




今年もGWはお仕事でした・・・
そんな合間を縫って、大学時代の友達たちと「千葉県」をドライブしてきました
広々とした千葉県。
印旛沼周辺の田園地帯を気持ちよく快走し、まずは「宗吾霊堂」へ
大正時代には学校の教科書にも載っていらした「日本を代表する義民」である「佐倉宗吾さん」の眠るお寺です。(詳しくは、最後のコラムをどうぞ)
痛ましい生涯に沈痛な思いを抱きつつお参りをしてきました。
そしてお昼からは成田山へ
二番目の写真は、参道沿いにあり、成田の美味しい鰻で有名な「川豊」さんです
目の前で鰻を焼いており、その匂いが美味しそうで美味しそうで・・・
匂いだけでお腹がいっぱいに。そして成田山新勝寺へお参りに行ってきました。
その後には「成田空港」へ
鉄の塊が不可思議にも地面から浮かび上がっていました
今回訪れた3か所とも、初めて訪れた地でした。
友人が会ったからこそ実現できた千葉旅行
本当に友人の存在に感謝です
夜は友人宅で鍋に酒盛り
満喫し、充実したひと時でした
「仲良きことは美しきかな・・・」
「コラム・・・義民 佐倉宗吾の生涯」
350年前、佐倉領の悪政(違法な年貢米の取立てと拷問)で餓死するか一揆を起こすかの究極の選択を迫られていた農民たち
もちろん、一揆が成功しても幕府によって全員処刑されます
そんな危機的状況の時に、農民たちをなだめ、超人的行動をしたのが「宗吾さん」なのです。
宗吾さんはまず、佐倉藩代官所に出向き、悪政を改めるようお願いします。しかし、却下
次に、江戸まで行って出張中だった佐倉藩主に陳情を願い出ます。しかし門前払い
追い詰められた宗吾さんは、将軍家に使える要人を待ち伏せてなんとか陳情書を届けますが、聞き入れてもらえません
最後の手段は・・・「将軍様への直々の直訴」です
・・・当時の法律では「畏れ多くも将軍様へ直接直訴などする者は無礼極まりなし。厳罰として死罪。加えて妻子も死罪」という決まりがありました
宗吾さんは村々の農民を救うために敢えてその身を滅ぼしてしまう「将軍様への直訴」を決意したのです
しかし、自分の妻子まで罪が及ぶことを案じた宗吾さん。
直訴の前に、妻と子供たちに事情を話し、「離縁状」を渡します。
妻子と涙の別れののち、とうとう「将軍様への直訴」を決行したのでした
幸いにもこの直訴を将軍様は受け取ってくださいました。
そして将軍様の命令で佐倉藩の悪政は改善されたのです。
・・・しかし、天下の大罪である「将軍様への直訴」は、どんな事情があれ「死罪」なのです
数か月後、宗吾様と4人の子供が千葉県の佐倉領内にて処刑されました。
離縁したはずの子供たちまで処刑されたのは、佐倉藩による「仕返し」だったのです
宗吾様とその子供たちが処刑され、その地に埋められ、そして月日が経った後にその地にお寺が建てられたのです。
それが今の「宗吾霊堂」なのです。
宗吾霊堂の中には宗吾様の死を賭した生きざまを描く「パノラマ館」があります。
その生涯を知った時、私は強い哀しみに包まれました。
この哀しみと敬意は私の生涯を通じて引き継いでいくでしょう・・・。
毎年250万人がお参りするという「宗吾霊堂」
是非一度足を運んでお参りしてみて下さい。
