先日出演してきた秋の合唱祭。

講評に書かれた言葉に動揺して心が折れがーん詳細)、
悲しみデトックスしてみたら被害妄想かもと気づきはっ詳細)、
次の練習でちゃんとテープ聴いて、
事実に基づいた生産的な反省をしようと覚悟したおーっ

ちょっと時間が経っちゃいましたが、
一週間後に、実際に演奏会の録音テープを聴きました。

聴いてみたら・・・

目立っておかしなところは全然なくて・・・

むしろ最近の中では、けっこう良い出来栄え!おー

アルトも悪目立ちしてるところは別になくて、
「表現が考えなしだったかも・・・」と思った部分でも、
あー、「考えなし」くらいで良かったんだなって、
逆にうまくいってる感じに聴こえて。

じゃあ講評に書かれてたのはなんだろう?と、
わからなかったので聞いてみたところ、
どうも、あの日講評を書いてくださった方は、
昔から、うちの合唱団の表現方法と
好みが合わないところがあって
・・・結局、そういうことだったらしくムム…

結局、私の落ち込みは、
本当に、ただの被害妄想だったことが判明。

・・・コンプレックスって恐ろしいものです。
現実を見ようとせず、心の中で勝手に事実を捻じ曲げて、
これまた勝手に閉じこもって落ち込んでしまう。
(だから、克服するのが大変なんだな・・・)

だいたい、ひとりで演奏をぶち壊すような力量は、
私にはないんですよね。どんなに人数少なくたって。
そもそも「私のことだ」と思うこと自体おこがましい

でもそれこそが、心に沁みついてしまった悪いクセ。
自動的にそう感じて、自動的に悲しみに暮れてしまう。
私はダメだーげげって落ち込むだけの、
反省になってない反省=自己虐待を繰り返した結果。

今回は、悲しい気持ちをどうにかデトックスしよう、と
小さい楽しいこと・嬉しいことを機械的に重ねていって、
その日のうちに、ふっと冷静に戻ることができました。
(本当に、ある瞬間に「ふっ」とモヤモヤが抜けたおー
そこで、「あれ?被害妄想だった?」って気づいて。

だから、もしも、講評者の好みの問題ではなく、
本当に問題があったのだとしても、
事実として受け止めて、生産的に反省できたと思います。
デトックスしてなかったら、被害妄想を抱えたまま、
それ以上辛くなるのが嫌で、鬱々と閉じこもったと思う
そんなんじゃ本当にダメなだけで何も変わらないのに。

あー、だからずっと辛かったんだってわかりました。

だって、そんなこと繰り返してたら、
そのたびに深みにハマっていくだけで、
出口はどこにもないですもんね。

そしてハマればハマるほど、行動せず閉じこもるようになって、
行きつく先、本当にダメになってしまう・・・

そしたら、本当にダメになっちゃってるので、
「ほら、ダメじゃん!事実じゃん!」って、
悪いクセが本格的に納得して権力を持ってしまうがーん

人は自分が思ったとおりになるって本当だ・・・!
「私はダメだ」って思ったら、本当にダメになるんだ!
こわい~げげ

それからもうひとつ怖いなって思ったのが、
私はダメだーげげって落ち込むだけの、
反省になってない反省=自己虐待っていうのが、
実は自分を無意識に正当化してしまっているっていうこと。

こんなに辛い気持ちになって苦しんでる・・・
だから、許してもらえるに値する。
多分、そんなふうに自分を正当化してるんだと思う。
そこで終わっちゃうから、結局また同じことを繰り返す。

でも、ダメだーげげってわかっているなら、
良くなるように行動や考え方を変えていくことこそが反省。
辛い気持ちになることは、単なる気分の落ち込みであって、
心の反射的な反応であって、
それそのものは、結局は反省でも何でもない。

コンプレックスに限らず、
直したいのに悪いクセが抜けないのって、
多分こういうところに原因があるんだろうな~