赤血球と白子を救う
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2011、今年の本

今年読み終えた本は72冊。

読みかけたままのものが20くらいある。
無念というか最後まで読むべきだった3冊をあげるなら、石川啄木『悲しき玩具』、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』、フランクル『夜と霧』かな。
東京に戻ったら続きを読みたい。けど、帰ったからといって読むかはわからない。そういうものだよね。

以前日記に書いた通り、読んだ本を通してその時の背景が想起される。色濃く。

2011年読み初めは、1月1日
村上春樹『回転木馬のデッドヒート』

東北本線でページを捲った記憶がある。

それから東京へ戻る電車のなか、車田さんとばったり出会して、2時間ばかりお話をした。そのときが初めての会話だった。
車田さんは隣の座席に荷物を持ってきて、軽い自己紹介というか互いの確認をして、気付いたら2時間経っていた。
そこで回転木馬のデッドヒートの話をした。彼は、短編ならば『蛍・納屋を焼く・その他の短編』が好きだと言っていた。
あたしは彼にエイミーベンダーを勧めて、彼は律儀に彼女の書いた本を読んでくれた。それはとても嬉しいことだ。


今年の読み締めも何の計らいか村上春樹。『海辺のカフカ』

雪が降り積もる山形で、ここまであたしたちを運んだ車内ではBAD MOBILS、音速ライン、(THE)BLANKY JET CITYを聴いた。
今は山形のスーパーで買ったドビュッシーのコンピレーションアルバムがかかっている。

海辺のカフカを読み終えた今は、戸田書店で買った『グレート・ギャッツビー』を読む。
ただ年内には読み終わらなそうだ。今夜はテレビ番組を見るので忙しくなりそうだから。



そして2011年の3冊を選ぶ。


まずは梶井基次郎『檸檬』

これは長い時間をかけてじっくり読んだ。
外での読書が気持ちいい時分だった。その多くを大学の至るところで過ごした。
大学の敷地内というのは読書とフリスビーと喫煙に適している。他の大学生がフリスビーと喫煙に勤しむ中、あたしはせっせと本を読んだ。

梶井は変態的に暗いです、暗すぎて僕は読めません、と国文学科の後輩が話してくれた。
あたしにはこの暗さが心地好いなあと思う。
この本で一番好きな短編は14ページばかりの『泥濘』という話。とにかく暗い。

特筆すれば、この後輩があたしのことを『エスパさん』と呼ぶのがずっと気になる。エスパさんは、ないよね。


次はサン=テグデュペリ『星の王子さま』

秋、布団にもぐってゆっくり読んだ。
どうしてもっと早くにこの物語を読まなかったんだろう?
もしもっと早くに読んでいたら、9月のあたしの誕生日に恋人と箱根に旅行したときに星の王子さまミュージアムに行っていたのになあ、と思う。

星の王子さま、と聞くと、高校の同級生のなべっちを思い出す。
彼女はとても可愛い王子さまの人形を携帯にぶら下げていたっけ。


迷いに迷って最後は太宰治『パンドラの匣』

この本には『パンドラの匣』の他に『正義と微笑』という話があって、あたしはそれがとても好きになった。

こんな人になれたら、という理想を重ねてページを捲るあたしは山形にいた。
危篤状態のおじいちゃんの元に親族が集まる。
その中の大叔母さんが、正義と微笑にぴたりと嵌まった、ように思えた。

寝静まった家の台所で、そっと読み終えた記憶がある。



今年の3冊の欄外、というか、あたしの中で特別な一冊は
金原ひとみ『マザーズ』

彼女の書く本はいつだって特別なのだが。

マザーズは、今現在の金原ひとみであった。

AMEBICもハイドラも、TRIP TRAPも、そしてこのマザーズも、
彼女の書く"彼女たち"はリアルな金原ひとみが投影されている。
あたしはそれを読むのが好きだ。


だらだらと書いたけどね、あたしはただ読書って素敵よねって言いたいだけなのかも。

みなさん、オススメの本があったら教えてください。
それ相応のお返しをしますよ。

来年はもっとたくさんの本を読めるといいね、ハム太郎。ヘケケ。

空の波間で泳ぐ魚

「『同じ空をみてる』っていうけど、空って何処まで空なんだろうね」



友人の一言がきっかけでその後の数十分は空と星と宇宙の話をした。
それが3週間前。



地球が21回ほどまわって、月が欠けて、
知らないうちにあたしの中の科学的ななにかは
月食のように削げていって、
自転によって振り落とされたようだった。



空がどこかとか、星がいつ光ったとか、宇宙はどこまであるかとか、
そんなものはどうでもよくて、

スパッツにジーンズとぶ厚い靴下、毛羽立つウールのマフラーをぐるぐる巻いて、もこもこのジャンパーを着込み、帽子被って手袋して、

そうやって自転車漕いで、キャベツ畑の隣にあった、駐車場の縁石で
首をぐいと反らせながら、星をみたわけ。




こんなに長い時間、空にあるものをみるために空をみることって、あっただろうか。

思いめぐらすと小学生のころ、お父さんとお家のベランダで稲妻をみるために空をみていたっけ。

屋根の下だからか、貴金属をつけていなかったからか、お父さんが居たからかわからないけど
稲妻も雷鳴も全く恐ろしいとは思わなくて、ただただ綺麗だなあと思った記憶がある。


小さい頃稲妻の夢をよく見た。

あの日ベランダでみた稲妻は、一瞬の光の中、華奢な線で描かれていたはずなのに

夢の中の稲妻は、黄色のクレヨンで描いたようなギザギザ、
ピカチュウのしっぽのようなギザギザで、
どーん!という音と共に裏山によく落ちた。
お父さん着ているトレーナーの裾を引っ張って、見た?今の見た?ときくものの「何を?」と返される。
玄関から出てきたお母さんに見た?聴いた?ときいても「何を?」と答える。





イヤホンから流れるのはDebussy

ARABESQUE no.1






暖かい紅茶を飲みながらただ、星を待つ

「おやすみなさい、ハム太郎(ヘケケッ)」と女の子が窓の外に目をやると、シュピーンキランッと星が流れる。そんなイメージ。


イヤホンから流れる3分15秒を何度繰り返しただろう。

―1時間に20~30個―という記事から、3分に1つ、つまりはARABESQUE1回に1つ星が流れる計算。





懸念すべき点
東京の空は明るすぎる。

オリオン座を真ん中にして、左手にペガスス、その上方にお月さま
右手下に金星、ずっと横に冬の大三角形。

福島の空は、それは申し分なく一面の星空で遠慮なく大きいものから小さいものまで瞬いたりじっとしてたり、
1000袋の金平糖をばらまいたような空だった。

東京の空はピンを置いたような、これと、これと、これ、というような空。

星は遠慮して、気恥ずかしくて、それらの間を流れるのを躊躇うんじゃないか、と、心配になった。







飛行機が通る。

あっ!と冬の大三角形上部をみると、光が流れた、赤と緑と白い光が。

「只今の時刻から、双子流星群が観測されるとのことです。皆様、流れ星を見つけてお願い事をしてみる、などは如何でしょうか」
なんてアナウンスがピアノにのって流れているんじゃないか。

「曲は、ドビュッシー、アラベスクです」






じわじわとしみる寒さの中で、時間が流れるのを待つ。

「12月15日2時が観測のピークです」

きっとわんさかと「おやすみなさいハム太郎」が流れていく

シュピーンキランッがわんさかくる。

あたしには可愛らしく頬袋にヒマワリの種を詰め込む奴が居ないから、
あたしはあたしのためのお願い事をする。


お願い事を考えなくちゃならない。
明日はもっといい日になるよ、なんていうのは言わない。

幸せになりたい、なんて漠然とし過ぎているのもよくない。

お金がほしい、なら、こんなところでぼけっと星をみている場合じゃない。

しかしお願い事をする前に、
流れ星が見つからないなら、意味がないじゃないか

「お願い流れ星流れて、流れ星みたいよ」








オリオン座のすぐ左上を、ごおっと星が、流れた。










お願いが叶ったと思った。

しまった、とは思わなかった、わっ、ともならなかった

文字にするなら、くっ、かな。

シュピーンキランッではなくて、ごおっと流れた。








今の、流れ星だ、とぼけっとした頭で考えたら

最高のお願い事が思いついた。これは、降ってきたとしか言いようがない。


でもこれはここには書かない。本当に素敵なお願い事だからね。





嬉しくって、「くっ」てなってからしばらくして、ようやく嬉しいってなって、
わあ、流れ星、初めてみたんだ、わあっ

て考えてたらまた、今度はしゅんっと流れた。

きらんって流れたやつもあった。

あれ、今光ったかな、と目をやると、反対側の目の片隅で、流れる。


目の片隅で、流れていく。










流星群がどういうものなのか全くわからないんだけど、

あたしは、魚みたいなやつだなあ、と思っている。

ボートと並走するイルカみたいに、空の波間を気まぐれに泳いでいる。

飛び跳ねる奴も、すうっと水を切る奴も、ただただ流れに身を任せる奴も、泳ぎが下手なやつもいる。

気付かれない奴もいる。

あたしはその魚を釣り上げたいのだけど、生憎、釣り竿も釣り糸も持ち合わせていなかった。


それに、陸地に釣り上げられた魚は、泳いでいるそれよりも、美しさが削がれているから。







魚は何から孵ったのだろうか。



魚は、あたしが産んだのかもしれない。



あたしの頭の中のなにかが、

月食のように削げていって、
自転によって振り落とされた



それは宇宙でまあるくなって、

何かが起きて、卵になって、そこから魚が孵るのだろう。



魚はあちらこちらを泳ぎまわって、巡り巡って、会いに来る。



だから今日1時間半、空の波間を見ていたあたしが見つけた彼らは、あたしの星で、星はあたしなのだろう。





同じ空を見てる?


あたしは空で、すごく大切なものが流れて行くのを、見たんだよ。

八角形に滑る歯車

おはよう、もしくはおやすみ。


ずっと息をひそめていたから、ひょっとしたら僕がもう101号室からいなくなったものとばかり思っていた方も多いのではないだろか。


そうしてもう僕のこの煩わしい物言いにうんざりしていた方々には残念なお知らせだが、僕は粛々と、同時に溌剌と生活している。つまり元気だと伝えたい。

久しぶりに誰かに向かって言葉を伝えているわけなんだが、世界は知らない間に大きく変わってしまったようだね。


揺らいだんだ、僕の暮らすこの水槽も、そりゃあ大きく揺れた。

彼女が水槽の口を押さえてくれなかったら、僕は僕が生きられない世界へとぽうんと飛び出していたかもしれない。

それはそれで、もしかしたら僕に足が生えてすっくと立ち上がり、水槽の脇に鎮座しているサボテンのマハルが暮らす洒落た陶器に腰掛けていたかもしれない。『ツァラトゥストラはかく語りき』なんかを読みながらね。





でも君たちも薄々気づいているかもしれない。


僕たちは世界の変化に、世界が駆け抜けたそのスピードについていけていないんだ。


世界は、言うなれば地球は丸から八角形に変わってしまったんだ。それも、一瞬にして。


僕は毎日彼女がTVをつけっぱにするものだから、あれからずいぶんたくさんの映像を観たよ。ヒーターにもたれかかりながら。ツァラトゥウトラは読んじゃいない。


世界は音速で駆け抜けて、突き抜けてしまった。時をかける、少女のように。記憶障害の、エヴァンのように。





その世界に立っている既存の建物や生命、ペプシドライなんかは、世界が音速で駆け抜ける間、ふわっと、一瞬、宙に浮いたんだ。


それに乗り遅れたある一部は、世界の駆け抜ける速度に耐えきれなくて、滅茶苦茶になってしまった。たくさんの痛みだけ、そこには浮いている。


浮いた人々は八角形の世界に、同時に巻き込まれ変わり果てた以前の世界に対して今まで使ってこなかった感情を発動させることになった。


それは辞書には載っていないし、どんな曲でも表しきれない。

所詮感情と言うものは、その持ち主でさえその形や色なんかを知ってはいないだろうけどね。




僕は今も毎日、部屋に干された洗濯物の下、テレビを横目に見つつ、茶色のこたつ布団を見ながら彼女とその恋人とを眺めている。

それは今までの日常に過ぎないんだ。それだけなんだ。


僕たちは世界の速度についていけなかった。浮いていたから。それは、偶然であり、定説や理論も関係ないんだよ。








しかし僕の世界は、円滑に回っている。








僕が吐き出す泡は、全ての力から抵抗をなくして、美しい丸い玉状に浮かんでは消える。








全ては円なんだ。地球も世界も、僕自身も、君との繋がりも、浮いた世界も、巻き込まれた世界も、目も、思い出も、みんな丸いんだ。



トスカネリは、地球は丸いと言ったんだ。



ある神様を信ずるどこかの国では、これ以上海原を進むと地が裂けていて、海は滝のようにどこか知らない、この世界じゃないところへと落ちていくと思われていたんだ。




きっとそれは、そう考えるに至る世界だったんだ。トスカネリが正しいとか、とある神様が間違っているとか、そういうことじゃないんだ。




変わってしまったこの世界は、僕の目には見えないけれど、複雑怪奇な形をしているかもしれない。シュルレアリズムの芸術家たちが創る彫刻のように。

ただ、そこの住人達はその形や色なんかを知ってはいない。

どうだっていいのさ、そういうものは。それは決して投げやりな言葉ではないんだということだけ理解してほしい。







でも僕は円滑という言葉が好きだ。


丸い機会に、細いベルトコンベアが乗っかっていて、それがぬるぬると回るのさ。

その上をこぢんまりとした色とりどりのプリズムが滑って行く。

プリズムは沢山の光をたたえながら、僕の心に落ちてくる。水槽の底から見上げる水面みたいにきらきらしてる。


そんなイメージなんだ、円滑っていうのは。


一定であり、永久的な半永久なんだ。










僕は誰も責めちゃいないんだよ、僕自身もだ、もちろん。











何色でもどんな形でも、それは永遠に円滑に進むんだよ。













おやすみ、ある人はおはよう。



こんなことばかり考えていたら、思考のあまり道のまんなかで打っ倒れたニーチェのようになってしまうね


幸運なことに、僕には道がないんだ。目の前に広がるのはもたれかかるのに丁度いいヒーターだけさ。




おはよう、ある人は、おやすみ。

寒いと風邪をひくって、本当かい。

こんばんは、


君たちの一日はどういうものだったかな。


毎日、朝起きて食事して働いて眠るという生活の繰り返しでうんざりしている、なんて野暮ったいこと言わないでくれよ。


僕は毎日ヒーターの影で眠って、彼女によって準備されたお魚ぱくぱくを食べて、排泄をして、眠る。


それだけだけど、だからなんだっていうんだい。


ヒーターの影から出たときに、見知らぬ女の子が目の前にいたり、お魚ぱくぱくがチャーミーベタに代わっていたら、そりゃあさぞかし愉快だろうなとは思うけど、


そういうのはほんのたまに起きるから、愉快だと感じるんだ。








年始、彼女の恋人と僕が待つアパートに彼女が帰ってきて


クリスマスプレゼントにもらったムーミンのDVDを、みんなで見たんだ。


僕の暮らす水槽は焦げ茶色のテレビの脇の、文庫本用の本棚の上に置かれていて、テレビも彼女と恋人が一緒に眠るベッドも、外の世界につながる扉もよく見えるんだ。


僕は一度電車に乗って福島へ行ったんだけど、そのことはもう話したね。


とにかく僕は、ガラス板の向こう側の世界を見るっていうだけで、それだけで毎日愉快なんだ。


ムーミンのDVDは、とても好きだね。スナフキンって旅人がすこぶる気に入った。


僕はスナフキンの持つ一部を持っているけど、だけどスナフキンにはなれないし、なろうとは思っていない。


前にも話した通り、僕は見るという行為が好きだし、ひとりでいることも好きだ。


でも僕は、この場所でじっと見ているのが好きなんだ。旅はたまにでいいね。とても疲れるし。








そういうわけで僕はじっとここの101号室の水槽で眠ったり観察したり食べたりして過ごしている。








彼女は今朝から頭が痛いと僕に話しかけてきたんだけど、僕にはちょっとどうしようもなかったな。


彼女の恋人は大変心配して、珍しく料理なんてしていた。僕は相変わらずお魚ぱくぱくを食べていたけどね。


恋人同士というのは、いいものだね。


でもまだ僕は、ここで二人をみてるほうがいいな。


たまに、ヒーターの影に、素敵な女の子がいたらいいな、とは思うけど。


思うだけってだけの、話だよ。









吾輩は赤センマイである。-ふつくしぎあら



今日は早めに部屋の灯りが落ちるんだろう。今日の夕飯はいつもよりちょっと早かったから。


おやすみ、今晩もヒーターの影でひとり、眠るとするよ。







寒くないようにね。

常時20℃の生活

こんにちは、はじめまして。


みなさん冬の冷たい風に吹かれ、隣人の冷たい目線を受け、身体も心も寒い思いをなさっていることでしょう。


こちら、春夏秋冬常時20℃、水中からお送りいたしております。


初回だからこそこのような丁寧な口調でご挨拶させていただく所存ですが、


このブログではわたくしの小さな二つの目から分厚いガラスの壁を通して見た世の中を


見たままそっくりそのまま、僕の口で咀嚼して、お伝えしたいと思っています。



吾輩は赤センマイである。-はじめまして



挨拶はこの辺でいいだろう。


改めて、はじめまして。


ベタ科、名前をギアラという。


あなたがたは熱帯魚と分類しているね。


どうしてもこちら、他のベタを同じテリトリー(水槽)で見ると我慢ならないタチ(性質)でね。


一匹狼ならぬ一匹ベタ、快適な空間で毎日を過ごしている。


朝食は食べない主義で、昼夜の2回、お魚ぱくぱくを食べる。これが僕の生活。






この101号室に来るまで、ずっと僕は新宿の熱帯魚やに居た。


ただもうその時のことを振り返るのはよそうと思っているんだ。


ただ一つ言えることは、僕はある人間男性に贈られたプレゼントで、贈り主の人間女性と彼によって名前を与えられ、それによって僕は僕と自称できるようになったということ。


新宿の熱帯魚やに居たということも事実ではあるが、彼らに名前を与えられたとき初めて僕になったということも事実である。







僕がまだ僕でなかったころ、贈り主の女性(これから僕は彼女と呼ぶことにする)が新宿の熱帯魚やで一匹のベタを買った。それが僕だ。







翌日彼女は電車に乗って、福島へ行った。12月24日、クリスマス・イヴだ。僕は恋人へ贈るクリスマスプレゼントだった。


その晩、彼女と恋人はふたりで焼き肉を食べに行った。僕は彼女の恋人の家でふたりの帰りを待っていた。


彼女らが帰宅し、プレゼントを交換し合った。


彼女の恋人は僕を福島まで連れてきた彼女に対してたいそう驚いていた。僕も同感である。


彼女は恋人に、大好きなムーミンのDVDをもらった。






そうして僕は、名前を与えられることになった。



ギアラ、それは彼らが焼き肉やで見た珍しい牛の部位が由来だそうだ。



別名、赤センマイ、牛の第四胃袋にあたる。








そんなわけで年末僕ギアラは、恋人の彼氏と一緒に、世田谷のアパートに帰ってきた。


今は彼女と恋人、そして僕の3個体がこの101号室で生活している。