教諭のいう内容は氷水でもひっかぶったようにぼくを硬直させた。

   はじめての詰め襟の学生服を着せられて、十三歳のぼくらはひどく緊張していた。まだあどけない顔をしている新入生たちを前にして、
「中学校では、小学校と違い勉強についていけない者はどんどん置き去りにしていく」クラス担任の数学教師はそう居丈高に言い放った。朝礼で整列するさいの号令ひとつにしても、小学校の時のような和やかさはない。服装の乱れや長髪は、生活指導の体育教師にきびしく罰せられた。 
 月曜の朝、校門で竹刀を片手に生徒の服装をチェックしていたのが生活指導の大山教諭だった。生徒たちは誰よりもこの教諭を怖れ、ほとんどの者が校則におとなしく従っていたらしい。ぼくもまた、ほかの生徒同様この教諭を内心恐怖していたが、登校するうちぼくに対してだけする、教諭の遠回しな締めつけがだんだん分かるようになってきた。髪型にしても立ち襟のホック一つにしても、ほかの生徒ととくべつ変わった身なりをしているわけでもないのに校門で頻繫にチェックされる。
 入学当初、ぼくは妙なことを教諭に言われた。
「小宮山の弟か。おまえたいへんなところにきちゃったなあ」
 どういう意味なのか分からなかった。それから体育の授業では明らかに冷遇、軽視するそれとない締めつけが日々いつ果てるともなく続くのだ。
 決定打は体育祭の合同練習のときに起きた。
 学年ごとの全体整列の練習中、ぼくらのクラスの列だけが一人分ずれていたのだ。校庭に大山教諭の怒号がひびきわたり、血相を変えた担任の数学教師があわてて列に飛び込んできた。
「おまえじゃない、ここまではあってる、こいつも違う」
 少年たちの頭が担任の太い腕につぎつぎと払いのけられていった。居ならぶ生徒たちの藪をこいでぼくの前に立ったとき、数学教師は残暑の炎天下いくらかむくんだような蒼黒い顔をしており、こめかみに乱れた髪がべっとり汗ではりついていた。ぼくがハッとしたとき、
「一年E組小宮山。前へ出ろ」
 抑揚のない声でマイクにうそぶく、竹刀を片手にした大山教諭にぼくは壇上から見下ろされていた。数百人の不審と好奇にみちた刺すような視線のなか、ぼくの頭は空白だった。ゆっくりと壇上から踏み段を降りてくる、教諭の足取りが視野に入った。
「後ろを向け」
 整列している全校生徒の前で、言われるまま背を向けたその瞬間、ヒュッと風の斬れる音が唸り、背面にすさまじい衝撃を受けた。尻を打たれると油断していたぼくは上体を叩かれ、誰もいない壇上に向かい、ぶざまにお辞儀をしている格好になった。火傷のような熱い痛みが背骨にじりじり浸透した。耳鳴りがする。教員たちを含めその場にいた数百人の人々は水を打ったようにシンとしていた。
 授業の終わりをつげるチャイムが鳴ると、ぼくの周囲にたちまち生徒たちの人垣ができた。だれもがぼくの体操着とシャツをまくり、背中を見ていた。
「うわっ。ひでえな。みんなおまえは絶対に泣き出すって言ってたんだぜ」
 腰より上のあたりが青紫色のミミズ腫れになり、鬱血しているということだった。突発的な出来事に気を呑まれ、興奮状態のまま「ちくしょう。悔しいなあ」と言いながら、本気で涙を浮かべている級友もいた。その場には女生徒もいたから、見栄を張る気持ちの方が勝っていたともいえるけれども、ぼくは比較的テンタンとしていた。間違ったのは自分の方だしもともと大山教諭には睨まれていたから格好の機会を与えたぼくが悪い。こうした見せしめの罰を受けたことも、侘びしいことだが納得がいった。
(これでとうぶんは嫌がらせをされずにすむ)
 校舎の屋上の向こう側に、いわし雲がはすに無心に居並んでいた。見上げていると、その淡々しい情調がなつかしくこちらの胸にも反映してきて不思議と救われたような心持ちがした。
 翌日、登校するやぼくは職員室に呼び出され、今度は先生たちに背中をまくって見せなければならなかった。シャツとランニングを脱ぐよういわれ上半身裸になると、「おおっ」と教師たちの間からどよめきが起こった。担任の数学教師は、
「家の人には話したか?。もとはといえばお前が列を乱したのがいけないんだから、解っているな」そう諭すようにぼくに告げた。
 学校は、ぼくか家の者が傷害事件として訴えることを恐れていたものらしい。大山教諭は剣道部の顧問だった。昨日の放課後の部活動で、教諭が部員たちの前で教えていたとき、上段に構えた竹刀を一振りしたとたん、割竹がばらりと崩れ落ちたということだった。それを見た何人かの部員があれはやりすぎではなかったかと騒ぎ立て、職員室でも問題になっていたらしい。
 何事もなかったかのように振る舞いたがる先生たちと、しかし僕もまた似たような心境だった。この恥な思い出をいっときも早く皆に忘れてほしかった。
 それにしても教諭はどうしてああ執拗にぼくをつけ狙ったものだろう。その理由を教諭から直接告げられたことはない。もっとも大山教諭のシゴキはぼくひとりに限られたものではなく、女生徒たちの失笑をあびながらブリーフ一枚で校庭を何周も走らされている男子生徒を見たことがある。そんな偏執狂じみた生活指導ぶりであったから、ぼくは高校に入学するや教諭のことはすぐに忘れた。どうでもよかったのだ。ただ、歳が三つ違いの兄には一度だけ、中学で教諭と何があったのか訊いてみたことがある。すると兄は、
「肌が合わなかったんだ。だから逆らったまでさ」
 それだけを語った。それ以上ぼくも何も知りたいとは思わなかった。
  
「ええ?――。あれは、おまえが書いたもんじゃ、ないんだろう?」
 ニタニタと満面に笑みを浮かべ、心底から愉快そうに尋ねてくる体育教師を前にしたとき、不毛だった高校生活よりもこの男と別れられることの方がどれだけ幸せだかわからない――ぼくはそう思っていた。そこで今生の別れに、こちらからも真実をひとつこの男に教えといてやろう、そんな気分になったのだ。
「あれはぼくが書いたものです」
「ええっ、そうか?。そうかなあ。先生にはどうしても、そうとは思えないんだけどなあ」
「ええ。ですけど、あれはぼくが書いたものです」
 どす黒く日焼けして白く皮のういた教諭の耳たぶにかすかな赤みがさしていた。教諭はぼくとの目線をそらすと窓外に顔をそむけ、フーッとタバコの煙を鼻から出した。
「お前が言い張るんならそうなんだろう。けどな、小宮山、これだけは言っておくぞ。おまえがこの先どんなふうにして生きていくか、そんなことは俺の知ったこっちゃないが、あんまり大人をなめんなよ。今の調子で世間に出たって、必ずしっぺ返しを喰うんだぞ。もういいよ、つまらないこと訊いて悪かったな。実際どうでもいいことだよな、こんなこと」
 卒業間際の今になって、どうして教諭は二年も前の出来事をほじくり返すのか、教官室を出た後ぼくは不審に思った。作文がぼくの書いたものかどうかなぞ、現国教諭に確かめればすぐに分かることだ。なぜならぼくは当時、数度にわたって職員室で教えをこうた、その際には段落の組み直しから修飾語一つに至るまで、こと細かに自分の意見を述べたからだ。
 教室へもどる途中、うなだれたまま廊下の醜くペンキのはげた跡を見つめながら、ふと自分の知らないところで運んでいたらしい事の成り行きが透けて見えた気がした。確かめたのだ。確かめたから、それでもなお信じられず、それでぼくを呼んだのだ。 
 まるで肺でも患っていそうに教材を胸に抱き、つねに前屈みに歩いていた現国教諭だけは恨む気にはなれなかった。ぼくのようなややこしい生徒と出会ったことを気の毒にすら思う。職員室での教員間の人間関係ということになれば、一生徒に過ぎない自分にはとうてい思いおよぶ事柄でもなかった。

 卒業式の当日――。学年の男子生徒全員が新調したばかりの紺のスーツにネクタイで身を固めるなか、ぼくは褐色のコーデュロイのズボンに草色のジャケット、それにノータイという出で立ちだった。母は、おまえはろくに学校へも行かず卒業させてもらうんだから本物の卒業ではない、スーツを着る資格はないから自分でいいと思った格好で勝手に出席したらいいよ、そういってぼくを見放した。卒業式に何を着たらいいのか、ぼくには見当もつかなかった。
 式典の催される講堂は、紺と黒に統一された卒業生たちを背後から見下ろす形に、二階席では一級下の在校生が陣取っていた。隣の生徒が立ち上がるのを機にぼくが席を立ったとき、周囲からは反感と失笑の入りまじったささやきが洩れ、講堂がにわかにざわついた。列席している教員たちの側から聞きなれた体育教師の声がした。
「くっ。見てやってくださいあいつの格好。ふだんから何考えてるのか分かんないようなやつでしたが、ああまでして目立ちたいもんですかねえ」
「先生。服装のことは……」相手は保険の女性教師のようだった。
「あっ、……そうでしたね、これは失礼。けど今になってやっと分かりました。あいつの正体はただの目立ちたがり屋、口先だけのヘソ曲がりですよ」
 三年間、探るような嘲るような、まるで腫れ物にでも触るように接してきた教諭たちの言動の意味が、ぼくにもようやく理解できた。教員たちの前を通るさい、卒業生は誰もいったん立ち止まって一礼したが、ぼくはそれをせずに正面を向いたまま素通りした。

 式が終わると、卒業生たちは三々五々中庭に集い、よそのクラスだった友人と今後の予定を話したり記念撮影をしたりしていた。ぼくはひとり体育館のバスケットゴールに向かって無我夢中でボールを追いかけていた。ドリブルでもロングでもシュートのよく決まる日は調子がいい。名残惜しいといえば、三年のあいだ折に触れてぼくの相手をしてくれた、このゴールと再び向き合えなくなるということだけだ。やがてTシャツが汗まみれになり、肩で息をつくまでシュートを繰り返すと、ぼくは最後のお別れに反対側のゴールに向かって力任せにシュートを放った。ボールはゴールポストの透明なアクリル板に激突し、割れんばかりの反響が体育教官室のある板張りの館内にとどろき渡った。
 ジャケットを肩にかけて中庭に出てみると、卒業生たちの姿はすでになかった。
 下校時間をとうに過ぎた時計台の針をふりあおぎ、すっかり春めいて霞がかった淡々しい空の色を見つめていると、そのままなごやかに吸い込まれていきそうだった。将来への想いと無窮の感に酔いしれて、ぼくはそこでも胸に快哉を叫んだ者だ。
「アア自由だ――!」
 もうだれもぼくを知らない。だれからも傷つけられることはない。
 それからつくづくと決意した。
 もうぼくはだれからも束縛されない。

 ――風がいくらか出てきたようです。
 老人はそう言うと、ザックから取り出したレインウエアに腕を通した。風は、向かいの丘の水天宮社を襲ったものが浅い谷にひしめく新興住宅街をこえ、そのままの勢いでもってどっとこちらへ押し寄せてくる。三人の背後を北西からの風が渡ると木々の高所がいっせいにざわめき、しばらくはそれに堪えていなければならなかった。風が収まると尾根道はふたたび静けさを取り戻し、遊歩道の赤土には水玉模様のごく薄い木洩れ日が揺れていた。
「あたし、ちょっと笛のお稽古させてもらう」
 夫人はそうつぶやいて、ザックから紫色のビロードの袋を取り出した。中から出てきたのは三十センチほどの横笛だった。やがて温かくこもったような音色のメロディが流れ始めた。曲はおそらくロシア人作曲家の作った『インドの歌』だ。
 ぼくに話し掛けるというよりも、あふれ出るものを伝えずにはいられない、そんな面差しで老人は語りだした。
「……1845年にコローがサロンに出品した絵に『ホメロスと牧人たち』というのがあるんです。ボードレールはこの絵の抑制の利いた色調を評して『コローはつねにアルモニストである』といっています。そこの林の、光の当たっている枝先の葉と茂みの奥との色調の違いをごらんなさい。あの緑のグラデーションにはあれ以上、一筆も色価を加えることはできないんです。加えたら全部が台無しになってしまう。私たちをふくめこの世界はそうしたじつに危うい均衡、精妙な諧調のもとに成り立っているんです。若い人はまず、どんなときでもその力関係を学ばねばなりません」
「写真見たような絵でも描いたら及第点をもらえそうですね」
「フォルムと質感ができていたら、及第点はむろんあげます。だけどそれ以上はあげません」
「どうしてですか」
「対象を的確にとらえるだけの澄んだ心と技術が身についてきたら、そうしたデッサンを何十枚何百枚と繰り返していく。するとモノの奥にやがて違ったものがみえてきます」
「学校にいたんじゃむりだなあ。でも何ですか、それは」
「個性ですよ」
 老人が心持ち顔を上げるとサングラスの下のまぶたがククッとせり上がった。ものを見ることに透徹した美術家の瞳というのは、これほど厳しく澄んだものであるのだろうか。
「……そもそも、風景画というジャンルが誕生したのが、つまり風景そのものに精神性を見出すようになったのは17世紀になってからなんです。オランダ人画家のレンブラントやフェルメール、同じころまで活躍していたフランス人画家クロード・ロラン、プッサンといった人たちですね。それまでは自然物といいますと、人間の生活を脅かす畏怖すべきもの、対立するものとみられてたんです。絵画もまた、人間中心の世界観にとらわれていた訳なんですね……。
 コローがフォンテーヌ・ブローの森でデッサンに励んでいたのは1830年頃のことなんですが、彼はただひたすら自然を克明に描写するということに仕事の全精力を傾けていたわけではありません。むしろ戸外でスケッチしたモティーフをアトリエに持ち帰って再構成する、数々の印象を想起することによって独自の画境を切り拓いていったんです。人間中心主義ではない、が自然は我々に感得され、個々人のなかで濾過されて、はじめて存在の意義を現わしてくる――画家はそんなふうに考えていたようです」
「あのう……じつはぼく、もう学生じゃないんで。町工場で働いてるただの職工なんです」
「モノ作りをされてる方は大好きですよ。自分の手で日々製品に向き合うことも、ものの道理を習うひとつの修練ですから。ただ工業製品は時代とともに改良が加えられていって、これで完成ということがありませんね。その点、自然はたった一度で造られたものでしょう。一度で完成されたものというのは人をひれ伏せさせるほどの威厳と美をたたえています……こんな話をあなたにするのも、べつに絵を学ばせようと思ってしたんじゃないです。
 いったい人はどうして風景を求めるようになったんでしょう。我々を支配しているのはなにも人間ばかりじゃない。世間ばかりじゃなくって同時に都市や海や空に大地、それに広大無辺な宇宙に取り囲まれている、そのことを忘れずにいたいからでしょう。中間者である植物や雲の多産な性状を忘れてはいけません。つまり自然物はなべて無心なんで、それを明るいとか不気味とかいうのも我々の勝手な尺度でしかないわけです。
 明日もう一度、今ごろの時間ここの林に来てみるといいですよ。今度はきっと違ったふうに見えるから。だって……私のような年寄りに見えるものが若いあなたに見えないはずがないんだから」
 老人は微笑んでそう言うと、ぼくに背中を向けてうずくまった。
「だって、ほら」言いながら手のひらに差し出したのは一個の眼球だった。
「あっ」
 サングラスの左奥に、壊れたがま口のようなしまりのない黒い亀裂がかいま見える。笛の音がやみ、かわいた葉音ばかりが耳についた。
「なに、義眼ですよ。昔教え子の一人に殴られましてね。メガネを掛けてたんでガラスの破片が食い込んだんです。絵のうまい子だったんですよ。県のコンクールで次点に選ばれたこともあったんだから。それが高校二年生ごろから学校に来なくなりましてね。心配になって彼の家まで訪ねて行ったんですが、このざまです。でも彼を恨んだことなんて一度もなかった。その事だけは伝えたかったんですが、それ以降私を避けるようになってしまって……むしろ傷ついたのは彼の方だったかも知れません」
「お父さん……」夫人が心配そうに老人の横顔を窺った。
「うん、風も出てきたし、そろそろ行こうか。いや、長々とつまらない話をしました。私たちはこちらの道をもう少し奥へ行ってみようと思うんですが、よろしかったらご一緒にいかがですか」
「いえ。ぼくは陽の沈む側へ……狭山丘陵の方へ行ってみようかと」
「多摩湖へ……先はまだ長いですよ。でもなあに、暗くなったら抜け道は至る所にあるんだから。帰ろうと思えば右でも左でも、好きな方へ下ればすぐ町には出られるんだから」
「ええ分かっています。それでは、また」
「あの、よろしかったらいつでも遊びにいらっしゃいな。家は向かいの丘沿いの、舗道に面している奥寺という家だから。絵画教室の看板が下がっています」夫人はしかつめらしい顔をしてそう言うと、ザックのなかからリンゴを取り出してぼくにくれた。ぼくは目礼をして夫妻と別れた。 

 コナラ林の尾根道は、夕暮れ前の射光がそそぐ明るい緑の回廊だった。
 奥寺夫妻は山の西端の尾根筋から登ってきたので、ここより上に木がないのだから林が明るいのも当たり前だ。二十一にもなってそんなことにも気づかなかった。それにしても雑木林に踏み込んだとき、自分はどうしてああ魑魅の心にとらわれていたろう。林の中で恐怖にかられ一人わめき立てていた、自分の姿を地元の小学生が見たら何と言うか、そう思うとさすがに恥ずかしくなった。今は大学生になっている、昔の級友たちが知ったなら腹を抱えて笑うだろう。子供レベルの知識を一つ体験し、それが知恵として身についた――そんなことが、自分に涙ぐむほどうれしく感じられた。
 もう、かれこれどのくらい歩いたろうか。
 はじめての丘陵をあまり遠くへは行かない方がいい。谷奥は薄闇が籠めてきているし、街の明かりがとどかない山路をひとり戻るのも心細かった。山中では先ほどの老夫婦と行き会ったきり、人の姿を見ていない。
 尾根道をそれて枝道を下れば街に出られることは分かっていた。町中でする犬の遠吠えは聞こえているし、暗がりの向こうにときおり西武線の轟音が轟いてもいた。送電塔の巨大な鉄骨の足組を迂回すると尾根道は南西に向けて延びており、そこで僕はこの日ようやく見晴らしの利く高台に立つことができた。
 眼下には、宅地造成のためコンクリート枠で縦横に区画整備された分譲中の傾斜地が拡がっていた。林のまばらになった北斜面から、ごくゆるやかな丘が見渡せる。鳩峰八幡宮から水天宮へとつらなる神域の雑木林だった。ぼくの立っている崖縁から向かいの丘まではゆうに五百メートルはあるだろうか。あせたオレンジ色の夕空に、尾根筋の林はしっとりしたシルエットをにじませていた。谷あいの造成地は日脚がとどかず、すでに夜の領分で、全体に青みがかった黒灰色に沈んで見えた。そんな見晴らしのなか、どうした光の加減か、稜線直下の給水塔らしい巨大な円柱のみが側面をピカリと光らせていた。
(人間中心主義ではない……が、自然は我々に感得されて、はじめて存在の意義を現わしてくる)
 この東西に細長いまとまりをもつ谷あいの虚空を展望したとき、ぼくはこれまで気づかずに探しあぐねていたものを忽然と差し出されたような気がした。いったい人間関係にばかりあくせくして生きてきた自分はいつから四方の物象にこれほど無関心になっていたろう。逃れようのない頭脳競争に呑みこまれ、翻弄され続けてきた胸中の夾雑物が、広大な展望の谷底にゆったりと沈潜していった。
 北西にたなびく地際の雲が燃えるような白金の筋を引いている。
 ある予感に、ぼくは童心に近い胸さわぎを覚え、崖縁の尾根道を夢見ごこちに辿っていった。北西の急斜面に生えているのはコナラやエゴノキの若木ばかり。ひょろ長い木々の合間を縫って、この時間にしてはと思うほど鮮烈な茜色の日溜まりが堅い表土にぬくもっていた。折からの射光に土は赤くはげしく煮え切って、なにやら悦びを抑えきれぬといった情調だった。一方で谷側のコナラはいっせいに薄桃に染め抜かれ、異観は樹皮のはがれ落ちた高所――そこがアカマツの赫々たる燃焼だった。
「ああ……きれいだ」
 銅色の反照に、みつめているとこちらまでもが同化して、抑えようなく心神が昂ぶってくる――いま、向かいの尾根からこちらを窺っている人がいるとしたら、ぼくはどんな大馬鹿に映ったろう。
 背後の木立は影を畳み、ひんやりした山の気韻は少しずつ林間にこめてきた……。