正式名称は「巣鴨猿田彦庚申堂」である.この地域は江戸時代では,武州豊島郡巣鴨庚申塚という区分であった.当時は葦簀で囲んだ「団子茶屋」という有名な茶屋のある場所があった.先ほどの江戸名所図絵に描かれた巣鴨庚申塚周辺に,同じ様な描写がある.
猿田彦神社に祀られている神様は,天津祖庚申猿田彦大神・地津主甲子大己貴神・人津霊己巳小彦名神の3柱である.猿田彦大神は天孫降臨の時に天の神々の通り道に立ち塞がっていた神である.そのため,我々の知る猿とは直接の関係はない.容姿は天狗に似ている.天孫降臨の時,猿田彦をお色気で悩殺したのが天鈿女命である.降参した猿田彦は天の神々を高千穂まで案内する.この一件から猿田彦は「道と境界を守る神」,道祖神として信仰されてゆき,これが庚申信仰と一緒になっていく.庚申とは十干十二支の思想からいう「かのえさる」の日である.

(出典:
https://www.library.metro.tokyo.jp/portals/0/edo/tokyo_library/modal/index.html?d=211)
天保七年(1836年)に刊行された『江戸名所図会』には「巣鴨庚申塚」と題する巣鴨庚申塚周辺の風景が描かれている.挿絵のほぼ中央に位置する道標に刻まれた「右わうし(王子)道」の記述や,右端中央に描かれた巣鴨庚申塚の地名となった庚申塔の場所から,現在の地蔵通りと折戸通りの交差点付近の様子を描いたもので,左奥が板橋宿方面,右側が日本橋方面となるでしょう.ある夏の暑い日,葦簾掛けの簡素な団子茶屋の後方には耕地が延々と広がっている.茶屋の椅子に腰掛けて汗を拭く人,扇子や団扇で扇ぎながら歩く人,駕籠かきと馬子ふうの人夫同士のにらみ合い,虫取り網を持つ子供,木陰でぐったりと休む犬などが描かれている.

