えー…


お久しぶりです。笑

ヒキ島でございます。


こんなにも間が空いたのには物凄く深い理由がありまして。。

話すと長いのでまとめますね。



めんどくさい。



うん、完全にこれでしょうね。
まぁ正確にはめんどうくさいですけどね。
抜けてますけどね。

いや、そこちゃうねん。という最もらしいツッコミが入ったところで、これ以上何も生まれそうにないので次いきます。





今回の投稿からは、めちゃくちゃ突然ですが、自分自身のことについても少しずつ書いていきたいと思います。
自分の人生を使って、人の役に立てれば、それがまたボクの生きる活力になれば、、

それはもう最&高ってことなんで。



はい。

わたくしヒキ島は’95年生まれの現在24歳です。

いわゆる究極のゆとり世代というやつですね。究極というのは、小1から高3までフルでゆとり教育だったのは実は’95年と’96年生まれだけなんですね。とりわけ、ちょうどボクらの学年が小学校に入学した2002年にゆとり教育がスタートし、高校を卒業する2013年度にゆとり廃止が決まったので、そう呼ばれています。


それだけに留まらず、人生の節目節目でとんでもないことが起こってたんです。
この↓のツイートを目にした人も多いことでしょう。



はい、えげつないですね。
ゆとり教育に関してはさっきも書いた通り、廃止が決まった2013年当時に高校2年だった(既に高校での1年間をゆとり教育で過ごしている)’96年生まれまではゆとりフルコンプリート世代なんですけどね。


はいそんなボクですが、大阪生まれ大阪育ちでございまして、ルーツは九州にあります。
父方は熊本、母方は奄美大島というなかなか濃いミックスジュースなんです(まゆ毛の濃さは凄まじいです)。

ただボクは上で触れた通り、このところ世界遺産登録か?!(百舌鳥・古市古墳群)で揺れ動いている大阪の藤井寺という街で生まれ育ちましたので、完全なる大阪人です。古墳とゲオとブックオフで持ちこたえてる街です。いやまじで。笑



なので、通っていた保育所の遠足は、近くの古墳でした(古墳だと知ったのはだいぶ後)。
※もちろん一般に開放されている古墳です



まあそんな田舎とも都会とも言えないなんとも絶妙な街で育ててもらったボクですが、そんなボクには父親がいませんでした。

と、言うと

当時はよくかわいそうだとかさみしいやろだとか言われましたね〜。いわゆる母子家庭というやつで、兄弟もなく母ひとり子ひとりでした。が、4歳ぐらいまでは祖父母と一緒に暮らしてましたし、2人で暮らし始めてからも、ボクは自分のことをさみしくてかわいそうなやつだなんて一度も思ったことないくらい愛を感じて育ってました。

強がりじゃなく、本当に幸せでした。

というかなんなら、
ひとりっ子=ママ独り占めできますやん状態
という、今思えば ポジティブがすぎる方程式をひねり出してましたね。




というか正直、子どもの時はなぜそう言われるのかもよく分かってなかったですし、むしろ今現在の方がかわいそうという言葉に敏感で、無責任に他人の人生に色を塗ろうしてくる人たちに出会うと、両の鼓膜に有給取らせるようにしてます。今時めちゃくちゃホワイトですね。
いやー振り返ると、当時は本当事あるごとに言われてたことを思い出します。



で、今回は何が言いたいかと言うと、、、


もし生い立ちだったり、育ってきた環境であったり、生活環境や家族関係だったりに、
他人が口を出してきてもポップにフル無視していきましょうよってことですよね。

だってさー人生の色づけとかその意味はさー、自分で決めるよねー。
パッと見で、その人の幸不幸を言い当てれるって、それはもうどう見積もってもサイコキネシスやん。ちがうか。

いや真面目な話、
自分が何に怒り、何に笑い、何に涙するのかは自分で決めないと。
そんなことも理解らない理解ろうともしない輩に人生のジャッジを任せちゃだめでしょ。


自分の幸せの基準からしか物事見れなくて、周囲の人にクズだとか、かわいそうだとか平気で言っちゃえる人は、特に理由はないけど1回サンリオピューロランド行ってきて欲しい。
そしてもう帰ってこないで💝おねがいっ🖤
というマイメロディ風の願い。届け。


まあということで、
最近他人の人生を判定したがるサンリオ候補生が目に余るな〜との思いから、こういう投稿になりました。

自分は自分、他人は他人

本当の意味でそう思える人が増えれば、多様な社会というのはより確かなものになってくるんじゃないでしょうか。


どんな時も自分を生きることを大事に、
そしてそれと同じ分だけ、
他人の人生にも敬意を払いたいですね。


素敵な社会を自分たちの手で創っていきましょう。

では今日はこの辺で。失礼。