2014年!新年にあたって | すぎっちの明日も晴れるや~(^O^)♪

すぎっちの明日も晴れるや~(^O^)♪

札幌市内のライブバー、カフェなどで『カラフル・スマイル』という企画ライブを月1〜2回開催しています。
素晴らしい出演者がぞくぞく登場!
音楽が好きな方にぜひ来ていただきたいです。初めて来られる方、大歓迎。一緒に楽しみましょう(^^♪

2014年、あけましておめでとうございます!
昨年はたくさんの出会いがあり、素晴らしい一年でした。
みなさんにお世話になり、本当にありがとうございます。
今年も何卒よろしくお願いします。
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〈成功者の習慣〉
「小さな時間を生かすことも考えよ。
五分、十分の蓄積が、けっこう大きな実りをもたらすのです。」
渡部昇一氏(上智大学名誉教授)

そのとおりだとわかっていてもなかなかできないこと。
普段から意識しているか、そうしようという意思があるか。

具体的に何ができるかな、と考えてみる。
5分、10分時間があると、まずはiPhoneを取り出し、メールやTwitterやFacebookやLINEをチェックする。
今の私はそうしている。
まあ、それはそれで悪くはないんだけど、何かしらの目的意識もなく眺めていたら、ただの時間つぶしでしかない。
あまり生産性の高い時間の使い方ではないかもしれない。

普段から本を持ち歩き、5分、10分の時間で本を読むというのはどうかな?
以前、そうしていた時期があった。
研修で、月に4冊本を読み、感想文を書いていたころだ。
本を読むことはいいことだ。
中には役に立たない本もあるが、たくさん本を読んでいたころには、見識が広がった。

私たち人間は、言葉と知識を駆使して生きているが、それを豊かに使うためには、まずその元になる言葉や知識を自分の脳に納めなければならない。
食べ物から栄養を摂取しなければ体が動かないのと同じで、頭脳にもその元を補給してやる必要がある。

言葉や知識を取り込むには、本以外にも色々なものがある。テレビ、映画、音楽、雑誌、ネット、、、
そういったものから得られるものには、よい物も悪い物もある。
食べ物に例えれば、栄養バランスの取れたものから、偏ったジャンクフードまで。

本がいいのは、さっき書いたように、5分、10分の時間を活かすことができること。
それと、テレビやネットを見るのとは違って、想像力を刺激される。脳の違う部分が活性化されている気がする。(詳しいことはわからないけど)

ということで、今年は常に本を持ち歩いて、5分、10分の時間で本を読むことにします。
実は買ったけど読んでいない本がたくさんあるので、、、f^_^;)(笑)

もう一つ、脳に言葉や知識を補給するのにいいのは、人と会って話すことだ。
それも、自分とは違う考え方や物の見方をしている人。
何か目標を持って努力している人。
夢を持ってそれに向かって進もうとしている人。

そのような人たちは、やっぱり考え方や物の見方がしっかりしているし、話していて刺激を受けることが多い。
私は未熟だから、ネガティブな人に交わるとそちらに引っ張られてしまう。

そういう意味では、音楽をやっている人たちからポジティブな刺激を受けることが多い。
今年もたくさんのミュージシャンと関わる機会を作っていきたいです。よろしくお願いします。

もう一つ、弱く力がないと感じている人たちのために何かできないだろうか。
ここ数年、この考えが心に響くのだが、なかなかそのような機会がない。
私にはまだ早いのかな?

私たちは、人間的な価値観で、この人は役に立つとか立たないとか判断しがちだけど、神様の見方は違うと思うんだ。
無力に見える人にこそ、素晴らしい役割がある。
それは、聖書に「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(コリントの手紙2 12-9より)
とあるとおり、神様の力は、弱い人にこそ働かれると思うからだ。
自分は無力だと思っている人にこそ、そうじゃない、と伝えたいと思う。
神の愛は私たちの想像をはるかに超えて偉大。
神のあわれみに感謝。

最近思うことをもう一つ書いておきたい。
以前の私は、「人間は何千年、何万年たってもちっとも進歩していない、同じ過ちばかりを繰り返している」と、人類というものに対して、悲観的だった。

ある日、クリスチャンの先輩に「なぜ約2000年前に、そのタイミングでイエス・キリストの生誕という、人間に対する神の介入があったのですか?」と質問した。
(神の子キリストは、神が私たち人間を限りなく愛しているという証を示すためにこの世に遣わされた。それは、人間の歴史に神が現れた、神の介入と考えることができる)

すると、「神と人間の関係がその段階まで進んだから」という答えだった。
私は、その答えを聞いてはっとした。

それまで、私は、人間は同じ間違いを繰り返し、ちっとも進歩していない、と思っていたが、そんなことはないのだ、と気付かされた。
神から見て人間は、神の子が直接人間と接触できるぐらいに神との関係を発展させてきた。(その結果、人間は神の子を殺す、という間違いを犯すわけだが、神にとってはそれも計画のうちで、キリストの復活という人間には想像もつかない恵みを示してくださった)

人類というものを俯瞰したとき、確かにネガティブな面も抱えてはいるが、一方で、ちゃんと進むべき方向に進んでいるのだ。
様ざまな形で、人類は発展してきた。
私たちはその発展の途中にいて、私たちひとりひとりがその発展に関与している。
人類の発展に対してネガティブな感情を抱くのは、結局のところ、他人任せの態度なのだ。
間違っているものは正し、正しい方向に進めていくのは、いま生きている私たちひとりひとりの役目なのだ。

自分自身が、人間の発展の歴史の一部(ほんのごく小さな一部だけど)を担っている。
それは、今生きているすべての人に等しく託されている。
そう考えると、なんか人間ってすごいんだな、と思えてくる。
自分にできることは、ささいなことでもいいから、やらなくちゃ。
ひとりひとりが実現する小さなことの積み重ねが、人間と神との関係を発展させていく。
この世に楽園を実現させていくのは、
私たちひとりひとりが託された役割をどれだけ実現できるかにかかっている。
その歴史の一部となれることを神に感謝。


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