なんなんだ、なんなんだ

歩いても、歩いても

辿り着けない

ぼろぼろになって

這いつくばって

それでもまだ見えない


こんなはずではなかった

頑張ったはずで

努力もしたはずで

それでもこんなものなのか


一体何が見えるというのだ

その先に

険しい山を登って

苦しい谷を下って

それでもまだ歩き続ける


一体何が欲しいのだ

一体どうなりたいのだ

答えさえ見つからないなんて


このままでは終われないと

疲れた友はそれでも言う

孤独と闘いながら

歩き続ける友もいる


この先に見えるものはなんだ

この高い山を登ったその先に

この苦しい思いの果てに見える景色はなんなのだ


でもきっとわかっている

この先に見えるのは

この険しい山を登ったその先に

見えるのはきっと

更に高い山なんだ


そしてまた

私は歩き始める

それがきっと人生というものなんだよ




日本を襲った巨大地震、テレビの前で映し出される惨状にただ絶句し、

画面には映らない地獄絵図を想像すると、胸がつぶされそうになった。

原発の現場で今なお戦っている作業員の方々、使命感にのみ支えられ

どれだけの危険に命を晒されているのだろうと思うと、涙が止まらない。

以前勤務していた会社で、このプラントに携わっていた方々もきっと

現地で作業に携わっているのだろう。技術者の方々は本当にまじめで

実直で仕事熱心な社員ばかりだった。身を粉にしてひたむきに仕事に

向き合っていた。どうか無事を祈るばかりです。

全財産を流された人、家族を失った人、極限状態の苦しみはいかばかり

であろうか。想像しかできず、心を痛めることしかできないことがもどかしいけれども

とにかく一刻も早く、少しでも改善していくことを願うばかりである。


今回の震災では、自分の無力さにただ虚しさを感じている。

一体自分には何をやってきたのであろうか。必死で勉強してきた。

頑張って生きてきた。だけどそれがこんなときに何の役に立つのか?

これから何ができるのか・・・。

多くの日本人が今回の件で同じように無力さに打ちひしがれたのではないだろうか。

そして、多くの人が生き方についてパラダイムシフトを起こしたのではないかと思う。


あまりの悲しみに何も手につかない状態ではあるけれど、それでも何かやれることを探さなければと思う。

今は、節電と募金、風評に流されないこと、そして無事で過ごせるのならばしっかり働き

経済活性化のためにも、意味のあるお金も遣っていかなければと思う。

そして今後の生き方の中に、こんな絶望に突き落とされた時に、少しでも誰かの力になれるような

何かを身につける努力をしていくことを加えなければならないと思う。

自分の考え方の中に、その部分をしっかりたたきこんでおかなければと思う。

生まれてきた意味は未だにわからない。でも何かが出来るはずだと思う。

自分だけのために生まれてきたわけではない。何かやらなければと思う。


人生は岐路の繰り返し。進学だってそうだし、就職だってそう。生きている限り、決断しなくちゃ

いけないことが次々にやってくる。一番の決断は結婚??こればかりは若さの勢いで決断すべし?!


さて、私の人生のターニングポイントはずばり大学進学の時。自慢ではないが、と言いつつ

どう書いても自慢になるので、自慢にはなるがと前置きすると、私は自分の成績が判り始める

中学の頃から成績が非常に良かった。父親の都合で超ド田舎の中学に通っていたが、

常にトップだった。

中3の夏休みに生まれて初めて塾というものに通ったが(田舎だったので、塾に行くためだけに

片道1時間半もかかった・・・)、夏休みが終わって受けた模試は、その塾全体で二番になった。

そのまま県内トップの進学校に進み、入学後の全国模試では、全国で10位になった。

そんなわけだから、高校の担任は、父親に私の医学部進学を勧めた(このあたりがいかにも

地方らしい・・・)。その昔、医者になりたいと思いつつ、訳あって幼少の頃に天涯孤独になり、

養子となったために教師になることしか許されなかった父も、そして教育熱心な母も大層喜んでくれた。

私もそこに何の疑問も抱かず、両親がこんなに喜んで、仲良しの友達も皆医者を志す中で、医学部進学に

向けて邁進した。


ところが、、、忘れもしない高3の冬、12月初旬に、なぜか突然医者になることに迷いが生じてしまう。

なぜだろう、何の魔がさしたのか、ふっと目の前に一本のレールが見えた気がしたのだ。

10年後、20年後、いや死ぬまで私はきっと医者なのだ。私は何のために医者になりたいのだろう。

親が喜ぶから?親友も、まわりの友達もみんな医者を目指しているから?一旦ふつふつと湧き上がった

疑問はなかなか消えない。なぜか2歳年上の姉が放った言葉が蘇る。「そんなに本が好きで、小説ばっかり

読んでいて、理系に進むんだー。昔からどう考えても文系だと思うんだけど。性格も医者って感じじゃないじゃん。好きなんだっけ?」。いや、森鴎外だって渡辺淳一だって、医者だけど作家だ!とそのときは気にも

留めなかった言葉がやたらと的を得たように感じてぐるぐる回りだした。何より、好きかどうかなんて考えたこともなかった。私は本が好きで、教科なら国語が一番好きで、好きな科目はほぼ文系だ。決まったことが嫌いで、

細かいことが嫌いで、大雑把で、明日は何が起こるか判らないようなスリルが好きで。。。そうか私は好きでも

ない道に進もうとしている???そして、私は熱を出して寝込んだ。そして決断した。私は医者にはなれない。

なりたくない。そして意を決して両親に医学部には進学しないと告げた。

その時の両親の落胆ぶりは本当に今でも申し訳ないと思っている。


それでも、やっぱりあの時の決断は間違っていなかったと思う。それまでは常に両親に進むべき道を

指し示してもらっていた。そして自分の責任などは考えたことがなかった。でも、医学部を止め、自分で

進むべき道を決めたあの日から、私には逃げ道がなくなった。私が未だにどんなに辛くても仕事を

続けることを止めないのは、そこにも理由がある。あの日、私は両親を裏切った。でもその代わりに

私の力で絶対に人生を切り開いてみせると誓った。未だに全然切り開けてはいないけれど、少なくとも

今は自分の人生に起こるよしなしごとと自分の責任で闘っていると思う。失敗も含めて全て自分の責任ゆえに、何とか失敗すら成功に変えようともがき、努力している。そして両親も、そんな私を見てすこしだけ満足してくれているんじゃないかと思う。


自分で決断して進む道を選んだ時に、全ての責任を自らが背負う。その覚悟が人生のどこかで

必要だと思う。人に決めてもらった道は、苦しいときに必ず逃げる言い訳になってしまう。

そんな人生はやっぱり情けないと思うからね。