1-12.従来の共感と他感の差異

 ここでは、他人の考え・行動に全くその通りだと感ずること同感すること)という意味や、他人の体験する感情を自分のもののように感じとることという意味での、従来の共感を「共感」として、それと他感の違いについて考える。

1.

共感の対象は人であり限定的であるが、他感の対象は人から国家や神といった非実在物や、人々の集合や、自己にまで及び多様なあり方をする。

2.

 「共感とは利他的なものであるから、その属性は基本的に善となっている。一方他感は、それ自体は中立で、それが引き起こす結果は善とも悪とも評価なる

3.

 「共感が他者の心を対象にしてそれを感じ取ろうとするのに対して、他感が主に対象とするのは他者の身体や立場や体験である。共感が他者の感情を感じ取っていることに対して、他感は他者の体験を通して自分が感じているのである。この違いは実は大きい。特に、自分と他人とで感じ方が異なる場合、同じ立場から考えていても、自分と他人は異なるものを感じていることになる。

4.

 「共感」は相手の気持ちのあり方に縛られるが、他感は相手の気持ちのあり方に縛られない。他感においては、自分と他人の感じ方がズレるということがよくあるが、「共感」は相手の立場に立つと相手と同じ気持ちになることが前提になっている。また、「共感の強さは他者本人が感じている感情の強さが上限になっている。「想像力を働かせて他人の気持ちを想像してみよう」と言う場合など、道徳では他者の気持ちにいかに近づくことができるかということが問題になっている通り、他者本人が抱いている感情の強さを上限としている。それに対して、他感の場合は、他感している相手の感情を自分の感情が超える場合も想定できる例えば、本人は問題視していないことを、周囲の人が大袈裟に捉えて本人に代わってどうにかしようとする「お節介」というやつである。

 自分の感情が「共感」している相手の感情よりも強いというの、「共感」のイメージでは捉えにくいことである。共感では「共に感じる」というように感じ方の同一性が強調されているため、自分の気持ちが相手気持ちを超えるという状況がイメージしづらい。一方、他感では、自分の感情を他者へ投影すると考えるため、その投影している感情が方向性は同じだが相手のよりも弱かったり強かったり、もしくは両者が全く別のものであったりすることが想定される

 こうしたことはハラスメントの被害者の救済においても言える。ハラスメントは常態化していると、それを受けている被害者も問題視していないことがある。こうした被害者の救済は従来の「共感」では説明しづらい。例えば、自分が受けているパワハラを通常の「指導」であると思い込んでいる人の気持ちに「共感」すると、「共感」した人も本人同様にそれを「指導」であると感じてしまうことになる。それに対して他感の概念からこれを説明すると、まず被害者に他感した人は被害者の体験を「苦痛を伴うパワハラだ」と自分の感覚で感じ取る。そして、自分の感じ方と被害者の感じ方がズレているため被害者の態度に違和感を抱いて、パワハラを受け入れてしまっている被害者の態度をパワハラを拒否する態度へと矯正しようとする、ということになる。