※この記事は2021.10に作成したものです。コメントなどを受けて適宜追記・訂正させて頂いてます。



前書き:1970-1980年代、私は幼少期から高校卒業までを北九州西部で過ごしました。その中にある折尾地区。古くは要衝とされ、中心部を江戸に作られた堀川運河が流れ、鉄道が交差してます。明治以降は西の遠賀川一帯から算出される石炭でも賑わい、昔から続く小さな商店や民家が所狭しと立ち並んでました。

また折尾は北九州の西の玄関にあたり、人や車の往来が激しく、学校が集中する学生街でもあります。かつてそこには祖父母宅があり、私は小さな頃から行き来してました。また高校時は通学で毎日訪れてました。


もうかなり昔になってしまい、当時の記憶もかなりおぼろげで写真も少ないので、これまではテキトーに妄想しながら・コメントで訂正頂きながらの振り返りでした。が、先日当時の地図を入手できました。
以下では改めて私の幼少期、1970-1980年代の折尾駅東口周辺について地図で振り返ってみます。
よろしければお付き合いくださいませ。

▼航空写真(現在と1970年代)
他でも書いてますが、駅前や堀川沿いはごっちゃごちゃです。。改めまして、こんな感じです↓

・駅へ続く道路は、行きと帰りで高さが違ってて段差になってて、ロータリーは狭く、周囲は建屋にぐるっと囲まれてました。(後述のサイトに写真あり)

・ロータリー周りには、黒いススが集積し、タバコの吸殻などゴミが散乱しており、堀川沿いも商店の品物やゴミ?などが雑然と置かれており、お世辞にも綺麗とは言えない場所でした。。

・堀川(※)は駅ロータリー部分で暗渠になりますが、その入口は大きなゴミが暗渠に流れ込まないように、たしか赤色?の鉄柵がありました。そこに引っかかった大きなゴミが、他のゴミたちも堰き止めて、柵のところはゴミがわんさかになってました…
(後述のサイトに写真あり)

・川の水は、間違って川に落ちて飲んじゃったら絶対病院行ったほうがイイ感じ…臭くて濁っててたぶん視界ゼロの深緑色…

・この二十年ほど前、1950年前後の空撮によれば駅前の堀川はまだ暗渠ではなく、西鉄折尾駅寄りを流れてて、そこに木の橋が架かってたようです。

(※)生活圏の方は単に堀川と呼んでますが、正式には新々堀川。源流遠賀川から分岐して1キロ弱、堀川・新堀川と続き、以降洞海湾までがずっと新々堀川らしいです。(幼い頃、新ウルトラマンも次は新々ウルトラマン?とか妄想してた気が…)

以下、当時の地図で振り返ります。

なお、住宅地図ですが手書きですし、土地面積や建屋サイズよりも、名前や位置関係を優先してると思われます。

また、他の地図で誤植や誤記/漏記などもチラホラ見かけます。以下の地図にも混入してるかもしれませんが、私が当時を知らなさ過ぎて正誤判別できません。ご容赦ください。

▼駅前ロータリー付近を拡大


▼1970年当時(地図は南北が逆転)
当時のごちゃごちゃした様子がこの地図からも窺えます。色んな所が文字が潰れて解読不能です…

【駅東口すぐ、線路沿いの店舗群】
・この一帯はその後バス乗り場になりましたが、当時は駅寄りの部分にも建屋が並んでました。一番手前(左下)は交番でしたっけ?

【旧丸和側の店舗群】
・ 右下、角の一等地は折尾遊技場、パチンコ屋ですね。その隣にも新道遊技場。(後述のサイトに写真あり、喫茶久羅が隣接してたようですが地図ではよく分かりません)

・ パチンコ屋の前、右上のガード下へ続く道は、新道と呼ばれていたようですが、この道が整備されたときに命名されたんでしょうか。パチンコ屋の間にも路地が通ってて、そこに店舗が並んでます。

・遊技場の隣に食堂。その隣のニ鶴寿司はその後丸和寄りに少し動きましたが、後年まで親族で利用してた、回らない方のお寿司屋さんです笑。その後、現在の広域整備で丸和一帯が更地となり、八幡駅近くに移転されてます。→福岡県北九州市八幡東区西本町4-8-13

※八幡東区には大蔵にもニ鶴寿司さんありますが、そちらではありません。

・ 更にそこから7軒隣の鉄なべ(餃子店)はかなりの人気店だったそうです。現在も黒崎に移転し営業されてます。

※博多にも同じく鉄なべを掲げる店があり、かなり繁盛してるそうですが、パッと見た感じだと系列ではなさげ?

【旧西鉄折尾駅側の店舗群】
・ 左上、角の一等地に洋菓子店エトワール。親族のお気に入りでケーキなどをよく買っていたそうです(後述のサイトに写真あり)

・ その隣は、堀川に向かって、折尾タクシー、田中テレビ・ラジオ商会、酒場ボタンと続いてます。(後述のサイトに写真あり)

・ 更にマルミ美容院、第二平和(ピンホー)中華料理、こっくどおる、三平食堂。

・ エトワール横にある西鉄折尾駅上り階段の先には、ホノルル食堂など飲食店がたくさん並んでます。

【地図右側エリア】
・ 右上太枠部分(後の丸和敷地)、ココには国鉄の購買部あったんだそうです。(母や叔母も買い物に行ったことがあるようですが、何の店舗だったかは記憶にありませんでした)←コメント頂いて追記

・ 右側、線路手前の大きな建屋は写真折尾駅の貨物取扱所のようです(後述に写真あり)。そこから線路を渡った先、喫茶カドは折尾で暮らしていた親族のお気に入りだったそうです。(角にあったのを覚えてるようですが、この時代の地図だと手前に食堂があります)

・ その下には白石書店の支店があります。すぐ近くの駅東口側、堀川沿いに本店があり、地図枠外ですが学園大通り側にも支店がありました。この近距離で計3店舗。

【2023.5追記】
西鉄折尾駅脇の通りの写真は、西鉄折尾駅正面の写真に写り込んでるものばかりなんですが、同志社大学鉄道同好会OB会サイトに総本家青信号特派さんが反対側(白石書店支店側)から撮影された写真を公開して下さってます。



▼1980年当時
先の十年後なので、いくつか店舗が入れ替わったり分割・統合したり。

【駅東口すぐ隣、線路沿いの店舗群】
・ 店舗群の裏に通りが記載されており、そこに交番と駅休憩所が設けられてます。
・ 駅出てすぐの一等地は東筑タクシーに。
・ 西めがね店は変わらず。隣はラーメン屋に(後述のサイトに写真あり)
・ 後年、丸和のビル建設を含む駅前整備事業などでココがバス乗り場になった後、私も高校通学でチャリを使わないときに利用してました。

【旧丸和側の店舗群】
・ 角地は引き続き遊技場ですが、隣は大衆食堂「竹の家」に。(後述のサイトに写真あり)
・ さかえや、洋菓子の欧州が進出してます。

【旧西鉄折尾駅側の店舗群】
・ いくつか店舗が変わってるようですが、通りに面した店舗はあまり変わってないようです。
・ 折尾食堂はホントに大きくなったのかな。
・ 線路脇には、おどり教室が。
・ 堀川沿いは1970年で大きく書かれていた店舗が分割されたようにも見えますが、単に隣に店舗が進出しただけなのか、よく分かりません。

【地図右側エリア】
・ 国鉄購買部があったところは駐車場に。
・ 駅の貨物取扱所?は、保線区に表記が変わりました。
・ 喫茶カドの隣にあった食堂てつ屋の記載がなくなり、喫茶カドがちゃんとカドになってます笑

以上ほぼ地図を読み取っただけの内容ですが、当時の折尾駅前や堀川の貴重な写真が掲載されているサイトがたくさんあり、上記と重なる写真がいくつかあります。よろしければ、あわせてご覧下さい。

▼サイト「日炭高松炭鉱の記憶」より


▼おりおねっとより



また、北九州市公開データの中に理容所のリストがあり、一番古いもの(2019.3付)をキーワード「寮」「鉄」で検索してみますと、次の四つがヒットします。
うち一つが折尾駅構内。国鉄職員福祉理髪所としてエントリーが残ってます。

以上になります。
最後までお付き合いありがとうございました。