母のがんのこと(その7)
初めての抗がん剤の時の私たちの心境です。
その時母は、ものすごく精神的にも肉体的にも弱っていました。
主治医の先生が
「心不全やそのほか、何があってもおかしくない状態です。入院しましょう」
と言ったほど、体調は悪かったですし、
少し歩くと胸が苦しくなって息ができないほどだったし(胸にも水がたまっていたそうですので。先生曰く「おぼれているような状態ですよ」)
かなり痩せてしまっていたし
それよりなにより
「よりにもよって、ガンになってしまった」
「しかもどうしようもないガンのようだ」
「もうこのままかもしれない」
という思いが母や私たちを焦らせていました。
特に母は、前の病院で特異体質だとか稀ながんであるとかいわれて、体調の悪さも手伝って「こんなややこしい病気の人、引き受けたくないに違いない」と思っていたフシもあり、精神的にも追いつめられていた様子でした。
初めて抗がん剤を投与するというとき、緊張していたでしょうが「これでなんとか手立てがあった」とこれに賭ける気持ちだったと思います。その頃、母は心配して連絡をくれた知人にあてて病室からよくハガキを書いていて、私はそれをポストに入れるのをよく頼まれました。見るつもりはなかったのですが、つい見てしまうそのハガキには
「一筋縄ではいかない病気のようです。長くかかりそうですが、なんとか乗り切れたらと思っています」
というようなことがよく書かれていました。
「完治はない」というものの「ほとんどの場合抗がん剤がよく効いて一度はよくなる」という話だったので「とにかく、よくなってくれーー」と祈るような気持ちでした。
抗がん剤投与のあと、お決まりの骨髄抑制(白血球や好中球などの数値が下がる)などがありましたが、最初の入院から40日後、母はなんとか一時退院できました。
その後抗がん剤投与は3週間おきでした。木曜日に入院、金曜日に投与、土曜日様子をみて日曜日退院、その1週間後の診察あたりから骨髄抑制対策の注射に通うという生活が続きました。
初めて抗がん剤を投与したのは4月中旬。
7月中旬頃に、先生から経過についての話を伺うことになりました。
続くよ~
その時母は、ものすごく精神的にも肉体的にも弱っていました。
主治医の先生が
「心不全やそのほか、何があってもおかしくない状態です。入院しましょう」
と言ったほど、体調は悪かったですし、
少し歩くと胸が苦しくなって息ができないほどだったし(胸にも水がたまっていたそうですので。先生曰く「おぼれているような状態ですよ」)
かなり痩せてしまっていたし
それよりなにより
「よりにもよって、ガンになってしまった」
「しかもどうしようもないガンのようだ」
「もうこのままかもしれない」
という思いが母や私たちを焦らせていました。
特に母は、前の病院で特異体質だとか稀ながんであるとかいわれて、体調の悪さも手伝って「こんなややこしい病気の人、引き受けたくないに違いない」と思っていたフシもあり、精神的にも追いつめられていた様子でした。
初めて抗がん剤を投与するというとき、緊張していたでしょうが「これでなんとか手立てがあった」とこれに賭ける気持ちだったと思います。その頃、母は心配して連絡をくれた知人にあてて病室からよくハガキを書いていて、私はそれをポストに入れるのをよく頼まれました。見るつもりはなかったのですが、つい見てしまうそのハガキには
「一筋縄ではいかない病気のようです。長くかかりそうですが、なんとか乗り切れたらと思っています」
というようなことがよく書かれていました。
「完治はない」というものの「ほとんどの場合抗がん剤がよく効いて一度はよくなる」という話だったので「とにかく、よくなってくれーー」と祈るような気持ちでした。
抗がん剤投与のあと、お決まりの骨髄抑制(白血球や好中球などの数値が下がる)などがありましたが、最初の入院から40日後、母はなんとか一時退院できました。
その後抗がん剤投与は3週間おきでした。木曜日に入院、金曜日に投与、土曜日様子をみて日曜日退院、その1週間後の診察あたりから骨髄抑制対策の注射に通うという生活が続きました。
初めて抗がん剤を投与したのは4月中旬。
7月中旬頃に、先生から経過についての話を伺うことになりました。
続くよ~