アレクサンドロスは前334年に遠征を始め、約11年でアケメネス朝ペルシアを倒し、エジプトからインダス川流域まで進みました。その成功は天才的な指揮だけでなく、父フィリッポス2世の軍制改革と現地資源の活用によって支えられていました。
◎父から受け継いだ精鋭軍
フィリッポス2世は長槍サリッサを持つ歩兵と精鋭騎兵を組み合わせ、攻城技術も発達させました。二十歳で王となったアレクサンドロスは、すでにギリシャ世界屈指の軍隊を受け継いだのです。
◎ファランクスと騎兵の連携
マケドニアのファランクスが敵の正面を押さえ、王率いるヘタイロイ騎兵が弱点へ突入しました。グラニコス、イッソス、ガウガメラで、彼は決定的な地点に戦力を集中しました。
◎ダレイオス3世を破った後
東地中海の港を確保してペルシア海軍の基盤を弱め、ガウガメラの勝利後にはバビロン、スサ、ペルセポリスへ進みました。王都と財宝の獲得は遠征を続ける資金にもなりました。

◎征服地の制度も利用した
彼は一部の現地行政を残し、各地の有力者を登用しました。軍事・行政拠点となる都市を建設し、ペルシアの宮廷文化も取り入れました。反発も招きましたが、広大な領土を統治するための現実的な試みでした。
◎征服にも限界があった
インド北西部に達した軍は、それ以上の東進を拒否しました。補給と疲労の限界を越えることはできなかったのです。前323年に王が後継者を明確にせず死ぬと、帝国は後継者たちの王国へ分裂しました。
◎まとめ
急速な征服は一人の英雄だけの奇跡ではありません。軍制改革、歩兵と騎兵の連携、攻城技術、素早い機動、征服地の資源と行政網が結び付いた結果でした。統一帝国は短命でも、ヘレニズム世界は長く残りました。
◎参考資料
The Metropolitan Museum of Art, “The Rise of Macedon and the Conquests of Alexander the Great”
The Metropolitan Museum of Art, “Art of the Hellenistic Age and the Hellenistic Tradition”
Encyclopaedia Britannica, “Alexander the Great”
