銀嶺と笛吹き人形フローラ。ハーモニーの綺羅。

銀嶺と笛吹き人形フローラ。ハーモニーの綺羅。

⛄❄⛄❄⛄❄⛄❄⛄  これだと思うファンタジーをみつける日まで  ⛄❄⛄❄⛄❄⛄❄⛄


 みなさまこんにちは!
 『礼拝堂と大ッきなリボン』を、とにかく再スタートさせちゃいます。
 中学生バンド俺達ノオトが令和の世界から一億年後の未来世界に乗り込んでいって、笛吹き人形フローラの1歳のお誕生日をお祝いするハッピーバースデー音楽会にむけて行動を開始したあたりまでぴーなつのファンタジーは進んだのですが、これから数回(あるいはもっと)ファンタジーの時計の針を令和の時代へ戻して話を書き進めます。どうか、おつきあいください! 
 前置きよりも、ファンタジー出航! 
        
        
      ギター     マイク     ドラム
     
      

 俺達ノオトの15人のメンバーが通うキャンパスでは例年四月一日に、人呼んで「キャンパス全体入学式」なる一大イベントが挙行されるのがならわしだった。
 「キャンパス全体入学式」――それは読んで字の如く、キャンパスにある幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、大学院に進む新入生の全員が一堂に会する入学式であったので、会場となる銀嶺記念大ホールがいくら国内屈指の大きくて広いホールであったとて、そこに足の踏み場もないほどぎゅうぎゅう詰めに児童生徒学生が集まる関係上、毎年必ず迷子が出るのであった。そして迷子のなかには幼い子に交じって大学院生もいた。
 さて、その全体入学式がすんだ後の一週間ほどの間に、幼稚園と小中学校と高校それぞれの、また大学の各学部および大学院の各専攻ごとの入学式が別々の日に行なわれるのだった。
 そしてここで、過去に破り捨てた日めくりカレンダーの日付をのりで貼りなおすなどして、このファンタジーを昔にさかのぼったある年の四月三日にしなければならない。
 その日、コウイチ、奥秋、太雲、内山、南、栃尾、道、野原、小石、そしてピーチの10人が、真新しい制服を身につけて入学式に臨み、中学一年生となったのだった。彼らがやがてバンドメンバーとなり、その彼らに一年遅れて中学生となる長内、高嶋、堀川、齋藤、そして幼稚園年中のシャルルが仲間入りして、いよいよ俺達ノオトが誕生するのだが、それはまだ先のこと。その四月三日の時点では、知り合いはほんの少しだった。
 さて、その四月三日のクラス分けにより、新中学一年の四十人クラスがA組からS組までできたところからファンタジーの時計の針を進めていこう。
 入学式の日に新しい顔ぶれでスタートしたクラスのうちのあるクラスに、顔を合わせると何かともめる二人組がいた。両人とも学校が好きみたいだったし、それぞれに良い人柄を持っていた。だけれども近づくと、その二人の間に不穏な空気が漂うのが他の同級生たちに感じられた。そして四月に一、二度軽いことでもめた。その程度なら大したことはないのだが、その二人組はゴールデンウィークが終わるとすぐに三度四度ともめ、その後夏休みを迎えるまでに、登校後の授業前に、給食前の休み時間に、下校前の清掃の合間に、何かともめたのだった。
 二人のもめごとの全部を記すわけにもいかないので、四月のもめごとと夏休みのもめごとを一つずつ記すにとどめることにする。
       
(つづく)
     
     
 さて、この続きをぜひお楽しみに。そして前回につづいて今回も再放送行きます。
 

     
      
----------------------(本日の再放送のはじまり)-----------------------
     
       (2014年3月のブログからの再放送)
  礼拝堂と大ッきなリボン 6 
     
     
     
 今日のブログは、僕ぴーなつが昨年連載した『礼拝堂と大ッきなリボン』という物語の続きの第6回です。

 物語ですけど、今回は脚本風の書き方を織り交ぜ、はじめに舞台とキャストと小道具を紹介し、そのあとにナレーションとセリフを並べる書き方にしてみました。

 お越しくださいましたみなさま、ぜひ読んでいってください(*’▽’*)ノ好きなお菓子かジュースを片手に(あるいは両方を両手に♪)。それでは、むかしむかしあるところに……
       
        
礼拝堂と大ッきなリボン 第6回 
       
○舞台:礼拝堂 
(キリスト教系の私立の中高一貫校の中にある施設。設計者不詳)

○キャスト:高校生 (高校3年生。吹奏楽部のエース。人形から見ると、
               お母さん)

       人形  (高校生が手作りした笛吹き人形。名前はフローラ。
               この日で1歳)

○小道具:聖母子の絵 (聖母マリアと幼な子イエスの絵。この学校の生徒制作)
       
       
          
 *☆*:;;;:*☆*  1  *☆*:;;;:*☆*
     
      
(礼拝堂の壁にかかった絵があります。絵の中に、髪にリボンをつけたきれいな女の人がいます。彼女は幼い男の子を抱いています。その絵の前で今、話し声がひびいています。話しているのは、高校生と人形。笛吹き人形フローラが、絵の中の女の人や幼な子や背景にある空を指さしたりしながら高校生にいろいろ質問し、高校生が答えているところです。)
     

フローラ「ねえ、お母さん、このリボンの女の人は、なんて人」

高校生「マリアね」

フローラ「マ・リ・ア……。この子のお母さんなの?」

高校生「そう。聖母」

フローラ「セイボは、どこに住んでる」

高校生「このまえ、正門の前のパン屋さんにいたわ」

フローラ「お母さんは、パンが好き?」

高校生「おいしいパンは好き」

フローラ「おいしくないパンは」

高校生「好きなのは、おいしいパン」

フローラ「この子は、なんていう子」

高校生「イエスよ」

フローラ「イエスは、フルート吹く?」

高校生「だれかひとりくらいは……そうよね。いくらなんでも、だれかひとりくらいは……」

フローラ「ええ?」

高校生「いくらなんでも、どこかのだれかひとりくらいは聴いていたと思うわ。イエスの吹いた笛を」

フローラ「…………」

高校生「フローラ、聞いてね。このイエスという子はね、大きくなってから、笛を吹いて聴かせたいと思って、友だちを呼んで集めたんだって」

フローラ「フルート吹いたんだね、イエス」

高校生「その頃に、フルートを作る製作所や工場はあったかしら。それはくわしい人に聞いてみないとわからないけど」
     
(高校生はさっきと同じように、コートのポケットから携帯用小型聖書を取り出してぱらぱらめくり、朝の礼拝の時間に読んで印象に残っていたマタイ傳の一節を人形に読んで聞かせました。)
     

高校生「……われ今の代(よ)を何に比(なずら)へん、童子(わらべ)、市場に坐し、友を呼びて、『われら汝等(なんぢら)のために笛吹きたれど、汝ら踊らず、歎(なげ)きたれど、汝ら胸うたざりき』と言ふに似たり。……こんな話が書いてある。イエスの笛にじっと耳をかたむけた人は、いたのかしら」

フローラ「遠くのお空を飛んでる子たちが、イエスの友だち?」

高校生「え」

フローラ「このお空」
     
(人形が「このお空」と言って、絵の中の聖母子の背景に広がる空を指さしたので、高校生がじっとその空に目を凝らすと、それまで見えなかった不思議な何かが見えるような気がしたのです。そこで高校生はコートのポケットに聖書をしまい、こんどはコンパクト双眼鏡を取り出して目にあてると、もう一度絵の中の空を見ました。ちなみにそのコンパクト双眼鏡は、音楽会を聴きにいった時にたまに使うものでした。広い会場に来て、ステージから遠い席に座った時など、心こめて熱演するアーティストの顔がどうしても見たいのに遠くて見えない時があるものです。そんな時に便利なので携帯しているものなのでした。そのコンパクト双眼鏡がこんな時にも役立ったのです。が、はっきり見えた遠くの空の景色に、高校生は肝をつぶしました。)
      

高校生「夢を見ているのかしら! 天使が大勢空を飛んで、こっちに来るわ!」

フローラ「ねえねえ、お母さん」
     
(フローラにコートの裾を引っぱられて、高校生がハッとして目にあてていた双眼鏡をさげると、目の前にあるのは聖母子の絵です。)
       

高校生「…………」

フローラ「イエスがいちばん好きなのは、マリアだね!」

高校生「そうね」
      
       
(お待たせしているので、ここでいったん切ります。『礼拝堂と大ッきなリボン』の第6回のまだ途中です。2と3が続きます。)
      
       

------(再放送のおしまい、ではなくてもう一編いきます!)------
     
      
 いつもは再放送は一編なのですが、本日は再放送をもう一編いきます! 今日の『礼拝堂と大ッきなリボン』が短かったので、再放送でうめあわせです(笑)。
 この二個目の再放送の、見ていただけたらと思うところは真ん中へんより後の
「それより、教職員六千人が集った会場について一言。この会場の名称を作者の僕は『銀嶺記念大ホール』としました。」
というところからなのです。ここに見える「銀嶺記念大ホール」というのが今日の『礼拝堂と大ッきなリボン (20260413話)』の中にチラッと出てきたのがご記憶にないでしょうか。この大ホールの名称の来歴を綴っているので、もしお時間がありましたら、見ていってくださいね。
     
     
----------------------(本日の再放送の第二弾!)-----------------------
     
       (2023年1月のブログからの再放送)
    ふーん、そうかい 
     
       
 これからしばらくの間、「キャンパス総会」というのを舞台にもってきてファンタジーを進める事になった。
 「総会」というのは聞いたことあるし、出たことだってある。聞いたことがあるのは、近所の団地で時々やってる「住民総会」と新聞記事で時々見かける「株主総会」。出たことがあるのは、高校生の時に出た「生徒総会」。あと、院生時代にある総会に出たら、総会がおわった後に懇親会があったのを覚えてる(総会の中身は忘れたのにそんなことは覚えてる)。
 手元の辞書で「総会」を引いてみるとこんなふうに説明してある。
     
そうかい【総会】(一)社団法人・組合などの意思決定のために、成員全部によって開かれることになっている会合。「株主―・社員―」(二)〔部会と違って〕関係者全員の集まり。「役員―・生徒―」(三省堂『新明解国語辞典第四版724頁より。所々割愛)
     
 で、これから書き進める「キャンパス総会」のキャンパスの中には、大学と大学院と、附属の高校・中学校・小学校・幼稚園があり、図書館とか食堂とか生協購買部とかがある。するとそこで働いている教職員の人数は少なくないはずだ。かなり大勢でなければおかしい。
 僕はその人数を決めるのに、参考として、附属校を持つ大学いくつかのホームページを見て回って、大学と附属校の教職員の人数を調べた。で、「その人数」に母校の大学と附属校の教職員の総数よりちょっぴり少なめの数字を当てはめることにした。それが「教職員六千人」。
 次に、大勢の教職員が一堂に会する会場のモデル探しに取りかかった。この会場のモデルは大勢の人を収容することができ、僕が実際に行ったことのある会場であるべきだと考え、「日本武道館」とか「Zepp Tokyo」とか「サントリーホール」とか「代々木第一体育館」とか「中野サンプラザ」その他のキャパシティつまり収容可能人数を調べた。
 で、ここでもまた困った時の母校頼み(苦笑)でゆくことにして、母校が入学式と卒業式で使用する(だから僕も何回か足を踏み入れたことのある)記念会堂(僕が卒業して何年か経ってからなんと「アリーナ」をくっつけた名称に変った)に白羽の矢を立てた。その収容人数を調べたら、なんと6000人だとか! 僕のファンタジーの「キャンパス総会」の参加者「教職員六千人」にまさにピッタリ! これは一日も早く物書きになって原稿料稼いで少しは寄付でも……そんなこと言ってるヒマがあるならファンタジーの更新しなくちゃ。
 本当は今日、昨日に引き続き、更新するつもりだったのですが、総会の審議の過程でいろいろ発言するご意見番のパネリスト五名というのがいましてですね、いずれも推薦で登壇しているはずなのに、その中の一人がご高齢の方で、ご高齢なのはいいのですが、審議のさなか意見が対立した相手に向って「わたくしはボケ防止のためにパネリストになったわけじゃない!」と息巻いて総会が一時中断という一幕があってですね、それで更新が明日になってしまいました。
 それより、教職員六千人が集った会場について一言。この会場の名称を作者の僕は「銀嶺記念大ホール」としました。このブログの名称をおぼえていてくださる方は、ああ、あれだねと思い起して下さることでしょう。そうです。『銀嶺と笛吹き人形フローラ。ハーモニーの綺羅』です。その頭のところにある「銀嶺」を持って来てくっつけました。ところでですね、「銀嶺」を皆様は、どう読んでくださっていますか。雪山を指す「ぎんれい」ですか。それでもいいんですけどね、実はこれ「しろがねれい」と読むのが正しいのです。「しろがねれい」というのは、まだ一度も使ったことがないけれども僕が大切にしているペンネームなのです。まだ一度も使ったことがありません。そしてこれからも決して使うことがないです。ただ、自分の名前と「笛吹き人形フローラ」とを並べたいと思った時に、「ぴーなつと笛吹き人形フローラ」では愉快すぎると思って、もう一つ全然別の雰囲気のペンネームを考えたのです。そしたら、雪山を意味する「銀嶺」という言葉が思い浮びました。辞書で引くと「ぎんれい」で出ていますが、「しろがねれい」という別の読み方をすることができるこの言葉を僕はとても気に入ったのです。
 今日の更新を楽しみにして下さっていた方、明日またお会いしましょう。明日はパネリストの元気なお爺ちゃんをしっかりとなだめて(笑)「キャンパス総会②」審議再開しますよー! 
     
     
     
     
     
     

 みなさま、こんにちは! 
 僕の街のお天気は、今日は午後に晴れました。明日も晴れるといいと思うのですけど、どうかな。
 さて、僕の新年度の最重要目標はファンタジーの再始動に他ならないわけですが、ちょっとまだ手間取っているので、今日も別の話をしますので、どうか聞いていってくださいね。
 何の話かというと、二月のある日の話です。
 レストランでごはんを食べた僕は、支払いをしてレジを打ってもらったのでした。で、いつも通り、アプリにポイントをつけてもらおうとしたのです。そしたら、昨秋に機種変更したばかりの若いスマホにしてはあるまじきことに、いつもはパッと出るアプリがなかなか出ないのですね。仕方がないから僕は「ちょっと再起動します」と言って再起動ボタンを押したのでした。で、客の僕とレジ係の人の間にしばし沈黙の時が流れたわけです。しばしと言っても、ほんの一分間くらいですが。でも、店のユニホームを着て働いている人たちはみなてきぱきと働いている人ばかり。だから、レジ係のその人にだけ読み取り機を手にもったままじーっと黙って待っていてもらう一分ほどの時間を僕はむやみに長いロスタイムのように感じて、その人にすまないと感じたのでした。そこで、ただ黙っているよりは会話しようと思ったのです。
「話が換るんですけど」
「はい」
「ちょっとこれ、見てみませんか」
 と言って僕がポケットから取り出して手のひらにのせてその人に見せたのが何かというと、このブログに何度か写真をのせた例の自転車のサイクルコンピューターなのでした。で、レジ係さんは、顔を僕の手のひらに近づけてその小型の四角い機器に見入りました。我がサイクルコンピューターのその時のスクリーンには「39950」だか「39960」だかの数字が表示されていました。
「これ、僕の自転車にいつもつけてるものなんですけど、スクリーンに三万九千九百数十キロと出てますでしょ。今日このあと50キロくらいサイクリングすれば、地球一周の4万キロになるんです」
 その日の僕は『レストランで腹いっぱい食べたら午後じゃんじゃんサイクリングして宿願の4万キロ走破をなしとげるぞ』と決めていたのでそう言ったのでした。
 そしたらそのレジ係さん、僕が思ってもいなかったリアクションを返してくれたんですね。
「すごいですね! わー」
 すると僕は何かうれしくなり、つい調子にのって、
「いつもこの店で食事した後サイクリングしてたんですけど、今日で地球一周。店長にも教えといてください」
 僕はかれこれ四、五年その店の常連客なので店長を始め、厨房でトマトを切ったりスクランブルエッグを作ったりしている人たちとも顔見知り。だからこのいい機会に、おかげさまでとても元気にやっていますと挨拶したくなったのでした。
 で、僕はその日無事にサイクリングの走行積算距離を地球一周にほぼ相当する4万キロに到達させることができたのでした。イエーイ♪
 さて、4万キロを走破した二月からひと月半。
 信じてもらえないかもしれないですけど、日常生活での僕は無口な方なんです。そんな僕でしたけど、三月には身近な人や仕事づきあいのある人でたいくつそうな人を見かけた時には「そういや、おれサイクリングでこれこれの距離走ったんだ。地球一周分みたいよ」とか何とか、その話をしました。すると、4万キロ走ったというこの話って僕が思う以上にいい話みたいですね。
「すごいすごい」
「うん、それ、自慢していいんじゃない」
とか、わりと盛り上がってもらえて、何か殿様気分(笑)。
 三月末に自転車の定期点検に行った店にいる馴染みのスタッフにもその話をしたのですが、「おー」と拍手してくれましたね。そして細かく点検をしてもらったところ、ブレーキのワイヤーがだいぶ伸びちゃっているとか、ギアとチェーンが摩耗してかみ合わせが悪くなっているとか、修理あるいは部品交換を要する項目をいっぱいはじき出してくれましたね。あと、タイヤやペダルも交換した方がいいとか。で、それにかかる費用の見積もりをしてもらったら、いっそ同じ自転車を新しく一台買えるくらいの金額になったのです。だけど僕はずっと乗ってきた今の自転車をあと五年は乗りたいのでした。どうしてかというと、この自転車はおふくろが買ってくれたものだから。
「じゃあ相当なオンボロなわけですね」
「そうです。何しろ地球一周走ってるんで」
「だけどこの自転車気に入ってましてね、あと五年は乗りたいんです。金かかってもいいんで、弱くなった部品全部取りかえて乗れるようにしてもらえません?」
「承知しました」
 必要な部品で店にないのは取り寄せてもらうことになったりして、修理が終わるのに一週間くらいかかりましたけど、オンボロからよみがえった愛車の走り心地は最高です。
      
「じゃ、ぴーなつ君は地球二周目を走るんだね」
 ある人がそんなことを聞いてくれました。僕がサイクリング大好きなことをよくわかってもらえているのを感じて、うれしいです。でも、僕の答えはその人の想像とはちがっていたのでした。
「こんどは月まで行く距離を走ってみたいな、なんて思ってましてね」
 それができるかどうかというと、結論からいうと、無理な気がします。
 「月まで行く距離」は、ネットで検索すればすぐ出ます。
 地球のまわりを楕円軌道で回っているそうな月までの距離は、近い時で36万キロ、遠い時で40万キロだとか。すると、地球一周の距離とその距離をくらべると、近い時で地球一周の9倍。遠い時は地球一周の10倍。ということは、主に土日のサイクリングで4年から5年かかってやっとこさ地球一周の距離を走った僕がその距離を走るには、36年から40年かかるみたいです。売れない物書きの今なら土日を一日自転車に乗り、日が暮れるまでペダル踏んで過ごす生き方大歓迎です。が、もし売れっ子になれたらどうするんだと思うわけです。月曜日から金曜日まで原稿書きに勤しみ、缶詰めにされたり徹夜をしたりして、運動不足になりながら迎えた土日の朝から夜までサイクリング楽しめるかな……
 でも、僕は自転車で『月までの距離を走ってみたい』と思っています。一人で無理なら、仲間作ってめざすってのはどうかな。
 それは、僕と似た自転車好きを9人集めて、全員に地球一周分のサイクリングをさせるわけです。で、僕を入れた10人のサイクルコンピューターに出た「40,000」の数字を足して「よし、400,000km走ったおれたち10人で月まで行けたな。片道だけどな」と。
     
 サイクリングの話はこのくらいにして、今日はファンタジー再始動の前哨戦(?)として、前にやっていた再放送を再開したいと思います。
 2013年の暮れ頃に1歳のお誕生日を迎えようとしていたという設定の笛吹き人形フローラのことなんですが、作者がぐずぐず書いているうちに13年近い月日が流れてしまった今も1歳にまだ手の届かない幼いお人形さんのままでいてくれているんだろうか……そんなことは深く考えないことにして、それではいきましょう! 
     
     
     
----------------------(本日の再放送のはじまり)-----------------------
     
      (2013年12月のブログからの再放送)
  礼拝堂と大ッきなリボン 5 
     
     
 ぴーなつの連載「礼拝堂と大ッきなリボン」を読んでくれてるみなさん、こんにちは。遊びに来てくださって、本当にありがとうございます。日が暮れた後のしーんとした礼拝堂の場面が続いてますが、そろそろどこかのワイワイガヤガヤにぎやかな場所に舞台を移して、パーッと楽しくやりたいですよね! だいじょうぶ。まかせといてください。作者のぼくぴーなつも、にぎやかな場所でパーッと楽しくやるのが好きなんです。

 ほら、高校生と人形の2人が、礼拝堂からそろそろ引き上げようとしていますよ。高校生のお祈りが全部すんだようです。帰りたい、早く帰ろうよと言っていた人形も、きっとうれしいことでしょう。2人がすみやかに礼拝堂を後にしてくれれば、ぴーなつの連載も次の段階に進むことができます。その「次の段階」というのはですね、ファンタジーのぱわわっぷ(パワー・アップのことです。笑)。ある文学青年が登場して作家になる夢と野望を実現するためにがんばって物語を書くストーリーの始まりなのです。これは、見ものですよ! 期待してください。ただ、ぼくの連載がその「次の段階」へ進むためには、高校生と人形の2人が、今いた舞台の礼拝堂から引き上げてくれることが必要です。それでこそ次の舞台に行けるわけですからね。高校生はお祈りをすませたのだし、人形は来た時から帰りたがっていたのだし、2人仲良くまっすぐ帰ってくれるんですよね? ……ところが!
     
     

「今日のお祈りは全部おしまい。帰りましょ」 
     
 高校生が帰り支度を始めた。彼女が首にまいた襟巻きは空色。リッド(ふた)をあけて置いたリュックサックは青。上着にさらに着て袖に腕を通したコートはモスグリーンだった。文化祭がもう間もなくの十月末のこの時季ともなれば、日暮れの後は寒いことがある。彼女にはもう、コートは必需品だった万一風邪など引いたら、大変。来月の吹奏楽部の遠征コンサートに支障をきたしてしまう。

 ところで読者のみなさん、青いリュックサックにご注目を。みなさんは、これは何に使うものだと思いますか。正解は、人形のフローラを乗せるいわば駕籠(かご)なのです。学校の廊下を人形が歩いたりしたら、見た人がビックリしてしまいます。街に出る時もそうです。だから、人形のフローラを外出させる時、高校生は彼女を全身丸ごと必ずこのリュックサックに入れ、それを背中にしょって歩くのでした。なんかペットの小犬や小猫と似てますけどね。フローラは礼拝堂にはじめて来たこの日も、礼拝堂の扉の前まで、頭のてっぺんから足の爪先まできれいにこのリュックサックにおさまって運ばれてきたのですよ。愛用の色えんぴつのフルート共々。

 帰りもこの中に入れて運ぼうということで、高校生が人形を手招きして、そのリュックのふたを開けたわけです。ところが、その時!

 礼拝堂の静寂が突然砕け散り、ピロロロローッと、フルートの音が鳴った。色とりどりの無数の音符がいきおいよく金色の笛からほとばしり出て、壁に弾け、床にちらばった。

 礼拝堂にいきなり響いたそのフルートの音は、通り雨みたいにあっという間に降りだしてすぐ止んだ。けれど、それはれっきとした一曲の演奏で、春の頃に高校生が練習した折、人形もそばで一緒に練習した『熊蜂の飛行』だった。フルートを吹いたのは言わずもがなのフローラで、演奏時間はほぼ1分。

 廊下を走ってはいけませんと言われて、はいと答えても、つい走ってしまう。ぼくぴーなつが通った市立小学校には、(1年生と2年生の低学年に)そんな元気な子がいましたよ。ボクなんかそうでした(学年が上がると改まっていくわけですけどね)。

 で、人形のフローラは1歳なのです。低学年に入るでしょう。彼女はさっき、フルート吹きたいと言ってました。で、高校生にだめよと言われたのでした。だけど、つい吹いちゃったというわけなのです。廊下を走ったところを先生に見られた元気な男の子と同じように、人形はすぐ高校生にあやまりました。
     

「ごめん」

「スッキリした?」 
     
 
高校生は、腰に手をあてて見つめてる。

 人形は叱られ慣れている男の子みたいにちょっととぼけた顔をして、リュックサックに歩み寄った。叱られるより先に体全部リュックサックに入っちゃおう。叱られるのを回避しようとするかのように高校生から視線をはずして急ぎ足。だけど、リュックサックの口に高校生がふたをした――
     

「居残りよ」 
     
 
人形は、今はじめて聞く「居残り」という言葉の意味をたずね、説明を聞くと、そんなのないよーと言って両足でバタバタ床を踏んだ。
     
     
 
という予想外の展開が起こりましたので、さらに2回連載が続くことになりました。みなさん、なにとぞもう少しお付き合いいただけましたら、幸いです。

 新しいペタ友のみなさんのために少し話を付け足しますと、笛吹き人形のフローラは、高校生が自分そっくりに手作りした人形なのです。作家が自伝的小説を書くことがあるように、画家が自画像を描くことがあるように、吹奏楽部のフルーティストのエースと自他共に認める高校生は自分の分身を作る思いでこの笛吹き人形をこしらえたのです。心をこめて、ていねいに作りました。材料も吟味に吟味を重ねて作りました。その結果、出来上がった笛吹き人形は面立ちも目鼻のつくりも歯並びもみな鏡に映したように高校生にそっくりの、それはそれはきれいな人形でした。しかも、姿がそっくりなのと同じように、フルートが好きなことも人一倍練習熱心なところもそっくりでした。けれど性格だけは、そっくりにはならなかったようです。性格というものの形成には、先天的な要素と後天的な要素の二つが関わるという話を聞いたことがあるのですが、笛吹き人形の性格はきっと後天的な要素が強いのでしょう。

     
     
     
------------------------(本日の再放送のおしまい)---------------------
     
      
     
     

 こんにちは! 
 仕事でも勉強でも、今日4月1日から新年度ですね! 
 新年度は、だれだってみんなウキウキと楽しみな気持ちで迎えたいものだと思いますが、僕の暮らしている街は今日あいにくの雨に降られた上、地震が来てけっこう揺れて怖かったです。みなさんの街はどうでしたか。
 と、雨と地震の話はもうやめて、明るい話をしたいと思います。ピグのぴーなつのところへ寄ってくれた方、いますか。彼はちょっと前から身だしなみにこれまでになかったテイストを打ち出し、何やらイメージチェンジを図っているようなんです。で、4月の始めだからということで「新年度のスタートだ☆」と息巻いています。可笑しいですね! でも、ブログのぴーなつの僕もたまには彼につきあって「新年度」にちなんだ楽しいことをしてみたいと思ったのです。僕のブログは今、ファンタジーを第一に進めたいのですけど、今日はその前の景気づけと思って、桜のきれいな季節にちなんで、桜を詠んだ俳句の鑑賞文など書いてみたいと思います。あ、でも鑑賞文を書くのは久しぶりだし、うまく書けるかな……
     
     
    桜  桜  桜  桜  時計  オレンジ  桜
     
     
 勉強する生徒や学生のみなさんは、今日が入学式や始業式だったのではないですか。そしてその後、早い人は教室で教科書をもらったり、生協の購買部で授業のための本を買ったりしたことと思います。
 で、さっそくですが、俳句をひとつ読んでみませんか。
     
  ひらく書の第一課さくら濃かりけり  能村登四郎 
     
 みなさんの授業がスタートする頃には、真新しい教科書や本の最初のページを開いて勉強する教室の窓の外に、きっと満開の桜ですね。上の俳句はそんな景色を詠んでいます。読むと、きれいな景色が目に浮んできますよね。この一句を含め、たくさんの俳句を集めて載せた歳時記という本を、僕は学生時代、いつも持ち歩いていました。で、自分の部屋で読むのはもちろんのこと、電車のなかで、教室や図書館で、学食のすみっこのテーブルで、寝床のなかで、読みました。そして、虫の好きな子供が虫を捕って標本にするのと同じように、気に入った俳句をノートに書き写し、コレクションしました。自分だけのコレクションですから、とことん我流にコレクションしました。上の一句も僕のコレクションの一つです。
 で、僕はこの一句の「濃かりけり」という表現が何だかとてもいいと思ったのです。するとどうしたかというと、歳時記のなかで読んでおぼえていた“濃い”という言葉の入った俳句をせっせと思い出しては上掲の能村登四郎の句の上下左右に書き込んで喜んだわけです。ページに収まり切れないくらい“濃い”の入った俳句が集まり、ひしめき合いました。たとえば、「夕桜城の石崖裾濃なる 中村草田男」「朝靄に梅は牛乳(ちち)より濃かりけり 川端茅舎」「エリカ咲くひとかたまりのこむらさき 草間時彦」「黒土にまぎるるばかり菫濃し 山口誓子」などなどといった、まずは桜・夕桜・梅・エリカ・菫その他の花の色や密度を“濃い”ととらえて詠んだ句が集まったわけですが、“濃い”のはそうしたものばかりじゃないことを俳句に教わり、ますますコレクションに夢中になったのです。「末枯の陽よりも濃くてマッチの火 大野林火」「焼栗購ふスモッグ濃ければ淋しければ 楠本憲吉」「群衆を包みて濃ゆし冬の靄 深川正一郎」その他いっぱい。それから、僕だって年頃の青年だったのですから、女の人の美しさを髣髴とさせる“濃い”俳句が集まった時は嬉しさ爆発しましたね。それはたとえば「萱負うて束ね髪濃き山処女 星野麦丘人」とか「さびしさに桜貝舐め紅濃くす 山口青邨」とか。
 今挙げた山口青邨の「桜貝舐め紅濃くす」の紅は、何の紅なのか分かる人がいたら教えてほしいのですけれど、口紅の紅なのかな、そうとしか想像のしようがないよなと僕は思っています。山口青邨の俳句で“濃い”の入ったものとして思い出すのをもう一句。
     
  時計塔霞みつつ針濃ゆく指す  山口青邨 
     
 この句を読むと僕の心の目に、時刻を指す時計塔の針がくっきりと鮮明に見えてくるのですが、このイメージの鮮明さは「指す」を修飾する「濃ゆく」から生まれていると思います。
 今日の最後に、音に濃さを感じ取り、それを表現した俳句を見つけて書きとっておいたので、それを紹介して結びとします。
     
  元旦の羽音より濃きものはなし  藤田湘子 
     
 この句の「羽音」というのは言うまでもなく、羽根つきをして羽子板で羽子を打った時に響く音のことです。
     
     
     

 森あるいは林に来て、樹齢を重ねながら育っている木を見て、絵にしたり詩にしたりしたくなった時に、絵描きや詩人は何を描こうとするだろう。それはやはり土の上に見て取ることのできる木の姿だろうと思う。
 木の姿。それは、広がりゆく枝、伸びながら太さを増してゆく幹、生い繁れる葉。そしてそれら部分的なもののいろいろをひっさげて土から空へと伸びてゆく木全体の高さ。などなど、まずはそんなところではないだろうか。そしてそれでお終いではない。木を見る人の数が増えれば増えるほど、さらにいろいろなものを木に見て取り、描くことだろう。たとえば、枝に作った巣で子育てをする鳥に目を引かれた人がいれば、その人はそれを描くというように。

 さて、「木を見て森を見ず」という言葉がふと思い出されたりもする。その話もいつかしてみたい。けれど、今日の僕はそれとは別の、「木の姿」を描くために木の「根の姿」に注目を深めてみる人の話がしたいのだ。

 根。それは「土の上に見て取ることのできる木の姿」を縁の下の力持ちならぬ土の下の力持ちよろしく、土の中で日々支え育てているのだ。木は根を張り巡らす。したたかに方々へ張り巡らす。その「根の姿」は土の中にあるので人の目に触れない。けれど根の働きは木の命を支え、育てている。
     
     
             🌳
     
     
 上に綴ったのは、ファンタジーを書いていた先月のある日に僕の頭にうかんだ思いだ。そして、こんなことを思ったひょうしに僕はふと、次のようなことを考え始めたのだった。
     
 ……そういや、中学生ロックバンドの俺達ノオトの15人の彼らのことなんだが、彼ら、笛吹き人形フローラの1歳のハッピーバースデー音楽会に参加するという志を立てて仲よく一致団結しているわけだけれど、そもそもの始めから仲がよかったのかな。僕ぴーなつは作者のくせに、彼らの出会いの時のことを知らないぞ。で、どんなふうな経緯でバンドを組んだのかも知らない。こんな作者でいいんだろうか。
 僕が男子校出身者なもんだからこんなことを思うのかもしれないけれど、男の子同士ってのは最初っからそうたやすくやすやすと仲良くなるもんじゃない。ちがうかな。僕の経験では、男子同士がはじめて出会った時ってのは、『こいつ、だれ。どこのどいつ』『なんだ、おれのことじろっと見たけど、何か用か。なめんじゃねえぞ』などなどと言った意識の火花がまず起こるのが普通じゃないのかな。『第一印象を大事にしましょう。今後ご贔屓に願いたい相手の方だから、くれぐれも礼儀を守って、まずはよろしくお願いしますとこちらから挨拶申し上げたい。相手がどんな人かはまだ知らんけど、好印象を持ってもった方が何かといいに決まっているのだから、笑顔の挨拶を大切にしましょう』などなどと出会いのしょっぱなから笑顔で行こうとするのは大人の商売取引か何かの世界の話で、世の中のならわしもしきたりもまだとんとわきまえない子供の世界ってのはそれとは大きく違うもんだと思うな。そういう僕の意識に照らすとだ、ケンカの一つもないうちからバンド組んでいるとしたら、あの15人には仲間としての奥深さがないってもんだよ。入学式の後の教室で初めて会ったクラスの全員と始めっからスムーズに和気藹々の円満で行けちゃったとしたら、つまんなくない? 葛藤のかけらもないそんな円満一色の子供集団を喜ぶ人なんて、学校の先生の中にだっていないんじゃないか。
 『よおし、こいつとやったる』『おおよし、おまえに決めたっ』というまぶしい意気投合の瞬間が訪れるより先に、一雨二雨来なきゃ。紆余曲折があって、ごたごたがあって、『なんだこのやろ』と反発の火花の一つ二つも散らしたその後にさらなるド派手な事件がこれでもかこれでもかとあって、そのおかげで双方の相手に対する見方に二度三度の突然変異を経験した挙句の果てに『よし、オレはこいつとやるっ』と思って合体した仲間じゃないと、本物じゃないと思う。打たれ強い真のメンバーにはなれないと思う……
     
     
          ギター  マイク  ドラム  
     
     
 俺達ノオトの15人は、フローラの音楽会で披露する楽曲の制作に入って久しい。彼らの活躍を描くファンタジーの作者の僕は彼らのその姿を描く一方で、もう一つの作業を始めた。
 彼ら15人について、僕が知りたいことを紙に書きだした。
     
  (一)この15人は、出会った時から、
    仲良かったのか。
  (二)この15人の、それぞれの音楽と
    のなれそめはどんなものだったんだ。
  (三)彼ら15人それぞれの、楽器をはじ
    めて手にした時って、どんな様子だっ
    たんだ。
  (四)……
     
 彼らをめぐるそうしたことは、他の誰でもない、彼らから教えてもらわなくっちゃいけない。僕はそれを彼らに取材して、ファンタジーに書き加えると心に決めた。
 彼ら俺達ノオトの15人がフローラの音楽会に参加する決意で一致団結し、プレゼントする楽曲を制作する姿を描くのは、土の上に見て取ることのできる「木の姿」を描くことと同じだ。それに加えてやるべきことがもう一つあると僕は知ったのだ。土の上の木を支えている土の中の「根の姿」をさぐり、描けるだけ描くこと。そのもくろみが先月のいつの間にかにスタートしていた。
 僕はファンタジー世界の時計の針を人差し指で逆にぐるぐる動かし、彼らの過去にズームインしてみることにした。過去の彼らへのズームインのやり方は、僕のいつもの方法さ。ファンタジー作者の特権を生かし、透明人間となり、彼らのそばに張り付き、間近から彼らのすることなすことを見、目を瞑り彼らの声に耳をすます。
 無いものをこしらえるのじゃない。くりかえしになるが、過去の彼らに近づき、間近から見つめ、目を瞑り耳をすます。すると、今まで知らなかった彼らの姿と心が僕につかめてきた。これから『礼拝堂と大ッきなリボン』の何回かを割いて、それを書きますのでよろしくです。
 彼らのバンドの歴史の原初に、15個の尻の青い青春ラプソディがあったんだ。そのなかの一つを今記すと、俺達ノオトの15人のうちの何人かが(僕、これ知った時は作者のくせにとても意外に思ってびっくりしたのだけど)音楽始めたのが中学に入学してから後のことだったそうなんだよ。
     
(つづく)
     
     
     

 雨でも雪でも、サイクリングに行こうと思っていた今日。
 晴れたことだし、いつもより早めに出発しました。
 今日は、何をおいても、40,000km走破が目標。
     

     
 ふとサイクルコンピューターを見た時、「目標まであと1kmだね」と語りかけてくれたみたいな気がしました。
 で、無事ゴールイン。
     

     
 今日のブログは、これでお終いにしてもいいわけですけれど、あと1枚。
          

     
 スクリーンの「40,000」が「40,001」に変わったのを見た時、今さっき到達した喜びのゴールが早くも過去の栄光になったのを感じました。
     
     
     

 三連休がスタートしましたね!
 ぴーなつのブログのそばを通りかかったそこのあなた、ちょっとこの写真を見ていきませんか。
     

     
 これ、時々ブログに載せる僕のサイクルコンピューターです。サイクルコンピューターというのは、何て説明したらいいんだろう、えー、つまり自転車についてるやつです(説明になってない。汗)。
 それより映っている小さなスクリーン部分に今表示されている数字を見ていただけますか。これはこの小型コンピューターを取り付けた日からこの自転車に乗って僕がサイクリングした距離を合計した積算走行距離というやつでありまして、ごらんのとおり39,876kmです。
 この数年目標にしてきた40,000kmまで、あとちょっとの所まで来たのです。
 今日はこれだけなんですけど、この三連休中に40,000km走破の瞬間が僕に訪れるかもしれません。40,000kmは地球の周りをほぼ一周した距離だそうですから、嬉しいわけです。
 「40,000」の数字が出たら、写真撮って載せますね。その写真を見てくれた方は、歴史の目撃者になれるのです! ハイ、僕が自転車で地球一周した(のと同じ距離をサイクリングした)感激の瞬間を共有してくれたということですからね!
     
 あ、まだ帰らないで!
 これで終わりにしちゃうと短いので、もう1枚載せたいです。
     

     
 僕の新しい靴も、見てやっていただけると喜びます(笑)。
     
     
     

 今年、ファンタジーを書き上げる。
 約束する。
 この約束を守れなかった時は、人から「君はファンタジーと付き合う器じゃなかった」と言われても黙るしかない。
 僕のファンタジーにはいくつかのものがある。で、ここで書き上げると約束するのは『礼拝堂と大ッきなリボン』のことだ。僕はもう何年も何年も、ずいぶん長い年月をかけてそれに取り組んできている。これを今年書き上げることができなかった時は、僕がファンタジーにフラれる時だ。
 「何年待たされたかしら。もういいわ」
     
     
      ラブラブ ラブラブ ラブラブ 恋の矢 恋の矢 恋の矢 ハートブレイク 恋の矢 ラブラブ
     
     
 さて、『礼拝堂と大ッきなリボン』を今年書き上げると約束したのに続いては、そのための僕の最近の取り組みの話を書く。
 僕の最近の取り組み――それは、どんなことか。
 たとえば、俺達ノオトの15人一人一人の「誕生日」「身長・体重」を細かく決めた。これまで、俺達ノオトは中学生14人と幼稚園児1人とからなるバンドだと書くにとどめ、だれとだれが中2でだれとだれが中1で、シャルルだけ幼稚園の年中だと、そのくらいのことを書いてよしとしていた。だが僕は、それよりもっとふみこんで書くことにした。すなわち、だれだれは四季のどの季節に生まれ、だれだれは何月の何日に生まれたと、彼ら15人の一人一人について、そこまで想像することにした。すると面白いことが起こり始めた。たとえば、だれだれが生まれた日、空には入道雲が大きく輝いていたとか、だれだれが産声を上げたのは夜中の0時だったが、その時の夜空ではオリオン座とさそり座が取っ組み合いの真っ最中だったとか、彼らのキャラクターがこれまで以上に豊かになってきた。平たく言えば、彼らを思う作者の僕の想像がより育ち始めた。
 で、誕生日に身長・体重。こういったプロフィールの手近なところが具体的になると、他にも「あれを決めてやろう」という項目が次々浮び始め、もっと楽しくなってきた。メンバーの一人一人について、たとえば「楽譜を読めるのか・音楽理論にくわしいのか」「俺達ノオト加入の転機になったことは何か」「親きょうだいと家はどんなか」「将来の夢は」「本人も知らない将来は」「好物は」「病歴や痛い思い出はあるか」「気が強いか弱いか」「一刀流かオールラウンダーか」などなど。こういうことはたっぷり書いた後もまたもっと頭にひらめくから、そのつど書き足す。創作ノートは手もとにいつも置いてあるから、ささっとまめに書き足す。
 書く楽しさが増す一方、問題も表面化した。だって、彼等15人の一人一人が「楽譜を読めるのか・音楽理論にくわしいのか」を決めると言ったが、作者の僕自身が楽譜読めないし、音楽理論まるで知らない。でも、僕が書くのは評論とかではなくてファンタジーだから、やればできる。たとえば、15人のリーダーのコウイチの「楽譜を読めるのか・音楽理論にくわしいのか」を考えて決める時、彼の欄を僕はこんなふうに埋めた。「譜面を見る彼の姿をメンバーが見たことあるから、読めるようだ。が、彼は楽譜を読むより、アーティストの演奏を耳コピで覚え、ヴァイオリンで弾いてきた。音楽理論については、関心ないことはないので、詳しい人の話をすなおに聞く」などなど。フルート少年のピーチの欄には何て書いてやったかというと「メンバーで、譜面を見る彼を見たことのある者はいない。だから譜面を彼が読めるのかどうかは、不明。音楽理論の知識があるかどうかも、不明。これからいつか興味を持って勉強することがあるかもしれないけれど、これまでには多分なかった。人から教わったことがあるとすれば、兄のニールに教わったことがすべて」。彼らのプロフィールのこうしたことについて、こんなふうに想像で勝手に決めてゆく作者の僕のことを、彼らはどう思うだろう。
 「好物」の欄は、わりとすらすら書けた。コウイチは「あんみつ」、奥秋は「カレーぱん」、太雲は「ピッツァ」、内山は「サラダ」、南は「チョココロネ」、栃尾は「煎餅」、道は「たまごサンド」、野原は「海苔巻き」、小石は「月見うどん」、長内は「たけのこご飯」、高嶋は「シュウマイ」、堀川は「しるこ」、斎藤は「ドライカレー」、シャルルは「明太子おにぎり」、ピーチは「釜飯」。
 各メンバーの好物の設定には、ぴーなつ流の計算も入っている。たとえば中1のキーボーディスト長内の好物を僕は「たけのこご飯」としたが、たけのこはすくすくと伸びるもの。それは長内の名前の伸児の「伸」とバツグンの相性ではないか。
 一方、好物を決めてやる時に大いに迷ったメンバーもいた。それは、ピーチ。彼の好物を決めてやる時は『さて、あいつ何が好きだろう。うーん』と迷ったのだった。だけど『そうだ!』とひらめいて、僕ぴーなつの本籍地仙台の駅弁の名物釜飯に決めた。僕は子供の時から何度も釜飯を食べたことがある。ごはんの味付けがどんなで、具のいろいろとその一つ一つの美味しさも味覚と歯ごたえの両方でよく覚えている。あれを食べたらピーチも喜ぶにちがいないと、そんなふうに思って釜飯に決めた。なお、余談だが、この仙台の釜飯というのは、なんと、今また東映アニメーションミュージアムチャンネルで再放送しているあの昭和版『魔法使いサリー』のサリーも大好きなのだ。サリーの小学校の給食が休みになり、生徒が各人で弁当を持ってくることになった第53話『給食の王様』の中で、お弁当をどうしようかしらと困ったサリーを見てカブが仙台から買ってきた駅弁の釜飯を見たサリーは最初こそ普通の弁当箱とちがうその釜の独特な見た目をクラスのみんなに見られるのを恥ずかしがって学校にそれを持ってゆくのをためらったものの、結局クラス中の人気を集めたので嬉しくなり釜飯を気に入ったのだった。
 いつの間にか話が大きく脱線したが、こうなったらもっと脱線すると今日はポロンの初登場の回。で、間もなくそれを観る時間なので、この話の続きはまた明日書きます。ではみなさん、昭和版『魔法使いサリー』第76話「ポロロン天使」を、じゃなくて明日のぴーなつのブログをぜひお楽しみに!
     
     
   【大急ぎで、2月9日追加♪】
     
 いつもやっている再放送をちゃんとやらなきゃだめですよね! 
 ちょっと遅れたけど、やりましょう。
 で、舞台裏の話をしますとですね、前回の再放送分は2013年の12月26日公開の『礼拝堂と大ッきなリボン 4』だったのです。だから今回の再放送分は同年30日に公開した『礼拝堂と大ッきなリボン 5』といくのが正しいのです。ところが!
 2013年頃の僕はまじめだったのですね。お待たせしているからという理由で予告編を書いてアップしたのでした。そのタイトルもまじめで『おまたせしているので、緊急特別番組♪ 「礼拝堂と大ッきなリボン」の5と6の予告編』などとしたのでした。この記事の中で、予告編なんか書く時間あるならその時間で5を書けばいいのにと自分で言っています。が、5はその翌日の30日にアップして、その前日に予告編をアップしたのでした。
 で、その予告編を読み返したら、これがおろか者なりに一生懸命に書いていて、中身もちょっと笑えるものなりに悪くないと今の僕は感じたのです。だから本日の再放送は、これにしちゃえということで、予告編の再放送になりますが、よろしくお願い致します。その後飴限にして非公開にしちゃってる記事のコピー&ペーストなので見にくいところもあるかもしれませんが、どうか大目にみてやっていただけましたら幸いです。
     
     
----------------------(本日の再放送のはじまり)-----------------------
     
        

おまたせしているので、緊急特別番組♪ 「礼拝堂と大ッきなリボン」の5と6の予告編

テーマ:

     
 アクセスしてくださるみなさん、ペタ友のみなさん、こんにちは!

 ぴーなつのブログに遊びに来てくださって、ありがとうございます。

 ぼくが連載している「礼拝堂と大ッきなリボン」の、次にアップする5ですが、これが書いているうちにふくらみまして、急遽二回に分けることにしました。つまり当初5に書こうとしていた話が5と6になるのです。で、まずは5のアップを急ぐべきなのですが、待ってくださっているみなさんのために緊急特別番組(笑)として予告編を一つ書こうと思い立ったのです(それよりは早くアップすればいいようなものを。ぇ)。

 5と6の両方、面白いのが書き上がりそうです。期待してください。

 で、その予告編ですが、次にアップする5を飛び越して6の予告なのです(;´▽`A``ヘンなのは百も承知♪

 この6でですね、フルートを奏でるヒロインが、ヴィヴァルディの「四季」から「春」を演奏しちゃうんです。ぼくの連載を読んでくれてた方はこれを聞いて、「おー、なるほど。フルートの天才少女の高校生のフローラがいよいよ聴かせてくれるのか。自慢の18金のフルートで、あのヴィヴァルディの名曲をやってくれると言うんだね。いいなー、それ、いいなー。いいぞっ、がんばれっ」とエールを送ってくれるかもしれません。さらには「彼女率いる吹奏楽部が福祉施設へ慰問コンサートに遠征するっていう、あの話まで物語が進むってわけだね」などなどと想像をふくらまして楽しんでくださるかもしれません。

 そういう話も面白そうですね♪だけど、ちがいます。ヒロインはヒロインでも、もう一人のちっちゃい方のヒロイン。つまり笛吹き人形のフローラが演奏するのですよ。「春」を。18金のじゃなくて、金の色えんぴつのフルートで。

 あ、がっかりしないでくださいね。人形のフローラは、ことフルートに関しては、ただ者ではないのです。人形は人形でも笛吹き人形♪フルートの天才少女の高校生が自分そっくりに手作りし、そのうえ礼拝堂の神さまが命を与えたスーパー・ミステリアス・ヒロインなのです。美しき天才少女の容姿と才能をそっくり受け継ぎ、その上計り知れないプラスアルファを有している(らしい)人形なのです。

 ぼくの連載を読んでくれている方でここまで聞いて下さった方は、「おー、なるほど。人形のフローラがフルートの天才少女の美貌も才能もそっくり受け継いでいるというんなら、うん、そりゃもうバッチリだろうな。ヴィヴァルディの『四季』、楽しみだ!」と大いに期待してくれるかもしれません。

 たしかにこの人形、今書いたように天与の才能に恵まれ、しかもフルートが大好き。それに練習もとてもよくする人形です。だから、やってくれるかもしれません♪ところがですね、ここに一つ、大きな問題があるのです。みなさん思い出してください。この人形は、そう、「未就学児」なのです。「礼拝堂と大ッきなリボン」の1や2で、高校生がこの人形について「1歳の誕生日を迎えた」と何度か言っています。人間で1歳は、未就学児ということになります。出た! 未就学児。

 未就学児。それは、まだ学校に行ってない、幼い子供のことです。

 音楽会とかコンサートとかのポスターやパンフレットがもし手もとにあったら、それを見てください。どこかに見当たりませんか。ちっちゃく(しかもそこの文字だけ薄い色にしてある)「未就学児の入場はご遠慮ください」の一行が。中村草田男に「孫とはこれか総身『小さき運動会』」という一句がありますが、ぼくはポスター等の「未就学児」の文字を目にするとこの句の「孫」が思い浮かぶのです。元気が有り余って走り出しちゃうんですね。「キャハハハハ!」とか辺り憚らず笑ったりもしちゃうわけです。開演中の会場のそこここでその「小さき運動会」が始まってしまったりすると、たしかに大人が困っちゃうでしょうねえ。

 で、笛吹き人形のフローラは、1歳で未就学児で年齢的にその「孫」に近いわけです。その人形が、クラシックの名曲を演奏しますのでお楽しみに♪一体どうなることやら……

 「心の成長」とか「知能の発達」とかいったことについて大学の授業で勉強したことがありました。けれどそれは人間の話であることは言うまでもありません。ぼくの物語の中の笛吹き人形の心の成長や知能の発達は人間の場合とはちがって、1歳で高校生と会話もすればフルートが上手だったりもするのです。だけど、人間の未就学児と同じ部分がある時突然顔を出すのです。

     

     

     

 ('-^*)/

読んでくださってありがとうございました。上の話は6の話でした。まずは5をアップしないといけないですよね! 今日のアップをめざして頑張ります。予告編の2とかやらないためにも……?

     

     

----------------------------(再放送のおしまい)---------------------------
     
     
     

 みなさま、こんにちは。
 ぴーなつのブログにようこそ! 
 さて、今日はこれを見てほしいんです。
     

     
 細かな文字で何かをびっしり書き込んでいますが、何を書いたのでしょう。
 書いたのは、僕のブログがいただいたアクセスの記録です。
 僕は、ブログの創作ノートを一生懸命に書く方だと自分では思っているのですが、それに加えて、ブログをアップした後にいただけたアクセス記録もまめに書きました(今も書いています)。
      
 上は、ある左ページですね。
 下に、ある右ページも載せましょう。
     

     
 書いてから歳月が経つと、書いた本人の僕が注意深く解読しないと読めない記録になっています(苦笑)。
 自分の筆記を注意深く解読してみると、書き留めたのはアクセスログとアクセス数、アクセスごとの個々の記事のタイトルとその公開日、それから検索ワード。それからこの記録を取った日のペタの数ですかね。
 検索ワードは、ブログを読んでくれた(もはや、愛読してくれたとさえ形容したいほどに熱心に読んでくれた)読者の僕の書いたものに対する関心の足跡だと言っていいと思います。それを感じてのことだと思うのですが、検索ワードは目立つように記録取ってましたね(下の写真にその努力の跡が見て取れるように思います)。
     

     
 読者が目当ての記事を読むために検索欄に打ち込む検索ワードには、ドキッとするものがあったのをよく覚えています。その好例が下の写真の(※)印をつけたメモ。
     

     
 僕は当時「題名のない小説」というのを連載したのでした。で、これを読んでくれたい読者が「題名のない小説」という検索ワードを入力したのなら普通の話ですが、そうではなく、「題名のない小説はあるの」という質問とも受け取れるワードを入力した方がいらっしゃったじゃないですか。これは「題名のない小説は(続きがまだ)あるの」と僕ぴーなつに訊いてくれていたのですね。読んでくれたいからに違いないです。「ぴーなつは、検索ワードもチェックしているに違いない。検索ワードを質問する言葉にしちゃえ。楽しみに待ってる気持ちが伝わるはず」とひらめいたのでしょう。嬉しかったです。
 で、このメモ帳のカバーの写真がこれです。
     

     
 この2013年の手帳をひらくと、その当時のぴーなつのブログがどんなことをやっていたか、その一端が見えてくるようです。
 で、今月、昔のファンタジーの再放送をしてみたのでしたが、前回までに再放送した第一話・第二話・第三話は、この2013年の11月と12月に書いて公開したものでした。
 僕がもしファンタジーの中の二人ヒロイン(高校生と笛吹き人形)と会話することができたとしましょう。読み返すと近眼になりそうな小さな文字で書いた創作ノートの中で君らのファンタジーは生まれたんだぞともし教えてやったら……あんまり嬉しくないでしょうね(笑)。あともう一つ画像をお目にかけて、『礼拝堂と大ッきなリボン』再放送の第四回に行きたいと思います。
     

     
 今回の再放送は、上でお伝えしましたとおり、2013年の『礼拝堂と大ッきなリボン』からのものになります。で、ちょうどクリスマスの頃に書いたものです。そして、ファンタジーに入る前の前口上を見ていただけますと伝わると思うのですが、この当時の僕は音楽を愛する高校生と笛吹き人形のファンタジーを書く環境にも恵まれていましたね。街で見かけたポスターで知った音楽会を聴きに行ったと。そしたら、会場が礼拝堂だったのですね。幸せだったなあ……
     
     
----------------------(本日の再放送のはじまり)-----------------------
     
     
 ぼくのブログに遊びに来てくださったみなさん、こんにちは! 
 みなさんは、どんなクリスマスを過ごしましたか。
 ぼくはずっと仕事に追われていました。でも、一つだけクリスマスらしいことをしました。それは、ある催しごとのポスターを街で見たことがきっかけで、街の教会で行なわれた音楽会に行ったことです。50人も入ればいっぱいになってしまう礼拝堂が会場でした。演奏する人のうしろにある白い壁の高いところに、十字架がありました。
 今回アップする『礼拝堂と大ッきなリボン』の4回目の中に、さっそくその日のささやかな経験を生かして、礼拝堂の壁にかかる十字架の描写を入れてみました。読んでいただけましたら、幸いです。
     
「お母さん、ずいぶん長い時間お祈りしてたね。どんなお祈りをしたの」
「それはね、まず、フローラに神様のご加護がありますように。どんな時も、どこにいても、フローラが神様のご加護を賜りますようにってお祈りしたの。それから、フローラにいいお友だちができますように。それから、フローラがますます健康で過ごせますように。あと、フローラによいことがいっぱいありますように。そのほかいろいろ」
「どのお祈りも、あたしのことばかりだ」
「お誕生日をむかえたフローラのためのお祈りだからよ」
「ふうん」
「フローラのフルートがさらに上手になりますように。それもお祈りしたわ」
「それはお祈りいらなーい。あたしは、練習して上手くなるもん」 

     
 高校生と人形の語らいの声は正面の壁に届き、そこにはあの聖母子の絵がかかっている。こんなことを思う人はめったにいないと思うが、もしかしたら、絵の中の聖母と幼子(おさなご)は二人の話し声に耳を傾けていたかもしれない。壁の高い所には、十字架がかかっていた。
 高校生の手のひらに、いつしか、小さな本があった。開いたページに書かれていることを少し読み、ぱらりとページをめくる。それを少しくりかえしてから、彼女はあるページにじっと目をとめた。そこに記されている言葉を目でたどり、ちょっぴり声を大きくして一箇所、人形に読んで聞かせた。
     
「幸福(さいわい)なるかな、心の清き者。その人は神を見ん」
      
 本はこの学校の生徒がみんな持っている小型の聖書だった。今人形に読んで聞かせた言葉は高校生がとりわけ印象深く覚えているもので、新約聖書のマタイ傳福音書に記されている。人形にはそれが、イエスが弟子たちを前に語った教えだということなど、まだわからなかったけれど。
     
「お母さん、フルート吹いてもいい?」 
     
 人形の手にも、いつしか、彼女の宝物があった。いつの間にか携えてきていた、彼女愛用の、金の色えんぴつフルート。小さな笛吹き人形は、礼拝堂で過ごすうちに、彼女なりにこの場所に静かに満ちている神聖な空気を感じ始めていた。お祈りのこととかはまだわかんない。お祈りする代わりにフルートを吹かせて。そんな気持ちだった。
     
「デュオで何か演奏したいわね。でも、だめよ」
「なぜ」
「人が来るわ」
「だれも来ないよー」
 
     
 笛吹き人形のフローラは赤い唇をすぼめてみせた。金色のフルートをそっとにぎりしめ、胸に押し当てた。つまんないの。でもすぐに、ゆかいなことを思いついた時の目になって高校生に話しかけた。
     
「ねえねえお母さん、ここにいるところを、だれかに見られるといけないの?」
「そう。先生に、叱られちゃうわ」
「大変っ、見てる人がいる」
「えっ? (とっさに、きょろきょろ)」
「礼拝堂の神様が、見てる。ウフフ」
「そうよねえ!」
 
     
 よっぽどあわてたと見えて、高校生は両頬を手のひらでつつんでしゃがみこんでしまった。フローラの笑い声が堂内に弾けた。
     
「ねえフローラ、わたしのこと、ちょっとの間だけそっとしといて」 
     
 高校生が、やや目を伏せるような面持ちになり、改まった声で人形にそう言った。そして聖書をとじて内ポケットにしまうと、手をあわせて目をつぶり、お祈りを始めたのだった。一つだけ、自分のためのお祈りがしたかったのだ。
 ところが、ものの1分もしないうちに、
     
「あ!」 
     
 人形が声をあげた。
     
「お母さん、ほっぺたが……真っ赤」 
     
 高校生がどんなお祈りをしたのかは作者にもわからないけれど、彼女は人形のフローラから見るとお母さんであると共に、憧れ多き、悩み多き、年頃の、一人の女の子でもあったのだ。
     
     
------------------------(本日の再放送のおしまい)---------------------
     
      
 読んでくださったみなさま、ありがとうございました。
 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
 明日は1月31日の土曜日ですね。

 僕は先週の土曜日、自分のサイクリング未踏の地へ行ってみました。それは、有明です。都市的で見晴らしがとてもよくて海に近い所ですね。まあ、有明方面をめざしたと言うよりは、そこへ至るまでに通る日比谷とか銀座とかをサイクリングしてみたかったという感じですね。
     
     
     

 ドラマを観たファンの心に残るキャラクターの魅力。それにはいろいろなものがある。

 ある一人のキャラクターの魅力をファン仲間で話題にして語り合ったとする。

 ある仲間は、こんなことを言うかもしれない。

「彼女は、笑顔がめちゃかわいいよな」

 すると別の仲間は、こう言うかもしれない。

「この前身の上話を語ってたじゃん。おれ、悩み抱えて苦しんでる彼女の顔が印象に残った」

 ドラマの中のそのキャラクターを見て、心に残る魅力。それは視聴者それぞれにある、いろいろなものなのだ。そして、そのどれが一番でどれが二番だと優劣や順番をつけることのできないものだと思う。

 で、ここからが今日の本題。

 遠い学生時代の話になるのだが、僕はある授業でドラマ脚本の勉強をしたことがあったことから、昭和の名作ドラマ『熱中時代』の脚本を研究してみようと思い立ったことがあった。そしてDVDを買ってその全二十六話を観た。そうしてキャラクターの一人、小糸桃子の笑顔がくりかえしまぶしく目に映り、心に残った。

 そして、後に気づいた。あの笑顔がまぶしく映ったのは第四話以降のことだったことに。第一話から第三話までの彼女は、だめな父親のことで悩み、苦しみ、涙にくれる人物であり、笑顔とは縁遠いキャラクターだった。
 さて、僕はその第一話から第三話までのドラマに強い関心を持った。そしてとりわけ第三話を、小糸桃子と父親の関係を中心に、僕なりに注意深く繰り返し観た。その時考えたことを記してみると――
     
「私、死ぬわ」

 第一話で小糸桃子は、受話器を握りしめ、受話器の向こう側の話し相手にそんな言葉を吐いた。声を震わせ、涙を流して。実は、受話器の向こう側の話し相手は桃子の父親なのだ。でもそれが明らかになるのはドラマが進んだ後のこと。

 さて、北野広大は、小糸桃子が「死ぬわ」と思いつめた声で口走った時、偶然近くに居合わせた関係で、大いに動揺した。桃子が父親と話していることその他の事情について何も知らなかった彼は彼女がその電話の後に本当に死ぬつもりなのではないかと心配するあまり彼女の後を追った。そして、おまわりさんの小宮新八郎につかまり、職を訊かれ、このたび若葉台小学校の新任教諭として勤務することになったことを話したが、すぐには信じてもらえず、痴漢ではないかと疑いをかけられたりした。でもここでドラマはいい方向へ急展開。校長の名前を聞かれた広大が天城順三郎と答えると、「天城先生に確認するぞ」と小宮巡査。交番から近い所に、天城校長の家はあった。天城校長の家は、学校の先生が何人も下宿して共同生活を営んでいる所だった。

 広大の疑いは晴れて、ひとまずめでたし。ところが、それから間もなくしてこの天城校長宅に桃子の父が現われる。そして、桃子共々広大も騒動に巻き込まれることになるのだった。
     
「父は、だめな人なんです」

 天城校長の家に下宿することになり仲間入りした広大に、桃子は身の上話をした中でそんな打ち明け話をしていた。何でも、桃子が大学生の時、父親の源三が仕事に失敗したのだった。それに伴って生じた生活難から、桃子も大学をやめる寸前の所まで追い詰められた。……。そして、このドラマはこの先で、桃子も広大も誰も立ち入ることのできない、天城校長と小糸源三の仲の問題が絡んでくるのだった。

 天城順三郎が小学校の校長になるよりもずっと昔、小学校に初めて教師として勤めたのは、戦争真っ最中の時代だった。はじめて大勢の教え子をあずかった若き天城順三郎は、苦しく貧しいその時代に精一杯の愛情をかたむけて子供たちを教えた。そんな天城順三郎の最初の教え子たちの中に、後に桃子の父親となる小糸源三もいたのだった。
 きっとたくさんの教え子たちが天城順三郎のもとから巣立っていったことだろう。小糸源三もその一人だったのだ。だけれども、彼は大人になった後、仕事の失敗のくりかえしの末に、校長となった恩師天城順三郎のもとを訪ねて来ては、借金をくりかえす大人になったのだった。……

 桃子は小学校の教師となり、天城校長の家に下宿していた。その自分の所へ今またその父が現われようとしていることを知った時、それは天城校長にまた借金をする算段があってのことに相違ないと思い、苦悩を深めた。

 はたして、桃子が広大と帰宅した時、玄関に見慣れない靴があった。

「父が、来ている」

 桃子が怖れた通り、今回の父の用件は、小さな借金の相談ではなかった。小糸源三の笑い声が二階から聞こえてきた。借用証書に判を押してくれた恩師天城順三郎に、小糸源三はいい調子でこんな話をぶち上げていた。

「これでね、来年の春までには東部六県に十二のチェーン店を作ろうという構想なんですよ、はい! 借金も、一年で、完全に返します。いや、もちろん先生にご迷惑をかけることは絶対にありませんから」

 父が恩師にそんな話をしている部屋に桃子が踏み込んだ。
     
 お父さん、もう来ないって言ったくせに。
 何をお願いしたの。
 何なの、これは!? 
 また借金をして、校長先生を保証人にしようっていうの? 
 やめて! 
     
 父親を相手に、問い詰め、抗議するその時の桃子の顔は、第四話以降の『熱中時代』の随所でドラマを爽やかに彩るあの明るさいっぱいの笑顔からはほど遠いものだった。桃子は、憤りと悲しみとでくしゃくしゃになった顔を今度は天城校長に向けると、涙声で訴えた。
     
 校長先生、やめてください。

 父の話は、うそなんです。

 もうどうにもならなくなると、いつもここにやってくるんです。

 お金を返す気持ちなんか、ないんです……
     
 涙を流してそう言う娘を小糸源三は怒鳴り散らした。
     
 うるさい! 

 親のすることにいちいち口を出すな!
     
 そこへ障子を開けて姿を現わした広大が「失礼しますっ」と源三のそばに正座して一礼。借用証書を掴み上げ、破った。

 大声を上げたのは、天城校長だった。

「北野さん、何ということをするんですっ」

 恩師の捺印を受けた借用証書を広大から取り戻そうとする小糸源三の腕を、娘の桃子が制した。そして彼女は、広大が破った証書を拾い、さらに破った。

 天城校長が桃子と広大に、穏やかな声でこう言った。
「私は、喜んで判を押しているんですよ。喜んでお金を用立てているんですよ」

 その後、天城校長がとつとつと、桃子と広大に話して聞かせた胸の内が僕の耳と心に残った。それはこんな話だった。
     
 小糸君は、私の最初の教え子です。

 もう私しか頼れる人間がいない、そう思うから来てくれるんです。

 小糸君が、可哀想でした。
 ……
     
 上記のような場面を含む第三話をふりかえり、僕は思った。
『小糸桃子の育った家庭というのは、恵まれた家庭とはいえなかったんだ。彼女は早くに父親との関係が破綻していたので、親の助力を当てにしてもいいはずの学生時代に、きっといろいろな辛酸をなめなければならなかったことだろう。それだけじゃない。その後、小糸桃子は父親が恩師を騙して金を借りる姿まで見せられて心を傷つけられてきたんだ。
 第四話以降、小糸桃子が3年3組の担任の先生として生徒たちの前に立って見せるあの健やかで溌剌とした笑顔は、本当にすてきだ。だけどその笑顔のかげには、傷心と我慢に塗り潰された青春時代があったのだなあ。……』
 そんなことを思ってから、『熱中時代』の小糸桃子の笑顔が僕にひときわ印象深く映るようになった。……

     
 ということで、『熱中時代』の第一話と第二話と第三話を観て僕が学んだことの話はおしまい。それではお待ちかね、前回に続く本日の再放送は、ぴーなつのファンタジー『礼拝堂と大ッきなリボン』の第三話です。
     
     
--------------------------(再放送のはじまり)-----------------------------
     
      
 すみれ色のリボンでおしゃれした女の人が幼子(おさなご)を抱いている。
 そんな景色を描いた絵を前にして、人形のフローラの目と心は、女の人のリボンに向いたんだ。そして色よりも、形よりも、リボンの大きさ。フローラはそこに反応したのだった。それで思わず大ッきな声をあげて
     
「わあ、大ッきなリボン」 
     
と言ったわけだ。場所は、しーんとした礼拝堂。もちろん、彼女の声は四方の壁にこだましたよ。
 女の人の髪飾りのリボンが大ッきかった。フローラはそのことに、ビックリしたのかな。面白いと思ったのかな。すてきだと思ったのかな。あるいは、へんてこだと思ったのかな。そのどれだとしても、それは彼女なりの素直な感動。最初の「悲しい絵だな」と、たった今の「わあ、大ッきなリボン」。絵を観て、感想がいくつも出るのは健康な証拠でいいことだと思うよ。
 フローラはもうしばらくの間、女の人を見つめた。時々目をぱちぱちさせたりしながら、女の人の面立ち、姿に、見入った。そうして今度は、声に出して何か言う代わりに、頬っぺたを赤らめた。始めはほんのり、しだいに紅葉(もみじ)が色づくみたいに、頬を赤く染めた。細かい話をすると、この人形のふだんの頬っぺたは、ミルク色なんだ。その色はいわゆるミルキーホワイトというやつで、お母さんゆずりの肌の色に他ならない。そのとれたての新鮮なミルクそっくりの色をした頬が今、礼拝堂の絵を観ているうちに赤みを帯び、いつか一度お母さんのお弁当の中に入っているのを見たことのある、つやつやのプチトマトみたいにまで真っ赤になってしまったよ。彼女は、近づいて間近に見た聖母に何かを感じたようだ。その何かは、だれにも分からないよ。そんなにまで頬を赤くしたということは、もしかすると、恋のはじまり? ……そのへんに深くは立ち入らないけれど、人形のフローラは幼子を抱いている女の人の姿に、じっと黙って向き合っていた。そしてしばらくしてからハッと思い出したように、こんなことを口走った。低い声で。
     
「一番きれいなのは、あたしのお母さんだッ」 
     
 そうして、礼拝堂の壁にかかる、その古色を帯びた額縁の中の絵にクルリと背を向けた。
 大好きなお母さんと一緒に来ていたんだ。絵の中の、幼子を抱いたもう一人の母親に、小さな人形は彼女なりの対抗意識を持ったのかもしれないね。
 さて、不思議なことが起きたんだ。
 音楽が聴こえてきたんだ。聖母子の絵に背を向けた小さな人形のフローラの耳に。ここは放課後のずっと遅い時間の礼拝堂。今ここにいるのは、ナイショでしのびこんだ高校生と自分の二人だけ。
 え、とフローラは思ったよ。
 聴こえるのは、シンフォニーで、彼女の後ろはるか遠くから響いてくるように感じられた。
 フローラが耳をすますと、ラッパが高らかに鳴った。それにすごく元気のいい太鼓の響きが加わった。さらに弦楽器いくつかの旋律がハーモニーを織りなして聴こえた。
 小さな人形が音のする方にふりむくと、そこにあるのは壁にかかるあの絵だったよ。そして音楽は、絵の中の聖母子の背景に広がる空から聴こえていたことがはっきりわかった。
 人形はその絵をあらためてよく見た。するとその絵の空には、一人、二人、三人と、小さな羽根を広げた天使が舞っていて、一人一人がめいめいの楽器を手にしていることに気づいた。よく見つめれば見つめるほど、空舞う天使の数は五人、六人、七人と増え、さらにもっともっと増えていき、増える天使たちの数に応じて楽器の種類も増えるように感じられた。
 天使たちの楽器が織りなすシンフォニーの中のある一つの音に、人形は耳をすませた。
 それはある時、とびきり元気のいい大瑠璃の鳴き声のように澄んだ音だった。またある時は、夜空を切って落ちる流れ星の尾のように、真っ直ぐ長く伸びるように鳴った。その音をつむぎだす楽器は人形のフローラにとって一番身近な楽器、つまりフルートにまちがいなかった。
 フローラは再び絵を見つめて、たくさんの天使のなかに、フルートを吹いている天使をさがしてみた。きらきらと金色のきらめきを放つ横笛を自信たっぷりの指使いで、それは楽しげに奏でている天使を、一人見つけた。
 人形はしばらくその天使の演奏に耳を傾けた。それから、あらためて礼拝堂の絵を正面から見つめると、
     
「一番きれいなのは、あたしのお母さん。で、二番目にきれいなのが、この女の人だな。うん」 
     
 絵にささやきかけるようにこう言い、深く納得するようにうなずいた。
 フルートの音色が鳴り響く空の下に、けがれなきみこころをもつもう一人のお母さんが幼子と二人で生きているのだった。
 さて、人形が高校生のそばに戻ると、彼女はまだお祈りを続けている。心を込めてお祈りしているお母さんを見て、人形はだれよりもきれいだと思った。
     
「お母さんは一体、どんなお祈りしてるんだろう」 
     
 人形が胸の中でそうつぶやくと、高校生はまるでその胸のつぶやきが聞こえたみたいに、目をパッチリと開けて、こう言った。
     
「フローラに神様のご加護がありますように。そうお祈りしたの」 
     
 今回はここまでです。次回も頑張って書きますのでぜひお楽しみに♪
 今回の結びに、前回に引き続き、この絵の誕生エピソードを少し。
 この絵はこの学校のもうだいぶ昔のある年の美術の授業で、生徒がグループを作って共同制作した作品なんだ。この絵を美術の先生が額に入れてある廊下の壁に飾ったところ、生徒にも教職員にも好評を博した。描いた生徒たちは勉強の成績こそそこそこだったらしいけれど、それぞれ吹奏楽部や新聞部、農芸部その他の部活動によく取り組み、それなりのいい学校生活を送って卒業していった。そんな生徒たちが学校に残していった聖母子の絵を、それから何年か後のある年の職員会議で、礼拝堂に飾ろうということに決めたという話だ。
 人形がその絵をもう一度よく見ると、空を舞う天使たちが奏でるさまざまな楽器の中で、フルートだけきらきらする金色に輝いていた。それは細かく裂いた金色の折り紙をていねいに貼って形を作り、それに同じように細かく裂いた銀の折り紙を少し貼り足して光沢を添えるという、とても手の込んだ描写なのだった。ちなみにフルートの天使のすぐそばにもう一人天使がいて、ハープを奏でている。フルートの天使は男の子らしい。ハープの天使は、まちがいなく女の子だ。
     
      
----------------------------(再放送のおしまい)---------------------------
     
      
 再放送第三話の最後までお付き合いくださったみなさん、ありがとう! まだ続きます。次回第四話の再放送もどうぞよろしく。
      
       
       

 昨日、「再放送」というのをやってみたわけだ。
 十何年前かのある日の自分が書いたファンタジー。その一回分(の全部じゃなくて七、八割くらい)をコピー&ペーストして、書き直しも削りもなしに、そのままアップした。

 で、その「昔の自分が書いたもの」を当の作者の僕は、今日興味深く読んだ。すると、いろんなことを感じたり思ったりしたんだよ。で、それを書きたい。でもそれは別の日にする。今日はそれをするより、再放送をまたやるのがいいと思うわけなんだ。

 じゃ、再放送いきます。再放送するのは昨日再放送した話の続きの回です。お付き合いいただけましたら幸いです。
     
       
--------------------------(再放送スタート)------------------------
     
     
 高校生がお祈りを始めると、人形のフローラは、話し相手がいなくなってしまったよ。しーんと静かな礼拝堂にひとりぼっちという感じ。じっと目をつむり両手を合わせてお祈りするお母さんに話しかけるのは、じゃますること以外の何ものでもない。ひとりぼっちになった人形はたちまち退屈して、ため息をついた。と、その時、彼女の頭のずっと上の方で、何やら間のぬけた感じのする鳥の声が一つしたんだな。礼拝堂の高いドームの屋根の上で、おなかをすかせた鴉(からす)が鳴いたのだ。人形は、腰掛けていた机からトンと通路に下りた。それから、
     
「鴉(からす)が鳴くから、かーえろ」 
     
 それとなく高校生に聴こえるように口ずさみ、通路を歩いて正面の壁に近づいて、例の聖母子の絵を見上げた。礼拝堂の外は今、夕陽が大きく西に傾き、学校は秋の一番星の下でいよいよ静かな時を迎えようとしていた。

 人形が礼拝堂の絵の前に来たわけだけれど、人形の目は幼子(おさなご)より聖母の方に向いたようだ。絵にとても近い所から、見上げるようにして見た。ただ、この人形は、こうした絵を見るのは今日が初めてのことだったんだよ。だから「聖母子」とか「聖母」とかについてはまだ何も知らない。すると当然、聖母の絵を見ても、幼い子を抱いている女の人だなくらいのことしか思わないのだった。そういうわけでこの人形、絵に対して、またまた思ったままのことを口走った。さっきこの礼拝堂に来て最初に見た時に口にしたのと同じ、愛想のない言葉を独り言みたいに言った。
     
「悲しい絵だなあ。悲しい絵だ」 
     
 ここで、先へ行く前にこの絵の話をしておくのもいいのではないかと思い、ちょっとだけ脱線するのでよろしくです。

 礼拝堂に飾られたこの聖母子の絵は、この学校の生徒の作品なんだ。ずっと昔にこの学校に学んだ生徒が美術の授業の中でグループを作り、共同制作した絵。「聖母子の絵」と言ったら普通、聖母マリアと幼子イエスを描いたものだ。古来大勢の人がそのモチーフで絵を描いてきている。ただ、この礼拝堂の絵を共同制作した生徒たちは年頃の高校生だったわけで、面白いことをいっぱい思いついたことだろうから、「聖母子」を描くとなった時に、もしかしたらマリアとイエスを描くと言いつつ、何か他のものを描いたかもしれない。この礼拝堂で聖書を読み讃美歌を歌った生徒たちのことだから、熱心に取り組んだにちがいないだろうけれど、発想の可能性は未知数というものだ。もしかしたら聖母子を素材として使い、自分たちの描きたい絵を描いたかもしれない。大人の画家が描いた聖母子の中にだって、画家自らの家族や恋人をモデルにしたものがあるという話だからねえ。ちなみに、この絵は生徒たちがめいめい腕におぼえのある描き方を織り交ぜて(というより混ぜこぜにして)描いてあり、肌の彩色はパステルと色鉛筆でほどこし、聖衣は布を切って折って貼り付けて描写していた。

 さて、物語に戻らなくちゃ。

 人形のフローラは「お母さん」と慕う高校生の分身として、その能力をよく受け継いでいたので、音楽の才能に加えておしゃれのセンスも豊かだったんだよ。聖母の顔を見て、聖衣を見て、それから髪飾りに目を留めた。
     
「わあ、大ッきなリボン」 
     
 それは洋裁を習っていた生徒が持ってきた布をていねいに切ってこしらえて貼り付けたものだった。とても静かなすみれ色をしていた。
     
       
--------------------------(再放送おしまい)------------------------
     
     
 いろいろ感じた感想のうちの一つだけ、記そうかな。

 十何年前の僕が書いたファンタジーの中に、作者の僕が「脱線」して話をするところがある。それは「ここで、先へ行く前にこの絵の話をしておくのもいいのではないかと思い、ちょっとだけ脱線するのでよろしくです。」とか言って、脱線話をして、「さて、物語に戻らなくちゃ。」と言ってファンタジーに戻るところだ。

 その脱線部分、今自分で読んでとても面白いと感じた。何なの、これ。ここ、とてもいい。ここを、当時の読者がいいと思ってくれたかは不明だ。だけど、十何年も昔に書いた作品を読む作者は、読者だと思うんだよ。
 えーと、年賀状書きを早く片づけたいので、今日はこれにて失礼します。お付き合いくださったみなさま、ありがとうございました。またお会いしましょう。