ご無沙汰しております。

6月の終わりから7月半ばまでに体験した事を書いておきたいと思います。

6月の11日に待望の孫が産まれました。

娘も安産で、お産も短く元気そうです。

孫も、問題なく元気な可愛い女子でした。

 

この分だと、実家に戻ってきても、娘も元気だし、

すぐに自宅に帰りたがるだろうなぁ・・・と思っていました。

 



里帰りで、自宅に戻ってきて3日目

出血が多いんだと娘が話していました。

私も、産後に塊の出血があったりで驚いたことがあるので

安静にしていてねと伝えていました。

その夜の事です・・・

夜中の2時の授乳を手伝った後、自室にもどり寝始めました。

そこに、娘が大声で呼びます。

孫がお乳でも吐いたのかな?と思い

部屋へ行くと、

血だまりの中に娘が立ち尽くしていました。

『たすけて・・・』

足元から、水道をひねったように血が噴き出しています。

 

「産科危機的出血」というものを起こしていました。

止めようがありません。

何とか、娘が産院連絡したところ、すぐ来てくださいと言われました。

こんな状態で、どうやって行くの?とおもいましたが、

『なんか出かかってるものを取って』と言います。

股から、レバーのようなものが出ています。

女性でしたら、月経の時に塊で手てきたことがあると思います。

あれが、こぶしぐらいのものでした。

引っ張り出し、中に溜まっていた血が全部出たのか

少し量が少なくなりました。

 

新しい綺麗なペットシーツを股にあて、上からさらにナフキンをあてショーツをはかせました。

大きなゴミ袋を割いて、腰巻を作り、新しいワンピース型の寝間着をきせ

 

血だらけの足を拭いてあげました。

一通りの荷物を持たせ、主人が車で産院に送っていきました。

後から思うと、産院何と言っても、救急車を呼ぶべきでした。

 

娘と主人が去った後

部屋を見回すとあたりに飛び散った血と

むせかえるような生臭い匂い

その中ですやすやと眠る新生児でした。

 

慌てて、手あたり次第のティッシュやペットシーツであたりの血を吸い取り

床を何度も何度もふき取りました。

 

壁やベッドの下や脚にも血が飛び散り

拭いても拭いても布が茶色く染まります。

 

不吉な考えが頭をよぎるのですが

事実を捻じ曲げるように

部屋を清めてしまいました。

 

窓を開け換気をして、孫を抱いてリビングに移りました。

 

 

何でもないように娘にラインを送ります。

朝5時のミルクをあげたよ。

元気だよー心配なくね。

 

娘からも、返事が来ます。

その時、娘は意識を保つため

必死でラインをし続けていたようです。

私は不吉なことから抜けだそうと

必死でラインをでの会話を続けました。

 

娘は産院で対処できず、大学病院に転院させられて

やっと、胎盤のとり残しが判明しました。

200gも残っていたそうです。

 

血を2リットル近く失いましたが、

子宮を取らずにすみました。

 

命は取り留めましたが、簡単に血は増えず

少し動くと、ナースが異常を感知して飛んで来る状態でした。

 

心臓にも負担が・・・と言うことで、輸血を決心しました。

輸血はショックが起こるかもとひやひやしましたが

偉大ですね。いきなり体調が回復し、翌日朝には退院できることになりました。

 

その間4日ほどでしたが、生きた心地がせず

一生懸命、良い事だけを考え続けました。

孫は可愛く腕の中で眠っています。

 

娘が赤ちゃんだった時のことを思い出しながら

過ごしました。

 

戻ってきた娘と一緒に抱き合い

無事を喜びました。

 

『あなたの無事以外に、ママは何も望まないよ』と言うと

娘はおいおい泣いていました。

娘も、子供を置いて死ねないと必死だったようです。

 

その後、娘と子供は元気です。

 

あっという間に、大切な人が死んでしまう可能性と

今生きている事に感謝を感じる

そんな1っヶ月でした。

 

今生きていることは、決して当たり前ではないという

考えは、頭を離れず

新しい感覚を私に授けてくれたように思います。

 

 

 




 

 

 

 

 

私の幸せな時間

 

 

 

 

 

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