2015年5月某日、dresscodes FEMMEの活動直後に記したものをここに残す。前半は、当記事をABCラジオ『よなよな火曜日』に送った際の挨拶のようなものだが、記事自体の前文として成り立っていると感じたので、同時に記録しておく。
・・・・・・・・・
鈴木さん、原さん、おこんばんは。
先週のJAPAN JAM BEACHのお話、ありがたく聞かせていただきました(特にドレスコーズ)。鈴木さんのお話はいつもそうですが、袖や演者エリアのエピソードも話してくださり、後ろから覗いているようなドキドキがありました。
今週は「森、道、市場」のレポートをしてくださるということで、とても楽しみです(特にドレスコーズ)。
もはや改めて言う必要もないかもしれませんが、ボクは志磨遼平さんのファンです。
2009年12月31日(当時毛皮のマリーズ)からのファンです。この5年と少し、ボクは志磨遼平の音楽を聴き続けてきました、見続けてきました、考え続けてきました。また、ラジオ、雑誌等々での彼の言葉を追いかけ続けました。ライブMCやラジオの文字起こしをしたり、行ったライブのセットリストを全て記録したりもしました。どの曲を何回ライブでやったかという謎のデータ解析もやったりしてました。
もちろん、2011年1月の志磨遼平、大阪タワレコジャックも3店全て行きました。丸ビル店では鈴木さんとのトークでしたよね。ジャケットなどのアートワークを軸とした渋谷系のまつわり話、覚えております。
話すと長くなってしまいますので省略しますが、志磨さんは、最初ボクにとって夢の具現者であり、あるときからそれすら超えた存在となりました。ボクは彼のステージに、歓声と拍手と興奮、人生を持っていくようになりました。それは決して、神格化し、何もかもを捧げることではありません。彼の音楽や言葉から伝わってくる生き方や考え方を、自分に侵食させたいのです。ボクは志磨遼平になりたいとも言えます。つまりボクにとって、志磨遼平が必要なくなるときが究極なのです。・・・・めんどくさいですか?(笑)すいません。
めんどくさい話はこのくらいにしまして、
今回のドレスコーズ5月戦線をきっかけに、ボクの思ったこと、感じたことを残しておこうと書いてみました。的外れなお便りであることは重々承知しています。ただ、鈴木さんのレポートを大切に大切に待ちわびて聴いている、志磨遼平大ファンのアラフォーバカ男子がいる、ということだけでも知っていただければなと思う次第です。それでは。
<dresscodes FEMME に添えて>
私は「JAPAN JAM BEACH」も「森、道、市場」も行かなかった。dresscodes FEMMEのステージを観ることは叶わなかった。それでも、行ってないなりの感じ方や捉え方が出来るはずだと思った。素材はセットリストと志磨本人の総括コラムだけで十分だ。
キャッチをつけるならばこうだ。
「dresscodesとは、志磨遼平ラボである」
かつて志磨は、毛皮のマリーズというバンドの全てを、思うがままに動かしてきた。それでも自身の想定を超えてくる毛皮のマリーズに彼は、バンドの理想を見ていたに違いない。しかし、やがて毛皮のマリーズは志磨の想定を超えなくなり、彼は毛皮のマリーズを終わらせた。
志磨が次に結成したドレスコーズでは、四人でバンドを動かそうとした。自分が敬愛するミュージシャンばかりを集めたバンドが、果たしてどう転がっていくのか、自分もその四分の一になることでバンドの進み方はどうなるのか、自分自身がどう変化するのか、彼はそういったことをどうしても確かめたかったはずだ。
「きっと、すごいバンドになる」と信じて。
ドレスコーズは最初からすごいバンドだった。そしてドレスコーズはおそらく最初から、こちらの想像を絶する生みの苦しみを味わっていたに違いない。あの音源たちはそういうものだ。
志磨遼平、丸山康太、山中治雄、菅大智からなるドレスコーズは、約二年半でその役目を終えた。三人の脱退は、ファンにとって悲嘆に暮れる悲しい出来事だったが、大局的に見れば、志磨遼平ラボ処女研究の完成とも捉えることが出来る。志磨はバンド原理主義者でありながら、自分のやりたい音楽に一切のウソがつけない、大変やっかいで矛盾したバンドマンであり、音楽家であるが、それが彼の最大の魅力にもなっている。簡単に言うと憧れ(バンド)と覚悟(自分の音楽)と言い換えられる。
バンド原理主義と、自己志向音楽が同居するミュージシャンは相当多いと思われるが、志磨が抱えるその二つの主義は、強度が恐ろしく高く、とてつもなく極端だ。そして、志磨はその二つを同時に実現することが可能であると信じている。またその実現こそが、自分自身の中にある"憧れ(バンド)"と"覚悟(自分の音楽)"を超越しうる唯一の方法だと思っているのではないだろうか。かつて毛皮のマリーズは、彼自身の中の"憧れ(バンド)"を超え、前ドレスコーズは"覚悟(自分の音楽)"を超えてきた。二つのバンドでそれぞれの確証を得た志磨は、いよいよドレスコーズで次なる研究へ突入する。
一人ぼっちになった志磨は、一人でバンドをやることで完成したアルバム『1』を驚くべきハイペースで作り上げ、自分が抱える矛盾をさらけ出した。まっすぐ志磨遼平の魅力を示した、とも言える。その後のTour 2015 "Don't Trust Ryohei Shima"では、かりそめのバンドを結成した。そこで彼は、バンドのダイナミズムやかっこよさを改めて思い知った。これを契機にラボは新しい研究に入るのだ。その第一項がdresscodes FEMMEと二つのステージである。dresscodes FEMMEについて、志磨はコラムで以下のように総括している。
「今回ドレスコーズ FEMMEはまったくバラバラの音楽性を持つバンドから集まっているにもかかわらず、そのどれとも違う性格に(わずか数日で)育ち、やはりバンドというのはどう考えても“生命をもった有機体”だ、ということが身をもって検証できた気がします」
志磨が、今後どのようにドレスコーズを進めていくかはわからないが、まだこの検証は続いていくはずだ。彼は、たくさんの憧れ(バンド)を具現化し、自身もそのそれぞれの中で、たとえ一回のステージだったとしても、そのバンドでとことん生きようとするだろう。一方で、覚悟(自分の音楽)側の志磨は、その様子を冷静に観察し、次なるメソッドを模索するだろう。
次に、dresscodes FEMMEによる二つのステージについて。志磨がステージで求めることは、絶対的な勝利だ。ロックンロールは必ず勝たなければならない、負けは許されないと、志磨が常々語ってきた通りだ。勝つためならば手段は選ばない。ただし正々堂々とだ。dresscodes FEMMEを組んだ理由は"バンドにおける性差を知ること"とコラムでは書いているが、JAPAN JAM
BEACHと森、道、市場で勝つためでもあったと思う。志磨は、セットリストに何を持ってくれば、最大公約数的に盛り上がるのかもちろん理解しているし、決してそこから逃げることもしない。ただし、盛り上がるだけではダメなのだ。ステージで勝ちを得るというのはそういうことではない。バンドから生み出される奇跡のような映像、音像が刻まれなければならないし、彼はそこに必ずドラマを求める。栗本ヒロ子を含む女性プレイヤーばかりのメンバーが発表された時点で、勝ちは半分決まっていた。そして1曲目『REBEL
SONG』がスタートしたとき完全勝利となったわけだ。毛皮のマリーズ、前ドレスコーズ、一人ドレスコーズのナンバーたちから成るセットリストは、もうそれだけでドラマチックだが、その前にdresscodes FEMMEというトピックをぶち上げるところに、志磨遼平のステージでの勝ちに対する執念を感じた。
かくして志磨は、バンドが生命をもった有機体だと検証することに成功した。彼は依然としてバンド原理主義のままで、根っこは何も変わらないまま、バンドに対する新しい興味が湧いている。有機体たるバンドには、ほかにどんな種類があって、自分にはどんなバンドが作れるか、ということだ。それを知るには、未知のバンドを自ら出現させて、その成長過程をともに歩んでいくことしかない。その繰り返しと、それぞれの先にある自分とバンドの姿が研究結果ということだ。そしてその研究の中で、自分自身の中にある"憧れ(バンド)"と"覚悟(自分の音楽)"を同時に超越する方法論を見出す可能性はある。
ドレスコーズという形態は、志磨が、バンドとはいったい何なのかを知るための器であり、ドレスコーズとは、志磨専用ラボなのだ。ラボを閉鎖するときは、先に述べた方法論を見つけ出したとき、もしくは、
越川和磨と再び組んだとき、
ではないだろうか。
「dresrcodesは、志磨遼平ラボである」となたを振った上で、憧れ(バンド)と覚悟(自分の音楽)の二面性の同時実現と超越、としたまでは良かった。しかし、書き進めていくうちに、二面性の後者について圧倒的に論が弱いことに気付いた。というよりも、”覚悟がある”ということ以外、具体的に何も見えないのだ。もしかすると見落としているだけで、答えやヒントは転がっているのかもしれないが。近い未来、それを見つけられることを願う。
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鈴木さん、原さん、おこんばんは。
先週のJAPAN JAM BEACHのお話、ありがたく聞かせていただきました(特にドレスコーズ)。鈴木さんのお話はいつもそうですが、袖や演者エリアのエピソードも話してくださり、後ろから覗いているようなドキドキがありました。
今週は「森、道、市場」のレポートをしてくださるということで、とても楽しみです(特にドレスコーズ)。
もはや改めて言う必要もないかもしれませんが、ボクは志磨遼平さんのファンです。
2009年12月31日(当時毛皮のマリーズ)からのファンです。この5年と少し、ボクは志磨遼平の音楽を聴き続けてきました、見続けてきました、考え続けてきました。また、ラジオ、雑誌等々での彼の言葉を追いかけ続けました。ライブMCやラジオの文字起こしをしたり、行ったライブのセットリストを全て記録したりもしました。どの曲を何回ライブでやったかという謎のデータ解析もやったりしてました。
もちろん、2011年1月の志磨遼平、大阪タワレコジャックも3店全て行きました。丸ビル店では鈴木さんとのトークでしたよね。ジャケットなどのアートワークを軸とした渋谷系のまつわり話、覚えております。
話すと長くなってしまいますので省略しますが、志磨さんは、最初ボクにとって夢の具現者であり、あるときからそれすら超えた存在となりました。ボクは彼のステージに、歓声と拍手と興奮、人生を持っていくようになりました。それは決して、神格化し、何もかもを捧げることではありません。彼の音楽や言葉から伝わってくる生き方や考え方を、自分に侵食させたいのです。ボクは志磨遼平になりたいとも言えます。つまりボクにとって、志磨遼平が必要なくなるときが究極なのです。・・・・めんどくさいですか?(笑)すいません。
めんどくさい話はこのくらいにしまして、
今回のドレスコーズ5月戦線をきっかけに、ボクの思ったこと、感じたことを残しておこうと書いてみました。的外れなお便りであることは重々承知しています。ただ、鈴木さんのレポートを大切に大切に待ちわびて聴いている、志磨遼平大ファンのアラフォーバカ男子がいる、ということだけでも知っていただければなと思う次第です。それでは。
<dresscodes FEMME に添えて>
私は「JAPAN JAM BEACH」も「森、道、市場」も行かなかった。dresscodes FEMMEのステージを観ることは叶わなかった。それでも、行ってないなりの感じ方や捉え方が出来るはずだと思った。素材はセットリストと志磨本人の総括コラムだけで十分だ。
キャッチをつけるならばこうだ。
「dresscodesとは、志磨遼平ラボである」
かつて志磨は、毛皮のマリーズというバンドの全てを、思うがままに動かしてきた。それでも自身の想定を超えてくる毛皮のマリーズに彼は、バンドの理想を見ていたに違いない。しかし、やがて毛皮のマリーズは志磨の想定を超えなくなり、彼は毛皮のマリーズを終わらせた。
志磨が次に結成したドレスコーズでは、四人でバンドを動かそうとした。自分が敬愛するミュージシャンばかりを集めたバンドが、果たしてどう転がっていくのか、自分もその四分の一になることでバンドの進み方はどうなるのか、自分自身がどう変化するのか、彼はそういったことをどうしても確かめたかったはずだ。
「きっと、すごいバンドになる」と信じて。
ドレスコーズは最初からすごいバンドだった。そしてドレスコーズはおそらく最初から、こちらの想像を絶する生みの苦しみを味わっていたに違いない。あの音源たちはそういうものだ。
志磨遼平、丸山康太、山中治雄、菅大智からなるドレスコーズは、約二年半でその役目を終えた。三人の脱退は、ファンにとって悲嘆に暮れる悲しい出来事だったが、大局的に見れば、志磨遼平ラボ処女研究の完成とも捉えることが出来る。志磨はバンド原理主義者でありながら、自分のやりたい音楽に一切のウソがつけない、大変やっかいで矛盾したバンドマンであり、音楽家であるが、それが彼の最大の魅力にもなっている。簡単に言うと憧れ(バンド)と覚悟(自分の音楽)と言い換えられる。
バンド原理主義と、自己志向音楽が同居するミュージシャンは相当多いと思われるが、志磨が抱えるその二つの主義は、強度が恐ろしく高く、とてつもなく極端だ。そして、志磨はその二つを同時に実現することが可能であると信じている。またその実現こそが、自分自身の中にある"憧れ(バンド)"と"覚悟(自分の音楽)"を超越しうる唯一の方法だと思っているのではないだろうか。かつて毛皮のマリーズは、彼自身の中の"憧れ(バンド)"を超え、前ドレスコーズは"覚悟(自分の音楽)"を超えてきた。二つのバンドでそれぞれの確証を得た志磨は、いよいよドレスコーズで次なる研究へ突入する。
一人ぼっちになった志磨は、一人でバンドをやることで完成したアルバム『1』を驚くべきハイペースで作り上げ、自分が抱える矛盾をさらけ出した。まっすぐ志磨遼平の魅力を示した、とも言える。その後のTour 2015 "Don't Trust Ryohei Shima"では、かりそめのバンドを結成した。そこで彼は、バンドのダイナミズムやかっこよさを改めて思い知った。これを契機にラボは新しい研究に入るのだ。その第一項がdresscodes FEMMEと二つのステージである。dresscodes FEMMEについて、志磨はコラムで以下のように総括している。
「今回ドレスコーズ FEMMEはまったくバラバラの音楽性を持つバンドから集まっているにもかかわらず、そのどれとも違う性格に(わずか数日で)育ち、やはりバンドというのはどう考えても“生命をもった有機体”だ、ということが身をもって検証できた気がします」
志磨が、今後どのようにドレスコーズを進めていくかはわからないが、まだこの検証は続いていくはずだ。彼は、たくさんの憧れ(バンド)を具現化し、自身もそのそれぞれの中で、たとえ一回のステージだったとしても、そのバンドでとことん生きようとするだろう。一方で、覚悟(自分の音楽)側の志磨は、その様子を冷静に観察し、次なるメソッドを模索するだろう。
次に、dresscodes FEMMEによる二つのステージについて。志磨がステージで求めることは、絶対的な勝利だ。ロックンロールは必ず勝たなければならない、負けは許されないと、志磨が常々語ってきた通りだ。勝つためならば手段は選ばない。ただし正々堂々とだ。dresscodes FEMMEを組んだ理由は"バンドにおける性差を知ること"とコラムでは書いているが、JAPAN JAM
BEACHと森、道、市場で勝つためでもあったと思う。志磨は、セットリストに何を持ってくれば、最大公約数的に盛り上がるのかもちろん理解しているし、決してそこから逃げることもしない。ただし、盛り上がるだけではダメなのだ。ステージで勝ちを得るというのはそういうことではない。バンドから生み出される奇跡のような映像、音像が刻まれなければならないし、彼はそこに必ずドラマを求める。栗本ヒロ子を含む女性プレイヤーばかりのメンバーが発表された時点で、勝ちは半分決まっていた。そして1曲目『REBEL
SONG』がスタートしたとき完全勝利となったわけだ。毛皮のマリーズ、前ドレスコーズ、一人ドレスコーズのナンバーたちから成るセットリストは、もうそれだけでドラマチックだが、その前にdresscodes FEMMEというトピックをぶち上げるところに、志磨遼平のステージでの勝ちに対する執念を感じた。
かくして志磨は、バンドが生命をもった有機体だと検証することに成功した。彼は依然としてバンド原理主義のままで、根っこは何も変わらないまま、バンドに対する新しい興味が湧いている。有機体たるバンドには、ほかにどんな種類があって、自分にはどんなバンドが作れるか、ということだ。それを知るには、未知のバンドを自ら出現させて、その成長過程をともに歩んでいくことしかない。その繰り返しと、それぞれの先にある自分とバンドの姿が研究結果ということだ。そしてその研究の中で、自分自身の中にある"憧れ(バンド)"と"覚悟(自分の音楽)"を同時に超越する方法論を見出す可能性はある。
ドレスコーズという形態は、志磨が、バンドとはいったい何なのかを知るための器であり、ドレスコーズとは、志磨専用ラボなのだ。ラボを閉鎖するときは、先に述べた方法論を見つけ出したとき、もしくは、
越川和磨と再び組んだとき、
ではないだろうか。
「dresrcodesは、志磨遼平ラボである」となたを振った上で、憧れ(バンド)と覚悟(自分の音楽)の二面性の同時実現と超越、としたまでは良かった。しかし、書き進めていくうちに、二面性の後者について圧倒的に論が弱いことに気付いた。というよりも、”覚悟がある”ということ以外、具体的に何も見えないのだ。もしかすると見落としているだけで、答えやヒントは転がっているのかもしれないが。近い未来、それを見つけられることを願う。