金持ちである必要は全くなく、ただ持てるモノを味わいながら用い、お金は自分に見合った洗練された使い方をすればいいのです。それはわずかなお金でも「豊かさ」を感じさせる使い方です。無常は、日常の凡庸さが人生の意味を削ぐもの、同調することと論理は精神を麻痺させるものとも説いています。無常の優雅さ、それは第一に自己をしっかり持つこと、自分がどういう人間なのかを知り、自己との関係を良好にすることです。それには自分の好みを穏やかに主張し、周りの意見に引きずられないこと、独自のイマジネーションや創造力を再発見し、自分以外の人間として振る舞わないことです。また、物事を独自の観点から見るようにし、常に先へ先へと急ぎ、モノが溢れ、やらなければならない仕事が山積する社会の流れから一線を画して生きることでもあります。むしろ音楽、文学、小春日和の気持ち良い1日を味わうようにするのです。
人生の煩わしい細々とした物事、不自然な習慣や不毛な付き合い、緊張などを避けること。これらは私たちのエネルギーを削ぎ、気を散らすことで、しまいには私たちの人生を貧しく平凡なものにしてしまうからです。無常、これはまた見返りを求めずに優雅に生きることができると知り、誰にも、何にも頼らずにひとりで満足して生きていけることでもあります。禅僧に、その生き方を見ることができます。僧が茶碗を持つ姿に、またハエを追う姿にも。