今この文章は音声入力によって書かれている。
人間の言葉のアウトプットがどのような運動によって行われているかと言うのが重要なのではないかと思いついたからだ。
現代人の多くはフリック入力やキーボード入力によって自らの考えを言語化する機会が非常に多いのではないかと思う。
1日8時間パソコンの前で作業する人間はざらにいるだろうか、1日8時間言葉を話し続ける人間と言うのはおそらくそう多くは無いのではないか。
もう一つ別の側面を考えたとき、例えば小さい頃の教育など、自分の言動によって強い叱責を受けたとき、その自分の発言したと言う行為そのものをマイナスな結果につながるものとして、下げる手段と認識している人多いのではないか。
自分が言いたいことをそれを言いたいと思ったタイミングで発する事は、ある人にとっては難儀であることがある。しかし言葉による自己表現は瞬間的であり、自分の日々の生活や大きく見れば人生全体において大きな影響与える要素になる事は間違いないだろう。
ところが現代人は自分の頭の中身を指先の動きで以て表現する機会が多いため、そうした運動機能によって言語化のサポートをしていると言う意味もあり、こういった側面が人々のコミュニケーション不足を招いていると言う可能性がある。
自分で音声入力で日記を書こうとした時、なかなか文章がまとまらずかなり苦労している。キーボードでの入力の時は文章をすらすらと出てくるし、頭の中である程度整った文章がイメージできているので、非常にスピーディーに書くことができていた。しかしいざ音声入力で書こうとすると、自分の考えがなかなかまとまらなかったり、そもそも言葉が出てこなかったりということが起きると言うことに気づいた。そしてこれは人との会話の中でも起きていたということにも気づいたのである。
過去のいろんな経験から、口先を動かして言葉にすることを避けるようになったものというのが多くあって、一方で指先ではなにもかさない秘密の文章として連ねることが容易になっていたものがある。しかしいざ実生活の中で、この状態は非常に不利であるという気がしてならない。その場で考えたことや感じたことを、口を使ってアウトプットできないと言うのは円滑なコミニュケーションを阻害する要素である。
このようにして、支離滅裂とまではいかないものの似た内容の繰り返しになってしまったり、文章としての構成が稚拙になってしまう部分はあるものの、日常的に言葉にすることができなかった思いや考えを、実際に音として発しながら文章を書いていくと言う事は、ある意味で自分らしさを表現していくのに効果的な訓練であると考えた。今まで使われていなかったであろう脳の1部を何とか使おうともがいている時間は、非常に有意義だしなかなかに愉快なものだ。日本で表に出すことのできなかった自分と繋がれるチャンスだし、また、そうした封印された自分と世界とつなぐきっかけになり得ると信じている。
いまいち要領を得ない文章になってしまうが、それはこれからの課題。
こうした練習を重ねていって文章が洗練され、停滞していた人生がうまく流れ出すことを願って、これからも続けてみようと思う。