母のがんのこと(その4)
今日も続いて、母のがんの記録でーす。
手術を薦める市民病院の先生に紹介状を書いてもらったものの特にアテがあったわけではない私たち家族。身近に医療関係者もいなくてオロオロするばかりだったのだけど、もうここは運を天に任すべしという気持ちで次に訪ねたのは実家から1時間ほどの私の自宅そばにある大学病院でした。
#長男コタローがおたふくかぜ→髄膜炎にかかって近所の病院から紹介状をもらって点滴してもらったことがあったんだけどとっても感じがよかったんです。(全然科が違うけど・・・(^o^;))
#友達のお父さんが入院されていてよくしてもらったってきいたんです。
紹介状をもらって大学病院を受診するときは、私が付き添いました。
その時の母は、歩くのがやっとの状態でした。車イスを借りて病院内を移動したんです。
1時間ほど待たされて、診察してくれたのが今の主治医の先生です。
忘れられません。
その先生は、とっても印象のいい先生でした。
ですが、母が診察のためちょっと席をはずしたときに私に一言
「お母さん、だいぶ悪くなっているね」
と小さな声でいいました。
ものすごくドキッとしたのを覚えています。
そのあと、母が戻るとそれからは病状のいい悪いは全く口にせずに
「胸にも水がたまっているようです。こういう病気はお母さんの世代の方に時々みられますよ」
とまず説明してくれました。
「色々検査はしなおさなくてはならないだろうけれど、おそらく8割くらいの方に抗がん剤がよく効くタイプのものだと思われます。今は腹水・胸水がたまっていて体がしんどいだろうから入院してください。水を抜くとラクになるかもしれないので、それも検討します」
と話してくれました。
私は、
「前の病院で、手術を勧められたのですが」
というと
「全身状態を考えると今手術をするのは得策ではない思う」
更に私が
「母が特異体質だとか、非常に稀ながんだと言われ続けたんですが」
と質問すると
「そんなことはありません。難しい病気だけれど、私はこの症例何件か扱ったのでわかるんです。特異体質だとか稀だとかそういうことはないですよ。。。みつけにくいのは確かだどね。だいたい最後に婦人科にくることが多いけどね」
と説明してくれました。
すぐに入院の手配をしてくれて、そのまま入院となりました。
母の体調が悪くなってから4カ月ほどたっていました。
やっと病気の正体がわかりはじめ、
やっと「この病気知ってる」という先生の言葉を聞くことができ、
看護婦さんも親切にしてくれて
心配はまだまだ続くものの、頼りになりそうな先生の病院に入院することになって私も母も、父や妹もひとまずほっとすることができました。
余談ですが。。。
この診察のとき、私は先に母に診察室から出てもらって、先生に小さな声で
「先生。余命はどれくらいとかそういう段階なんですか」
と聞いたのです。
すると先生は、カルテを書いていた手をとめて私のほうを向き、
「命があとどれくらいかなんて、誰にもわからないもんなんだよ」
と言いました。個人個人病状も体力も違うのに単なる平均値を参考にしても仕方ない、と余命を軽々しく口にした私を諭すように話してくれたのでした。
確かに、そうだな。
私の命だってあとどれくらいか、誰にもわからない。
色々なことを暗く考えていた私はその時何か、スッキリしたんです。
この病院に来てよかったな、と思ったのでした。
まだまだ続くよ♪
手術を薦める市民病院の先生に紹介状を書いてもらったものの特にアテがあったわけではない私たち家族。身近に医療関係者もいなくてオロオロするばかりだったのだけど、もうここは運を天に任すべしという気持ちで次に訪ねたのは実家から1時間ほどの私の自宅そばにある大学病院でした。
#長男コタローがおたふくかぜ→髄膜炎にかかって近所の病院から紹介状をもらって点滴してもらったことがあったんだけどとっても感じがよかったんです。(全然科が違うけど・・・(^o^;))
#友達のお父さんが入院されていてよくしてもらったってきいたんです。
紹介状をもらって大学病院を受診するときは、私が付き添いました。
その時の母は、歩くのがやっとの状態でした。車イスを借りて病院内を移動したんです。
1時間ほど待たされて、診察してくれたのが今の主治医の先生です。
忘れられません。
その先生は、とっても印象のいい先生でした。
ですが、母が診察のためちょっと席をはずしたときに私に一言
「お母さん、だいぶ悪くなっているね」
と小さな声でいいました。
ものすごくドキッとしたのを覚えています。
そのあと、母が戻るとそれからは病状のいい悪いは全く口にせずに
「胸にも水がたまっているようです。こういう病気はお母さんの世代の方に時々みられますよ」
とまず説明してくれました。
「色々検査はしなおさなくてはならないだろうけれど、おそらく8割くらいの方に抗がん剤がよく効くタイプのものだと思われます。今は腹水・胸水がたまっていて体がしんどいだろうから入院してください。水を抜くとラクになるかもしれないので、それも検討します」
と話してくれました。
私は、
「前の病院で、手術を勧められたのですが」
というと
「全身状態を考えると今手術をするのは得策ではない思う」
更に私が
「母が特異体質だとか、非常に稀ながんだと言われ続けたんですが」
と質問すると
「そんなことはありません。難しい病気だけれど、私はこの症例何件か扱ったのでわかるんです。特異体質だとか稀だとかそういうことはないですよ。。。みつけにくいのは確かだどね。だいたい最後に婦人科にくることが多いけどね」
と説明してくれました。
すぐに入院の手配をしてくれて、そのまま入院となりました。
母の体調が悪くなってから4カ月ほどたっていました。
やっと病気の正体がわかりはじめ、
やっと「この病気知ってる」という先生の言葉を聞くことができ、
看護婦さんも親切にしてくれて
心配はまだまだ続くものの、頼りになりそうな先生の病院に入院することになって私も母も、父や妹もひとまずほっとすることができました。
余談ですが。。。
この診察のとき、私は先に母に診察室から出てもらって、先生に小さな声で
「先生。余命はどれくらいとかそういう段階なんですか」
と聞いたのです。
すると先生は、カルテを書いていた手をとめて私のほうを向き、
「命があとどれくらいかなんて、誰にもわからないもんなんだよ」
と言いました。個人個人病状も体力も違うのに単なる平均値を参考にしても仕方ない、と余命を軽々しく口にした私を諭すように話してくれたのでした。
確かに、そうだな。
私の命だってあとどれくらいか、誰にもわからない。
色々なことを暗く考えていた私はその時何か、スッキリしたんです。
この病院に来てよかったな、と思ったのでした。
まだまだ続くよ♪