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先日、職場で寒気と節々の痛みを感じながらもなんとか仕事をこなし、帰宅後すぐに熱を測ってみたら38.8度の高熱でした。


確かに最近、気が緩んでいたかも・・・


もしや、インフルエンザかもと思い救急外来で診察してもらいましたが、風邪の初期症状で「明日以降も高熱が続くようならまた受診してください」とあっけない診察でした。


翌日には熱も下がり、今ではほぼ元気な状態まで回復。


なぜか思い出したV・E・フランクルの「夜と霧」


高熱の中、なぜかV・E・フランクルの「夜と霧」の中で強制収容所での死亡率がクリスマスと新年との間が一番高かったという件を思い出していた。


フランクルの考察では、勇気と落胆、希望と失望というような心情の変化と、有機体としての人の抵抗力の関係について、「失望と落胆へ急激に落ち込むことは致命的である。」という事実と、生き延びた人が抱いていた希望と勇気について、


ニーチェの「何故生きるかを知っている者は、殆んどあらゆる処何に生きるか、に耐えるのだ。」を引用し説明している。


囚人が現在の「処何」(現状)に耐えるには、「何故」(生活目的)を意識しなければならない。


とある


つまり私は、年末年始の忙しさの中で自分も正月気分を味わえると思っていたのに多忙なままであることに落胆失望し、生活目的を見失い抵抗力を落とし風邪をひいてしまったのだろうか?


確かに当たっていると思われるので、もう少し掘り下げて考えてみると・・・


私にとっての生活目的とはなんだろうか


フランクル本人は、心理学者として強制収容所という環境の中で心理学的研究に対する情熱と、愛する妻について思いを馳せることにより、「何故」(生活目的)を意識している。


では、私にとってフランクルに値するような「何故」(生活目的)はあるのだろうか?


フランクルと同様に妻はいるので、思いを馳せることはできるが、仕事としては学者でもなければ、後世に残すような類の職業でもない。


ほとんどの人が私のように仕事に「何故」(生活目的)を見いだせないのではないだろうか?


しかし、フランクルは次のようにも記している。


体験したこと、試したこと、悩んだこともすべて永久に現在の中に組み込まれている意味に満ちた存在であること。

それは、苦悩も死も含めたものであり、尊厳に満ちたものである。


と、つまりどんな状況下でも意味(愛)を持って生きていると私は解釈していますが。


時代は流れ、誰もが主役の時代に


フランクルの強制収容所の時代と違い現在では、SNSなどを通じ誰もが自ら情報を発信し様々な経験を主役となって語れる時代になっています。


本来あるべき姿が、ネットの普及を通じて実現しつつある現代。


今後は、それぞれの価値観を尊重しあえる社会になっていくのではないでしょうか?


まだまだ、他人の価値の中に自分を置いて判断しがちですが、近い将来には、多くの人が自分の生き方に意味(愛)感じながら、周りの人々もそれを認められる社会へと流れているように感じます。


私も高熱の中で考えたこを主役になって語ってみました。( ̄▽+ ̄*)