Bunkamuraトレチャコフ美術館展を観てきた。何とか最終日は免れ…といってあと10日もないが。Yさんありがとうございました。

「忘れえぬロシア」という副題は、「忘れえぬ女」と呼ばれる作品が展覧会のメイン的に位置づけられているからだろう。
特集には書かれていないけれども、この馬車に乗った女の“上から目線”にかかっては、男としてたまらないものがあるのではないか、という趣旨のことを学芸員氏は別のところで語っていたが、まさにその通りといえよう。
といって、これが藤原紀香だったり杉本彩だったりしても様にはなるまい。
じゃあいったい誰ならいいんだといって、該当するような女性は今の日本でたぶんお目にかかれないと思うが、帝政末期のロシアの、さほど著名でもない人が描かれて今なお見る者を惹きつける、ここには何かあるといいたいだけだ。
クラムスコイのこの作品は、《Неизвестная》が原題で、英語にすれば《unknown》、ロシア語で形容詞が女性形だから“見知らぬ女”ということになる。“女”と書いて“ひと”と読ませる。演歌ですな。
《Неизвестная》、ニイズヴェス(ト)ナヤ、のнеは否定だから、известнаяは「知られている」の意味になる。「イズベスチヤ」というソ連の公式紙もありましたな。新聞としては今もあるけれど。いちおう、こちらは「報道」という意味。ソ連のアネクドート(小咄、政治や社会諷刺が多い)で、「プラウダにニュース(イズベスチヤ)はなく、イズベスチヤに真実(ロシア語でプラウダ)はない」というのがあった。
それはともかく、「見知らぬ」と「忘れえぬ」では全然違っても、「忘れえぬ女」の方がしっくりとくるから不思議なものだ。

見に行くまで、この容貌と黒い毛皮を身にまとった姿しか意識していなかったが、乗っている馬車は通りにいて、しかもペテルスブルクの目抜き通り、背景にうっすら街が描かれているのが、何だか映画のような感じがする。
モデル探しはされてもどこの誰という結論には至らず、アンナ・カレーニナや『白痴』のナスターシャがイメージされたり、謎のままであることが「見知らぬ女」たる所以だろうか。Неизвестнаяであることに、絵の価値が置かれたのかもしれない。

さて、少しばかり調べてみると、多くの人が「忘れえぬ女」について書いているから、やはり人々を魅了してしまう、本展の白眉となったわけだ。
With a kiss, passing the key
税理士窪田、 今日も生涯の一日なり!
消えがてのうた

ちなみにここでは壁紙もとれる。