改めて、欅坂というグループは依存的だなと思った。

2017年末に、友梨奈ちゃんが一旦離れると言った時の守屋の話と話し方で特にそう思った。それが良い悪いの話ではなく、そうなっても仕方なかったと思う。あれだけ絶対的な存在が1人居て、右も左も分からないまま出てきたからそれにすがるしかなかったんだろうなあ

今泉という存在はだからこそ絶対必要だったのにな...この映画を見て、より一層今泉はグループを客観視、俯瞰できてて手離したくない存在だったなと思わされた。
当時は今泉ほどできてなかったけど今ちゃんとできてるのは小林土生あたりなのかなあ
黒い羊MVでワンカット撮影が終わった直後、一人だけ呆然と立ち尽くす鈴本も、ある種このグループの異質さを俯瞰できてたのかなとも思った。
あれは異質だよね...どう見ても。悪いということではなくて。

そういう意味では平手が本当に必要としてたのは、天才的だ天才的だと持ち上げることでもなく背中をさすってくれることでもなく、今泉みたいにガツガツ食い込んできてくれて対等にああでもないこうでもないとディスカッションできる相手だったのかな(もちろんさすってくれることも支えだったとは思うけど)
今泉には、内部のことを知らない一部の平信がぶっ叩いて本当にもったいなかったなと思う。ごめんね


小池がひとり隅でうずくまってる理由を見て、欅坂はやっぱり異質なグループだなとも思った。「センターが出ないから代理センター立てますよ」となった時、「目立てる!」ではなく「どう表現したらいいか分からない」となるところ。その考え方を見て、やっぱり小池は希望だなあとも思った。小池には絶対腐んないでほしいなあ


友梨奈ちゃんには本当に申し訳ないなという感情でいっぱいだった。本当にごめん、本当にごめん、と思いながら泣いた。
大阪アニラがわたしが見たかった欅坂じゃない、武道館こそ見たかったセトリだったのに、って散々文句言ったけど、これ見て同じことなんか口が裂けても言えないな
結局わたしも共犯者だったってこと、心の底ではただのエンタメ程度にしか思ってなかったんだろう、あの人はそんな軽い覚悟でやってなかったってことなんだ
でも、ドーム不協和音前の舞台裏、角を曲がる前の舞台裏、それぞれ見て思ったけど、なんで舞台裏であんなに弱ってるのにいざステージに立ったらあそこまでできるの?本当に意味がわからない、素直に本当にすごいなと思う。4年もこの仕事やってるとは言え、あんなの普通じゃない重圧だよなあ〜
才能とか努力とかそういう次元の話ではなく覚悟が違うのかな
天才的だ天才的だって周りは口を揃えて言うけど才能だけの問題ではないでしょ、あれは
才能だけではなく努力の人だってことは分かってたけど、それだけでもなく覚悟の人なのかなあとも思った。

全ツガラスの落下はああいうことだったんだね、「目の前の〜」で花道に飛び出してってその振りのまま勢いで落ちたのかと思ったけど、曲はやりきってから落ちたんだ...燃え尽きてフラッと来た感じかな
でもやっぱステージからの落下という最悪のアクシデントでさえ作品の一部に思えるんだよなあ、本当にそういう演出だと思うぐらい綺麗な落ち方だった。


9thが延期された時も、散々運営叩き散らかしたけど...(でもちゃんと延期したシングルは10プですよと言ってくれてたらまだあんなにイライラはしてなかったと思う)
あれは運営が10プという曲で路線変更をしたかったかつまだ平手にすがりたかったというので起こってしまったんだろうけど、やっぱりあの位置に立つからには成功させなきゃいけないという使命感があったんだろうなあ、そりゃ黒い羊の次に10プ渡されてすんなりもできないだろうと思った
黒い羊→10プという流れを見て「これから欅坂どうなっちゃうんでしょうね〜😊」って笑うことができる人と、真ん中に居るからにはどうしても成功させなきゃいけない人、そりゃ限界は来るんだろうなあ(前者が悪いとかではなく)
そりゃ結果だけシンプルに言うと「センターが首を振って曲がおじゃんになった」っていう話なんだけど、そんな単純な話じゃなかったんだなあ、もうちょっとリアルタイムで分からせてほしかったというか、友梨奈ちゃんのことを理解できる隙間がほしかった。
そしてプロ意識プロ意識って簡単に言うけど、ちゃんと曲を表現しなきゃいけないのにできないまま出るっていうのがプロ意識ではないと友梨奈ちゃんは思ったのかな。
「彼女はなぜ去ったのか」なんて平手一切出してないくせにこんなキャッチ付けられてて、そりゃ当然出てないからなぜ去ったのかは言われてないんだけど、何となく察せたような気がした。多分10プの延期で、グループ活動における一人が首を振ることの重大さというか、それが女子アイドルならなおさら他の子の時間がなくなることに責任を持てないと思ったのかなと感じた。それが友梨奈ちゃんなりのプロ意識なんだろうと


誰も悪くはなくて、多分みんなあまりにも繊細であまりにも優しすぎたんだと思う。
普通MV撮影連絡なしにドタキャンされたら怒っていいと思うんだよ、「何してんの?来てよ!」ぐらい言える子がいれば変わってたのかなとも(これは完全に結果論、理想論、妄想にすぎない)(優しすぎるのが悪くてアカンという話でもない)


多分だけど、友梨奈ちゃんは何も知らない外部(ファン)に何言っても分かってくれないと思ってるんじゃないのかなあ
本当にそれはそうだしオタクは無力で何も出来ないってことをこの映画で分からされたな
だからこそ誤解されやすくて、難しかった
友梨奈ちゃんはグループとソロで気の持ち方というか、ちゃんと変えられたのかな



最後に、タイトルと構成について、

「嘘と真実」っていうタイトルはやっぱりみんな言ってるけど大げさだったなと思う。映画という商売な以上、お金を払ってもらって見に来てもらわなければいけないわけで、見に来させるためのタイトルだったのかなと
「真実」って言うほど目新しいこともなく、わたしたちは知らなかったけどちょっと想像すれば「まあそうだろうな」っていう答え合わせに近い感覚。そしてもちろん今までが嘘だったとも思わない。嘘と言うより、伝えてくれなかった(運営が)と感じることの方がツラかった。

でもってこれは、監督がいて5年間を2時間半に編集しなければならないという点でもはやノンフィクションではないんだろうな
散らばったノンフィクションを寄せ集めたフィクションって言い方がしっくり来た。

いやだって不協和音以降の友梨奈ちゃん明らかに孤立しすぎでおかしいですもん、実際はあんなじゃなかったもん、不協和音期も爆笑しながらけやかけ出てたしケヤキハウスとか黒い羊フロントメンSHOWROOMとか、それこそこれらが真実じゃん、その構成が嘘じゃん、とも思いましたが、
これはつまり監督が“そう”見せたいがための構成で、嘘とか真実とかいうものでもなく映画というエンタメ作品、フィクションなのだと思わされました。