先日デモンストレーションについて本ブログで書いてみたわけだが,もうひとつ同じような印象を受けたのが「イマジネーション」であった.
後から,両方とも作詞作曲が清竜人であると知ったわけだが...
両アルバムを一通り,一回だけ聴いた後で,全ての曲の中から一番に惹かれたのが「イマジネーション」である.
序盤の歌詞(セリフ)だけでこの曲の虜になった.
この世の始まりがアダムとイブなら
この世の終わりは私と貴方にしたい
こんな表現があるのか...と度胆を抜かれた.
そしてこれをももいろクローバーZの5人に言わせるのか...!!とも.
その曲名の通り,この曲の歌詞は非常にイマジネーションに富んだ歌詞になっている.
イマジネーションという言葉では抑えきれないほどの過剰な妄想も含まれている.
それをナチュラルに丸くしているのが,メンバーらしさであるように感じる.
歌詞に注目していくと,一番では「どんな宇宙理論も軽々超えられるよ」とある.
この歌詞はデモンストレーションの歌詞とオーバーラップしてくる.
ガリレオにメッセージを送ったデモンストレーションの現実味ある力みなぎった「私」がいる.
一方,ここまで妄想的に非常に乙女らしい可能性を膨らませる「私」もいる.
二曲を通して,ももクロという存在を彷彿とさせる構造になっている気がする.
(ちなみにセリフの冒頭では「もしも地球が回ることを止めたなら」と,いきなりオーバーラップしている.)
二番では「貴方のそばに行けば 不思議ね 忽ち呼吸が出来ないよ」と歌う.
曲冒頭のセリフに「わずかに残った酸素」などの,呼吸に関する表現があるわけだが,このときには,「貴方のために呼吸する(できる)」と歌うのに,「貴方のそばに行けば 呼吸が出来ない」とも歌ってしまうのだ.
二番のサビ後,
「ねえシモーヌ 重力が無くなったらこの思いも消えちゃうのかな」
「でもね 私のエネルギーは既にインフィニティだよ」
というやり取りがある.
ざっくり「シモーヌ」は女性の名前であるから,二人目は女性なのだろう.
一人目はどっちだ?感覚的にはやはり女性か?
この曲は徹底して女の子のイマジネーションの世界だろうか.
ちなみにこの二番のサビ後の,百田と玉井のセリフという構成は,デモンストレーションのセリフと同じ構成になっている.玉井が「イマジネーションはデモンストレーションのアンサーソング」と表現するのもこういうところからくるのかもしれない.
(清竜人からこれらの曲に込めた想いは果たして直接聞いているのだろうか...)
さて,いろいろとイマジネーションを働かせる曲も最後には,素朴で,かつ身近な「声」に帰着される.
会いたくても会えない夜は声を聞かせて
ももクロを応援する私たちにとって,このアルバムの曲は,彼女たちの「声」である.
それをイメージしたとき,最後の百田のセリフがやけにグッときた.
待ってるね