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今年の3月11日は

父の誕生日でした
ライブのフードスタッフをしました
フードの売上を復興支援活動をしている団体に寄付します
年2回続けていくライブです

五年前のその日は停電した家で父の誕生日を祝いました
スキーウェアを着て暗闇と揺れと孤独に何日も耐えた日々でした
四年前は風穴が空いたみたいになった釜石に行きました
皆さん笑顔で迎えてくれたけれど、海辺は空っぽでした
三年前に岩手を離れて千葉に来ました
二年前のその日「え、今日って何の日?」という声を聞きました

五年前のその日からとても大きな悲しみを経験しました。
とても苦しい日々でした。
何よりも、忘れ去られていく都会の日常が苦しかった。
この時期だけ騒がれる、移り変わりの早い報道が許せなかった。
放射能に汚染されているのに、野菜などを食べて支援しよう、などという健康を無視した風潮もあった。
その後に起こる被害も無視して善意を焚き付けるような、そんな報道も多かった。
目出度いニュースを批判するわけではないけれど、もっと知るべきことがある。
知って、忘れて欲しくないことがある。

五年経ってようやく、微力でも支援を始められて良かった。
この先も長く続いていくイベントでありますように。
たくさんの願いを込めて。





うだうだすっげー長い文章書いてたけど消えた。


でも自分語りも不幸自慢みたいなのも好きじゃないからちょうどよかった。



自分が愛されてなかったとは思いたくないけど、
育った環境がちょっと可哀想だったというのは認めなきゃいけないと
4カ月通ったカウンセラーさんからのお言葉。



理不尽だって思って、それでも悲しみながら人って生きていけないんだね、


絶対どこかで「よりよく生きよう」として

ちーーーーーーーっちゃな幸せを馬鹿みたいに喜んで
それで、理不尽も悲しみも帳消しなの。


帳消しじゃなくて、その記憶を押し込んじゃうの。



でも溢れてきちゃうから、20年過ぎた今苦しいんだと。




幸せになりてぇなぁ



ううん、言い換えると



100%何があっても私のこと肯定してくれる人ほしいなーです。




いつも「私以外の誰か」を欲しがっていた母でもなく、
いつも「私がいかに間違っているか」を激しく罵倒していた父でもなく、



ああでもね、母はいつも味方だと思ってたんですけど
カウンセラーさんに言われたんですよ

「じゃあなんであなたが怒鳴られて辛くて悲しい時助けてくれなかったの?
怒られたあとに『仕方ない』って言いに来るだけだったの?」って


「揉めることを避ける代わりにあなたを差し出したんだね」って



いい加減この両親肯定癖もやめなくてはね。



短気でよく怒ってしまうから、まるで父のようで嫌で悩むんだけど

「思い通りにするために怒ってるあなたのお父様とは違うから
もっと怒りとか悲しみを他人に伝えていかないと
あなたはいつまでも他人と本当に仲良くなれないよね」と




カウンセラーさんの言葉はとて辛辣というか、ストレートで


目を背けちゃだめだよ私



私の「死にたい」は

「楽になりたい」
「愛されたい」
「認めてほしい」
「何があっても変わらないものがほしい」



ずっと逃げたかった家で、今も戻りたくない家で、

それでもずっと妹は私のこと好きでいてくれて味方だったんだなって
今離れて暮らすようになってから今更感じて


去年急遽の帰省の時も、真っ先に浮かんだのは妹と弟のことで



怒られた後に不機嫌でいてもいいことはなかったしマイナスだったし
じゃあ切り替えていつも通り笑っていこうって

理不尽さを見ないふりして自分が悪いからって



自分で自分を認めてあげるために、
自分に後ろめたいことはやらないようにして、

でもだから今も悪者にされるととても動揺する


「もう後ろめたいことはないから悪者って思わなくても済む」って思いたいんだけど



うーんなかなか白黒はっきりは難しいんだな、こりゃ。




寂しがりが直らない、というか

そこまで心を許さないからいつまでも孤独なんだろう



とりあえず空気とか読まずに自分の思ってること話してみようかな
みんなが笑ってるところに悩み事ぶちこんでも許してくれるかな

私の周りにいる人なら大丈夫だろう
私は人に恵まれる星のもとに生まれたから、きっと大丈夫だろ



家族だって結局盾になってくれる家族もあれば刺される家族もあるから

いい加減得られなかったものじゃなくて今得られているものを



哀しい時声かけてくれる人がいるんだよ

「居場所はあるよ」って言ってくれる人も


死にたいなら一緒に死のうって言ってくれる人も。



もしかしたらもう少し日々を過ごしていったら
「生きててよかった」って思える日もくるかもしれないし

「もうちょっとだけ生きてみようかな」って思えるかもしれないし




とりあえずおなかが空いたから、お米食べようか。



  



先日フジテレビで放送された『タイプライターズ~物書きの世界~』をようやく見ることができました。


ジャニオタ、ずっとNEWSを応援してきた自分としての贔屓目もあるかもしれませんが
加藤シゲアキ×又吉直樹・・・って。
アイドル、芸人の肩書を持ちながらの作家2人。私も大好きな文字書きさん。

本を読む、文を書くものとしては本当に脳みその中を覗きたいという願望を隠しえません。




物書きの物書きによる物書きのためのバラエティーとして企画された番組。


そしてこの番組のゲストとして招かれていたのが同じく作家の朝井リョウさん。


早稲田大学のキャンパスを初めて見たけどうわー憧れるわー。THEキャンパスってかんじ。
あれ、おかしいなぁ、私も大学生なはずなのに(笑)


作家さんの話をきちんと聞くことってあるようでないというか。
エッセイとかで生活や様子は知ることが出来るけれど生の、人間としての
表情と言葉と、声がある情報ってなかなか得られないからとても新鮮で。


どうやって作品を作り上げていくのかその姿勢などは普段知ることができないので
あー、そうやって書いていくんだなぁって思って。

「誰にも知られたくないことを書く」
「どんな作品を書く、ってテーマを述べられないから何百枚も書く」


なるほどなぁ。こう聞けば当たり前のように思うけどとても奥深いなぁと。



「恥ずかしいものは性欲より食欲」という朝井さんの言葉、
自分はすごーーーーく共感できて「ああああわかる!!!!!」と。


食べるのは生きること。

今食べ物のことを勉強しているけれど、ある時にふと

「なんで生き物を殺してわざわざ火を通して咀嚼してぐちゃぐちゃにして体内に取り入れてるんだろう。こんなおぞましい行為をしてまでも生き延びたい人間ってなんなんだろう」って(笑)



もちろんそれを常々思っている訳ではないし、それを逆手に取って
気分が落ち込んでいる時にあえて少しだけいいものを食べに行ってみたりすることもあります。


そのまま落ちていって「死にたい…」って思う前に

少しいいもの、美味しいものを咀嚼し、五感で感じて「美味しい」って思えること。
それって「あ、なんかいいな」って、「少し幸せかも」って思えるだけで気が緩むから。


どんなにイライラすること、悲しいことがあっても、人は食べることをやめない。
だから私は食べることが好きなんだろうなぁって思います。


食べることをやめるということは「生きる当たり前」をやめること。

人間って三大欲求、「食欲・性欲・睡眠欲」があるけれど、
その中で「生」に何よりも直結するのが「食欲」だと思って。


だからこそ時としておぞましいと感じてしまうことがあるのかなぁと。



悲しくて眠れない時、
恋をしたい、触れ合いたいって思わない時、

どんな時でも「ごはん」は側にある。



それは一杯の牛乳かもしれない、
たった一つのおにぎりかもしれない。

毎日何気なくこなしている行為だけれどそれは「生」に直結して「好み」にも直結する。
「好み」だということは「その人自身」につながるということ。


無意識で選んでいる紙パックが、タッパーが、お箸が、全部「自分」につながる。

その一口が自分を「生」かしてく。



動物が子育てのために、植物は繁殖のために、
それを採取して、調理して、歯で磨り潰して、消化していく。

人間のための世界。
人間が「生」きるための世界。

そのための食事。




他にもたくさん「おおー、作家さんたちには世界はそう見えるのかー」とか、
シゲちゃんのちょっと過激なアイドル論も聞けたし。

過激だろうが何だろうが、ただお飾り人形として笑顔を撒いてるわけじゃなく、
自分の信念はきちんと持ったまま、自分が考えたことで笑顔を導いてく姿勢が

嗚呼だから私はNEWSが好きなのだなぁと感じる場面もありつつ。



「作家」という職業としての「商品」としての「小説」の作り方を

ただ書きたいことを書いていく、才能として、ではなく
「こういうものを書いていこう」「こうやって売っていこう」

普通の商品としての売り方、作り方ならなんとなく想像ができるけれど、


知りたかったような知りたくなかったような、
それでもそうやって書いていく作家さんたちのお仕事について、姿勢について

どうにかしてその文才を貰い受けたいくらい素敵な脳みその
その文章の向こう側を少し覗くことができたような、そんな番組でした。



是非第二弾を…!!!