今年の復活祭は3月31日\(^o^)/ | すぎっちの明日も晴れるや~(^O^)♪

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今年の復活祭(イースター)は3月31日。
イエス・キリストが十字架に掛けられて死に、葬られたことを思い起こし、3日目に復活したことをお祝いします。

復活祭は「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」に祝われるため、年によって日付が変わります。

また、復活祭の直前の木曜日から土曜日までは「聖なる過越の3日間」と呼ばれ、つぎのような儀式が行われます。


*聖木曜日〈主の晩餐の夕べのミサ〉
(今年は3月28日)

ダ・ビンチの絵画などで有名な、最後の晩餐を記念します。
このミサでは、「洗足式」が行われる場合があります。これは、神父が信徒数人の足を洗う儀式です。最後の晩餐において、イエスが弟子たちの足を洗ったことを再現するものです。
当時、主人の足を洗うのは、奴隷の仕事でした。
イエスは「わたしは仕えられるためではなく、仕えるために来た」「互いに愛し合いなさい」というご自身のことばを、弟子たちの足を洗うことで実践されました。


*聖金曜日〈主の受難〉
(今年は3月29日)
この日、朗読される聖書の箇所は、ユダの裏切りから始まります。
イエスは、逮捕され、不当な裁判にかけられ、無実であるのに死刑が宣告されます。
イエスは、ローマ兵から茨の冠をかぶせられ、鞭で打たれて虐待を受けます。
そして、重い十字架を担いでゴルゴタまで歩かされます。この間、三度倒れた、と言われています。
ゴルゴタの丘で十字架に付けられたイエスは、言語を絶する苦痛ののち、「成し遂げられた」と言って息を引き取ります。(このとき、ローマ兵が来て、イエスが死んでいるかを確かめるために使った槍が「ロンギヌスの槍」と言われています)
イエスは十字架から降ろされ、墓に葬られました。


*聖土曜日〈復活の聖なる徹夜祭〉
(今年は3月30日)
いよいよ、イエス・キリストが復活します。徹夜祭という名のとおり、かつては夜を徹してお祝いの儀式が行われましたが、現在の日本では、土曜日の午後7時前後から行なわれることが多いです。

儀式は、「光の祭儀」から始まります。
教会の照明を落とし、キリストを象徴する復活のろうそくに火を灯します。その復活のろうそくから、一人一人が手にしたろうそくに灯りを移していきます。
私たち一人一人が、キリストからいただいた命に預かって生きていることを表しています。
灯りのない聖堂に、小さなろうそくの光がたくさん揺れている光景は、とてもきれいです。
みなさんにも、一度は見てほしいです。

次に、復活の賛歌を歌い、聖書朗読に入ります。旧約聖書の創世記に始まり、聖書の主要な箇所が朗読されます。

最後に朗読されるのは、次のような場面です。
イエスが埋葬された墓を見に行ったマグダラのマリアたちは、墓をふさいでいた石がわきに置かれ、中が空なのを見ました。
途方に暮れていると、天使が現れ、彼女らにこう告げました。
「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。
あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。
人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」(ルカによる福音24-5~7)
マグダラのマリアたちは、帰って弟子たちに一部始終を知らせました。
しかし、彼らにはたわごとのように感じられ、信じませんでした。


土曜日の復活徹夜祭、または、日曜日の復活の主日には、多くの教会で洗礼式が行なわれます。
復活したキリストにならい、私たちも古い自分は死に、キリストによって生きる者になるという意味が込められています。

復活徹夜祭が終わると、信徒たちは、「ご復活おめでとうございます」と挨拶を交わします。


*復活の主日
(今年は3月31日)
この日の聖書朗読では、マグダラのマリアから墓が空だったと聞いたペトロとヨハネが、墓に向かう場面が朗読されます。
自分の目で墓が空になっていることを見た2人ですが、まだ彼らはイエス・キリストの復活について、理解していませんでした。
(なお、ローマ教皇は、このペトロの座を引き継ぐ人のことです)

この後、イエスはたびたび弟子たちの前に現れ、500人以上の目に触れ、復活したご自身を示しました。

復活から40日後、イエス・キリストは弟子たちに、
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16-15)
とおっしゃり、天に昇っていかれました。

イエスは私たちを地上に残す代わりに、私たちに聖霊を送ってくださいました。それは、
「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」(ヨハネ14-16)
というご自身のことばを実現したものです。
私たちは、聖霊の時代に生きています。
イエス・キリストを信じさえすれば、聖霊の助けによって、天の国に迎えられるという時代です。
私は、キリスト教のこのような完全にポジティブな考え方が好きです。
私たちは、修行したり、悟りを開いたりする必要はない。どんな罪を犯した人も、自分の罪を悔い、イエス・キリストの十字架の死と復活をただ信じさえすればよい。
これこそ、私たち信徒が、つくられたすべてのものに伝えるべき福音(よき知らせ)なのです。
神に感謝。



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