こっちを向いて | ももクロ狂詩曲

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今日「百瀬、こっちを向いて。」を観てきた。

みなさんもご存知、早見あかりの主演作品である。


少しだけ感じたことを書き留めておきたい。

内容に少し触れるので、まだ映画を観ていない方は、映画を観てから、この記事を読んでいただけると幸いである。(いわゆるネタバレになりかねないので、それでも良い方は読んでいただきたい)


また本記事はあくまで早見あかり(とその背景)に着目するものであり、映画をごくまれにしか観ない私の映画全体の感想および役者さんの演技に対する感想はほぼ書かない予定である(笑)






さて。

まず何より思いが強くなってしまったのは、映画の冒頭、タイトル表示の部分である。

早見あかりが青い花(おそらくツユクサ)を空へと放り投げるシーン

スクリーンが青い花吹雪に染まる。


映画が進むにつれ、青い花の意味が明らかになるわけだが、早見あかりのバックグラウンドを知っている人間としてはどうしても涙腺がゆるむ。

「ここまで来たのか、と。」


監督の耶雲さんがパンフレットで明らかにしたのは早見あかりのアイドル時代を見てのオファーであった、ということである。その理由もパンフレットに記されているのだが、実に早見あかりという人間を捉えていたように思われる。

どのような詳細な経緯で抜擢されたがわからないが「青」のイメージ(ただしこれは単純な色彩のイメージだけでない、もっと人間的な「色」)にリンクしてきたのだろうか。

先述の冒頭のシーンもそのイメージがあるからこその効果なのかもしれない。

(つまりは早見あかりを知っている人間にとって、のちの青い花との関連だけではとどまらない何かを生み出した)


次に早見あかりと映画の中の百瀬という役について。

早見あかりは百瀬を演じきった。(いやそんなことを言うのは女優さんに失礼であるのはわかっているが)


ただどこか早見あかり本人と重なるところがある。

少し男勝りで、でも面倒見が良くて。どこか寂しげで、でも見せる笑顔は輝いていて...


演技のことは私はよくわからないが、いわゆる自然な演技になっていたのだろうか。

百瀬役が早見にとって適役であり、かつ早見は百瀬そのものであり、百瀬を演じていた。

そんな感じだろうか。(もちろん早見の努力がそれを可能にしたのも分かっているつもりである)



「この映画、一言で表すならなんだろうか?」と終演後考えていたのだが、ここはシンプルに「青春」だと思った。

ただその「青春」という一言では表しきれないのもまた事実である。(どっちだよ笑)


「青春」

うーん、なんだろう。この言葉のイメージ(感覚)は、人それぞれなのかもしれない。

この映画に関しては「切なさ」がこの言葉を、なんだかちがうものにも見せてしまうようである。

だからはっきりと「青春」とも言い切れないのかな。



最後に。

この映画を観ていると、なんだか空が見たくなった。

晴れの日の青い空でも、白い雲が泳ぐ空でも、真っ赤な夕焼け空でも、月が浮かぶ夜空でも、どんな空でも良いから。風を受けながら。

そして空を見て、何も考えなかったり、逆に何か考えたり。


人間、空を見上げることって大事だと思う。

そこに何かを見出すのかもしれない。


私にも大切な人ができるのだろうか。

その人は空を見上げることが好きな人だったら良いな、なんて思ってしまった。


明日か明後日か、数か月後か数年後か、幾年後か。

この映画から感じるものが確固たるものになるのは、もう少し後になってからなのかもしれない。

そのとき「こっちを向いて。」という言葉がまたちがった見え方になるのかもしれない。


それを楽しみに前を向いて。上を向いて。