母のがんのこと(その9) | 21世紀をどんぶらこ~落書き絵日記~

母のがんのこと(その9)

母の手術は、2009年9月1日に行われました。
始業式の日ですね。


母はそれまでは健康体でしたので手術はウン十年前の帝王切開以来のこと。
手術の3日前に入院しましたがそれからずーっと血圧が高かったです。

胃や腸をからっぽにするために絶食など、色々することがあって
いよいよ手術の朝。。。
私と父が付き添いました。


眠くなる点滴をいれてもらってなんだかすでに眠かったみたいな母。

「そろそろ行きますよー」

と看護婦さんが迎えにきたときに、私と父に


「あのね」


と声をかけてきました。手術は成功するだろうと思っていましたが、どうなるかは誰にもわからない。
言っておきたいこともあるのかな、と胸がいっぱいで何?と聞き返すとすでに目をつむって
半分眠っているような母が小さな声で何か言おうとしている。


「なに、おかーさん」


「あのね。麻酔から覚めるときは耳が一番最初なんだってよ・・・」


「は?」


「だからね」


「うん」


「寝てると思っておかーさんの悪口とか言ってたらぜーんぶ聞こえちゃってるんだからね・・・・
言っちゃダメなんだからね・・・」



とつぶやいて目をつむってしまいました。

全く気の強いお方。

こりゃ手術も大丈夫だろうと、父とうなずきあって
手術室へ見送りました。


ところで、手術を待つといえば、テレビなんかで


タンカでガラガラ手術室へと運ばれたのちに、「手術中」のランプが点滅し、それを心配そうに家族が見守るというあのシーン


あれを想像していたのですが、看護婦さんに


「アハハ!あれはドラマですよ!!」


と一笑されちゃいました。


母の病院の手術室では手術室はたくさんの手術が行われており、待合室は人でいっぱい。
私と父は座る場所もなく、仕方なく(仕方なくですよ!ここ肝心)近くの洋食レストランへいき
おいしいと評判のオムライスを食べたりして時間をつぶしたのでした。


主治医の先生からは


「最悪試験開腹に終わることもあります。ですから手術時間は予測できないんです」


とお話がありました。始まったのは午後1時頃。オムライスを食べて父だけ病院に残り私は一度自宅へ
帰ることにしました。


続くよーー